kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山口洋子作詞「よこはま たそがれ」は盗作だった!?

ひょんなきっかけからバルトークの「管弦楽のための協奏曲」のCD(フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団=1955年録音)を引っ張り出して聴きつつ、バルトークに関してネット検索をかけていたら、福田康夫が総理大臣になった2007年のブログ記事が引っかかり、福田康夫バルトークの音楽を、志位和夫ショスタコーヴィチの音楽をそれぞれ愛好していると知った。

ベラ・バルトークの協奏曲(2007年10月17日)

ブログ主は、

日本共産党の委員長である志位和夫ショスタコーヴィチ好きであるのは黙殺されている。あまりにも、そのまま過ぎるからか?――しかし、共産党員でショスタコーヴィチが好きであると公言するというところには、共産党に所属するという複雑な何かがあるように思われるよ……。

などと書いているが、ショスタコーヴィチが好きなら志位氏はスターリンが嫌いで、かつ「社会主義リアリズム」にも否定的なのに違いないと私などは思ってしまう。まあ志位氏の件はともかく、「反知性」の象徴ともいえる安倍晋三が事実上日本国民によって馘首され、「文人宰相」の面影をわずかながらも宿す福田康夫が総理大臣になった2007年秋からの1年間は、暗い出来事ばかりが続く今世紀の日本にあって、ほんの少しだけ息のつける時期だったんだなと懐かしく思い出す。しかしその5年後、あの反知性の権化が総理大臣の椅子をトリモロし、今に至る今世紀最悪の時代となっている。

以上は前振り。バルトークについてさらにネット検索をかけると、バルトークが音楽(「5つの歌」作品16の第4曲)をつけたアディ・エンドレの「ただひとり海辺で」を、昨年亡くなった作詞家の山口洋子がパクって「よこはま たそがれ」の歌詞としたのではないかとの疑惑に行き当たった。

http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/B/Bartok/S2718.htm より

 アディ・エンドレという詩人はハンガリーという言語的にはひどくマイナーな国の文学者ということもあって日本ではほとんど知られていないかと思うのですが、この詩はなぜか一部で非常に有名になっています。というのは私の訳したものでは分かりにくいのですが(あえて引きずられないように意識しています)、1977年に出版された徳永康元・池田雅之訳のアディ・エンドレ詩集(恒文社)でのこの詩の訳を見ると分かる方にはすぐピンとくるでしょう...

 ひとり海辺で

  海辺、たそがれ、ホテルの小部屋
  あの人は行ってしまった、もう戻ることはない
  あの人は行ってしまった、もう戻ることはない

   (第1節のみ上記書より引用 徳永康元訳)


1971年に五木ひろしが歌って大ヒットした歌謡曲「よこはま たそがれ」(詞:山口洋子・曲:平尾昌晃)に偶然の一致とは思えないほど良く似ているのです。一部の書籍などでは作詞者のコメントまで引用してあからさまな盗作だとまで非難しておりますが(矢沢寛著 流行歌気まぐれ50年史 大月書店)、真相のほどはわかりません。なおアディの原詩の方の著作権は1970年の1月1日に日本では切れていますから、こちらの原詩に想を得て作詞したとしても著作権上の問題は生じません(歌のリリースから見ると絶妙のタイミングですね)。ちなみに更に調べてみると、1962年に出版されている平凡社の世界名詩集大成の北欧・東欧篇に同じ訳詩が掲載されていることを確認しましたのでこのフレーズは徳永訳がオリジナルということで間違いないようです。従って訳詞そのものの著作権侵害ということで法的には徳永側に文句をいう権利がありますが、氏の側から訴えを起こしたということもないようですし(2003年に氏は逝去されています)、第3者がこれ以上とやかく言うのはやめておきます。

まあ 、何はともあれアディの詩は、そのまま歌謡曲の詩になってもおかしくないようなヴィヴィッドな失恋のシーンですね。ソファを抱いて泣くところなんかは実に絵になります。バルトークの音楽は残念ながら歌謡曲というわけにはいきませんが、潮騒をあらわすようなきらめくピアノ伴奏に乗せてしみじみと歌声はつぶやきます。

( 2010.09.23 藤井宏行 )


バルトークの音楽をYouTubeで確認したが、当然ながら「よこはま たそがれ」とは似ても似つかない。また歌詞も、アディ・エンドレの詩に似ているのは確かだが、盗作とまで非難できるかどうかは微妙ではないかと思った。

この件は相当有名らしく、検索をかけるとブログ記事が多数引っかかる。下記ブログによると、昔、あの極右ジャーナリスト・花田紀凱が『週刊文春』で取り上げて問題視したらしい。
よこはま・たそがれ の うそ: 空中庭園@下丸子(2015年3月30日)

花田がイチャモンをつけたとなると山口洋子の肩を持ちたくなるが、反面、山口氏の訃報に接して書かれた下記ブログを見ると、山口氏にも好感は持てない。

直木賞作家・山口洋子さん死去 「よこはま・たそがれ」などの作詞も | エタウィル(2014年9月15日)より(デイリースポーツの記事についたコメントの引用)

2014/09/15 20:51 mim*****

星野仙一とは結婚寸前まで行きましたよ。


われながらひどい「敵味方思考」だなと苦笑する。

以下、中庸を得た内容と感じたブログ記事より引用する。

徒然の記(よこはま・たそがれとアディ・エンドレ) 胡蝶の夢/ウェブリブログ(2006年8月22日)より

 因みに、「よこはま・たそがれ」の作詞家は、恐らく彼の『ひとり海辺で』を拝借したのでしょうが、既に亡くなって久しいので盗作にはならないのだとか。
 それにしても、まあ、こんなことは別に知らなくてもいいことだから「どうでもいい」んですが、知ってしまうと何となく拝借した本人の良識というか倫理感というか、作詞家としてのプライドが疼かなかったのかなあ・・などと邪推してしまい・・・


ブログ主は続編も書いている。
「徒然の記(よこはま・たそがれとアディ・エンドレ)」について Cella prisonae.../ウェブリブログ(2011年5月29日)より

「ひとり海辺で」を訳したのは戦前、最初のハンガリー・日本間の交換留学生としてハンガリーに留学し、パーズマーニュ・ペーテル大学(現在のエトヴェシュ・ロラーンド大学)で学び、日本人最初のエリート学寮エトヴェシュ学寮生となった故徳永康元氏です。彼はナジバーニャの勇爵・海軍少将ホルティ・ミクローシュ執政(ハンガリー王国元首)の保守反動の政治に嫌気がさし、米国に無期限の長期公演旅行に出発することにした20世紀を代表する作曲家のバルトーク・ベーラのお別れコンサートにも行っているそうです。

で、この“盗作事件”は日本では週刊誌が嗅ぎつけ、結構大騒ぎになっていたそうですが、私はハンガリーに留学中だったので知りませんでした。で、後日、徳永氏に伺ったところでは、彼も週刊誌で騒がれて初めて気付いたそうです。で、その内、週刊誌に作詞家の山口洋子氏の弁明が載ったらしいのです。それによると「徳永氏の訳詩を使わせていただくことはご本人から快諾を得ております。お電話でお願いしたところ『文芸作品と言うのは世に出た瞬間に作者の手を離れるもので、後は他人がどうしようとどうなるものでもないし、またどうしようと思ってもいけないものだ』とおっしゃってくださいました」とか何とか書いてあったとか。徳永氏は私に苦笑いをしながら「僕はそんな電話は受けていませんけどね。彼女からは電話も手紙も、一切何の連絡もありませんでした。だからあれはウソです。しかし、いかにも僕が言いそうなことを僕が言ったことになっているので、困っちゃいましたよ」とおっしゃっていました。


まあ山口洋子という人が決して褒められない行いをしたことは間違いなさそうだ。もっとも、徳永氏も「いかにも僕が言いそうなことを僕が言ったことになっている」と言っているから、山口氏のことを困った人だとは思いながらも、「(徳永)氏の側から訴えを起こしたということもない」のもさもありなんと思える。