共産党については、同党の大門実紀史・前参院議員のXも注目される。
私はXのアカウントを持っていないのでなかなかブログ記事で紹介できないのだが、たまにアクセスできた時に(たいがいはXがポストされた直後だ)URLを記録しておくなどの手段を使っている。何度も書く通り、私は「渇すれども盗泉の水を飲まず」の諺に従う。今後ともXのアカウントを取得するつもりは全くない。
下記は少し前の2月9日のX。
非正規ワーカー(女性が7割)の待遇改善なしにジェンダー平等は実現しません。この点では公務の現場から率先して待遇改善をはかるべき。女性相談支援員の常勤化は女性支援の強化であるとともにジェンダー平等の促進です。同郷の大山さん、神奈川県議団がんばって下さい。 https://t.co/lazSZ6lM8G
— 大門実紀史(だいもんみきし) (@mikishidaimon) 2024年2月9日
大門さんも大山奈々子さんも京都の出身だ。
昨日(2/24)ポストされた下記のXはさらに注目される。
雨の中、選挙カーで一緒にこくたさんの応援演説をして頂いた西郷さん。前回も今回も福山和人さんを押し上げるために猛奮闘された西郷さん。いつも子育てしながら。そんな西郷さんにここまで言わせるなんて、どうかしてます。 https://t.co/lhprd6oX25
— 大門実紀史(だいもんみきし) (@mikishidaimon) 2024年2月23日
上記Xからリンクされた西郷南海子氏のXを再掲する。
このことに関しては、党外から意見があれば全力で否定するのではなく、「いったん受け止めます」と言うので十分なのではと思います。どうしてそこで全力で反論するのか、多くの人が不安、不思議に思うところではないでしょうか。以上です。
— 西郷南海子🎗Minako Saigo (@minako_saigo) 2024年2月22日
私はXのアカウントを持っていないので、「このこと」が書かれた先行のXがどなたがポストしたどんなXかはわからない。しかし、『しんぶん赤旗』に紙面1ページをまるまる費やして掲載された中北浩爾・中央大学教授に対する強烈な反批判の記事に対する論評であろうことには疑う余地がない。
共産党執行部批判はもうこんな段階まできた。
私は、事態がこのような段階にまで至った最初のきっかけは、2021年衆院選の敗北を当時委員長だった志位和夫が拒否したことだったと思う。ついでに書くと、同じ衆院選に対して間違った総括を行なった結果生まれたのが立憲民主党(立民)の泉健太代表である。泉は就任当初にとった「提案型野党」によって翌2022年参院選に惨敗したが、党が「提案型野党」路線の失敗が参院選敗北の最大の原因だったと総括して泉もそれを了承したはずなのに、なぜか「続投」つまり代表職にとどまって、今度は維新にすり寄って「『維新八策』に大部分協調できる」とまで持ち上げたのに維新に足蹴にされた。それでもなお代表職にとどまっているうちに立民の政党支持率が上昇に転じたが、これは何も「提案型路線」だの「維新へのすり寄り」だのが有権者に評価されたからでもなんでもなく、単に岸田文雄内閣と自民党の支持率が歴史的崩壊段階に達したことによる自民党支持層の流出のほんの一部をいただいたものに過ぎない。自民党から流出した多くは無党派層、次いで維新、さらには元号新選組に支持が流れ、立民はそれらに次ぐ4番手くらいの流出先でしかない。それでももともとの立民の支持率が低かったからそれなりの支持率上昇になっているだけのことだ。立民・共産両党が2021年衆院選の総括を誤ったところに、翌2022年7月の安倍晋三銃殺をきっかけとして自民党の崩壊が始まり、これらが現在の政治状況の混迷を招いた。
しかし共産党の混迷の原因は何も志位和夫個人のせいばかりではない。否、志位氏個人の寄与などむしろ小さいくらいだ。参考になると思うのは紙屋高雪氏の下記ブログ記事だ。
特に印象に残った部分を以下に引用する。
アリルーエワは「スターリンの娘」であることから逃れられなかったけども、スターリンの娘であるという呪いを生きることによって、スターリン体制はベリヤやエジョフらの「悪の側近」によるものでもなく、スターリンの「狂気」によるものでもなく、まさにスターリンを頂点とした体制によって引き起こされたことを正確に洞察し、そのような体制が現代ロシアにも続いていることを見抜いた。
つまり政治的ポジションとして、スヴェトラーナ・アリルーエワ、すなわち「スターリナ」は自分の生き方を通じて到達した、徹底かつ慧眼の反スターリン主義者であったということができる。
URL: https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2024/02/20/010848
「スターリン」を「志位和夫」に、「現代ロシア」を「日本共産党」に置き換えれば、そのまま現在の日本共産党に当てはまると思った。
なお、少し前に紙屋氏が田村智子委員長を「スターリナ」と表現したXがあったが、あのXにおいては田村智子はスヴェトラーナ・アリルーエワ、旧姓スターリナになぞらえられたのではない。スターリナはスターリンの女性形だから、あのXには単に「(田村智子委員長は)スターリンのような女性だ」という意味しかない。
そして田村委員長はもともとああいう人ではなかった。2021年の衆院選敗北では、本来あるべき総括を示唆するXを発信し、ウクライナ戦争勃発直後には、ウクライナに防弾チョッキを送ることに賛成する発言をした。これらはおそらく志位和夫や小池晃らの意向によってXを削除し、防弾チョッキの発言は取り消した。後者に関する当時の読売新聞記事を以下にリンクする(引用は省略)。
私は防弾チョッキに関しては当初の田村氏の意見の方が正しく、志位や小池の方が間違っていたと思う。というのは、防弾チョッキも武器のうちかもしれないけれども殺傷能力はなく、自らの身を守る防御具でしかないからだ。敵の侵略に対して自らの身を守るのは万人が持つ当然の権利であろう。そもそも志位や小池は日米安保や自衛隊に関する見解で小沢一郎らと手を組むための大幅な譲歩をしてきた一方で、党内では硬直的な押し付けを行うのだから全く感心しない。
しかしその志位に対してさえ、私は何も憎悪のような感情は持っていない。彼が浸水している旧ソ連の大作曲家、ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)と同じような二面性を持っている人だと思うだけだ。ショスタコーヴィチの二面性については、ロシア文学者の亀山郁夫氏がよく論じている。
以下引用する。
「二十五歳のとき、ソ連を旅行中、ショスタコーヴィチの死を現地のテレビで知りました。メディアでは彼の死が大々的に取り上げられ、彼の作った交響曲が流されました。しかし、当時の私にショスタコーヴィチは、体制の御用音楽家に思えて、とても聞く気分にはなりませんでした。その後も、彼の音楽を避け続けてきました」
亀山さんは、一九九四年サンクトペテルブルグで行われた「白夜祭」で、偶然ショスタコーヴィチの交響曲第八番を聞き、みずからの間違いに気づく。
予定調和的な音楽の概念を根本から覆す曲の作りに圧倒されました。彼の曲にはスターリン時代に人々が感じた心の傷が、リアリティを持って描かれているのです。私は『これは文学そのものだ』と感じました。確かに音楽家としての側面に光を当てた書籍は、数多く出版されていました。しかし、彼の作家性や時代背景を十分に捉えきれているとは思えなかった。文学者である自分が、文学研究の手法を使って彼の音楽と人生に正面から取り組むべきだと考えたのです」
スターリン体制下の芸術家のあり方を研究してきた亀山さんは、ショスタコーヴィチの人生の間に起った歴史的な事件を点として捉えず、大きな流れとして捉えるようにした。そのために、近年公開された資料やロシアで発表された膨大な資料を読み解いた。
「スターリンは粛清を繰り返す暴君でしたが、一方で芸術の力を信じ畏怖する独裁者でもありました。しかし、スターリンの死後、指導者となったフルシチョフは、芸術に関心を持たなかった。これによって、ショスタコーヴィチの孤立はいっそう深まるわけですが、しかし後世から見て、それは吉と出ます。最晩年の彼は、病に苦しみながら、次第に権力者ではなく自分自身と向き合うようになり、自己沈潜の極みともいうべき世界を構築していくからです。そんな芸術家の苦闘の日々を、自分なりに描ききることができたと思っています」
以下引用する。
芸術家はパトロンに2つの感情を抱く
──スターリンとショスタコーヴィチの駆け引きには恋愛関係のような印象も受けます。ショスタコーヴィチが、形式主義批判で自分を脅したジダーノフの失脚を見通していたのも驚きです。
芸術家は権力者、パトロンに対しては2つの感情を抱く。愛と嫌悪と。好きなようにやらせてくれているので恩義を感じる一方、過剰な自尊心からくる憎悪もある。その関係は非常に複雑だ。
スターリンにショスタコーヴィチの音楽が理解できていたかどうかは疑問だが、彼を芸術家として尊重していた。同時代の作家や詩人を弾圧し、粛清し、虐殺したが、音楽だけは不可侵だった。神の子のように思ってショスタコーヴィチに特権的な地位を与えていた。ショスタコーヴィチにもおそらく、スターリンが自分を愛しているという確信があったと思う。彼が罵倒していたのはむしろスターリンの取り巻きたちが牛耳る検閲権力だった。
──ショスタコーヴィチの音楽で議論の的になる「二枚舌」。通説では社会主義への礼賛とスターリン権力への批判だとされますが。
「二枚舌」はむしろ、彼自身に向けられていたと思う。引き裂かれている自分自身に対する二枚舌。天才芸術家で超自己中心主義だから、芸術がよければ、音楽がよければいいというところがあった。交響曲第7番「レニングラード」などは戦う市民への励ましとはとても思えない。他者の死を悼む共感力が出てきたのは、晩年になってからだ。
後者の文章を読むと、20世紀ソ連のショスタコーヴィチも18世紀末のモーツァルトや19世紀初めのベートーヴェンとよく似た心性の持ち主だったんだなあと思う。「天才芸術家で超自己中心主義だから、芸術がよければ、音楽がよければいいというところがあった」という文章は、モーツァルトやベートーヴェンにもずばり当てはまるからだ。
昨日、水谷彰良氏(1957-)が2004年に刊行した下記の本を読了した。もともとは音楽之友社から出ていたが、2019年に「復刊ドットコム」から復刊されたとのことなので、以下にそちらへのリンクを示す。なお私は2004年版を読んだ。
この本の中に、本のテーマであるサリエリ(モーツァルトを毒殺したというのは冤罪であり、著者も書く通りそんなことはモーツァルトファンなら誰でも知っていることだ)とは離れるが、メッテルニヒ体制下でのベートーヴェンについて、下記の記述があったのに笑ってしまった。
反動政権の当局から監視対象とされた自由主義者・共和主義者みたいなイメージの強いベートーヴェンでさえ、故すぎやまこういちのような真似をしていたのだった。自らが出世できないのを「イタ公」のせいにしていたモーツァルト父子*1ともども、まったくどいつ(ドイツ)もこいつも、と思わずにはいられなかった。
話が脱線したが、ショスタコーヴィチの心性や行動も、昔のモーツァルトやベートーヴェンとさして変わらず、権力者スターリンに対して二枚舌を使っていた。そして忘れてはならないことは、そんなショスタコーヴィチ(の音楽)には、前記東洋経済記事のタイトルにある通り、強烈な暴力性もあったということだ*2。そんなことはショスタコーヴィチの音楽を聴く人なら、もちろん志位和夫も含めて誰でも知っているはずだ。
つまり、志位和夫にもモーツァルトやベートーヴェンやショスタコーヴィチらと同じような二面性がある。いや、志位に限らず人間誰にだって二面性はあるのである。もちろんこれを書いている私自身にもある。だからこそ権力を束縛する仕組みが必要なのだ。
日本共産党にも党の仕組みを変えなければならない時期が近づいてきた。そう確信する次第。