kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1973年の一橋大の民青では自由闊達な議論が行われていたらしい(松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』より)

 いつだったか松竹伸幸氏が1970年代には東大の民青で憲法9条は反動的条項だと教えていたとか書いていたから氏は東大卒だとばかり思い込んでいたが、一橋大学卒業らしい。その一橋大学の民青にはずいぶん自由闊達な気風があったようだ(志位和夫が卒業した東大ではどうだったかは知らないが)。

 以下、ようやく読み始めた氏の下記文春新書から引用する。

 

books.bunshun.jp

 

 以下、リンク先からではなく本から引用する。引用に際して漢数字を算用数字に改めた。

 

 私は73年に大学に入学し、まず共産党傘下の日本民主青年同盟に入ったが、自由な組織運営がされていることにびっくりした。国政選挙が始まると、では共産党の政策を学びましょうということになるのだと思ったが、そうではなくすべての政党の政策を平等に学んでいた。政党ごとに担当者を決め、「我が党が正しい」と全員が主張し、議論を闘わせるのである。必ずしも共産党が正しいという結論になるわけではないが、そんな自由を認めてくれる共産党には敬意を感じることができた。

 

 やがて私は、大学の党に入ることになる。そこで驚いたのは、物事を深く考えている党員がいかに多いかということだった。年間の方針を決める会議に出される文書は分厚く、大学をめぐる問題だけではなく、国際情勢までもみっちりと書き込んでいる。「赤旗」では見られないような独自の分析もある。先輩の党員のなかには、共産党の月刊誌の表紙に「理論政治誌」という性格づけが書いてあることを持ち出し、「理論を政治に従属させるものであり、正しくない」と厳しい批判を浴びせる人もいた。それでも選挙になれば、みんな同じ場所に寝泊まりして、チラシの配布や支持者の拡大などに奮闘するのである。

 

松竹伸幸『シン・日本共産党宣言 - ヒラ党員が党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書2023)75-76頁)

 

 「鉄の規律」や「上位下達」の共産党のイメージが嘘のような話だが、地域の共産党支部では自由な議論が交わされているという話はよく聞く。

 一方ネットでは教条主義者のでかい声ばかりが目立つ。いや、共産党衆院選東京3区候補予定者の香西かつ介のように、今回の件を民間企業の経営者側の立場になぞらえて剥き出しの新自由主義的ツイートを発し、批判して削除する醜態を晒した者がいる。

 私が思い出すのは、その道の達人ほど自由な考え方ができるという昔からの確信だ。学者になった私の友人は「大学とは自由な考え方を学ぶ所だ」と言った。1973年の一橋大学の民青はその良い例だったのかもしれない。

 また連想することは、思いっきり保守反動的なイメージがある西洋のクラシック音楽のことだ。なにしろかつては王侯貴族の慰みだった。

 しかしその枠内においても大作曲家たちは創意工夫を凝らし、音楽の世界での革新や革命をやってのけた人たちが多い。モーツァルトベートーヴェンに至っては「王侯貴族のための」という枠組にも挑戦した。ことにベートーヴェンはそうだ。もちろん中にはユダヤ人差別論をぶってのちにヒトラーに悪用されたワーグナーのような人間もいるが。ロシアの民間軍事会社ワグネル(傭兵ネットワークにしてプーチンの私兵)はそのワーグナーから名前をとっている。

 しかしそのワーグナーも音楽の世界では革命者の一人だった。

 一方、本当にどうしようもない保守反動ぶりをあらわにしているのが、一般のクラシック音楽ファンたちの多くだ。「(ベートーヴェンの)第九はフルトヴェングラーの何年のライブ録音でなければダメだ」と口角泡を飛ばす彼らには最初からついていけなかった。そんな彼らが信奉するのが2016年に死んだ宇野功芳という音楽評論家だったが、宇野は政治思想的にも極右人士だった。さもありなん。

 現在ネットででかい声をあげている教条主義者、いや弊ブログが普段用いている言葉だと某暴犬だったっけ、当該の犬に限らない「共産党信者」あるいは「共産趣味者」たちのありようから連想するのは、その宇野功芳の信者たちなのだ。

 もちろんこれらは松竹氏の安全保障政策や安全保障政策や党首公選論とは別の話だ。私は前者には同意できないし、後者も喫緊の課題とは思われない。

 私の問題意識にあるのは「自由なものの考え方ができるかどうか」あるいは「自由なものの考え方が許される組織であるか」という点だ。

 もちろん後者が認めらない政党など絶対に支持できない。共産党がそういう政党でないことを願いたい。