kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松竹伸幸氏は1981年頃に国際会議でソ連のアフガニスタンからの軍隊撤回を求めて東欧をはじめソ連派の参加者からの猛反撃を受けたらしい

 日本共産党松竹伸幸氏除名問題について、弊ブログは松竹氏の安全保障政策には賛成できないとの保留をつけつつも、一貫して松竹氏寄りの立場から意見を発信している。

 その大きな原因として、私自身がかつて勤めていた企業の中で、人事権を持つ人間(部長)の理不尽な人事権の行使によって痛い目に遭った経験を持っていることが挙げられる。権力にやられた痛みはやられた者にしかわからない。だから具体例を挙げて申し訳ないけれども、松竹氏の問題する村野瀬玲奈氏、立民の泉健太代表が東京15区で井戸まさえ氏をなかなか衆院東京15区総支部長に再任しない件に関するnaoko氏などの意見を拝見すると、お二方ともおそらく人生においてご自身が属する組織において理不尽な人事権行使などを被った経験をお持ちでないのだろうなと推測する。仮にそうだとするとうらやましい限りだ。現在弊ブログのコメント欄でフルボッコになっているさるお方に対しても似たような感想を持つが、深くは立ち入らない。興味のおありの方は下記記事のコメント欄をご覧いただきたい。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 会社で理不尽な人事権行使を被った経験とは比べものにならないが、私には政治ブログのある集団から半ば追い出され、半ば自ら出て行った経験もあるので、組織内での権力的な動きには特に敏感で、かつ権力批判に傾くことが多い。一方で現在の政治や社会において権力が必要悪、つまり「悪」ではあるものの必要だとも考えているが、個々の事例において権力を発動する側を批判する傾向がどうしても強くなることはやむを得ない。だから志位和夫に対しても泉健太に対しても山本太郎に対してもどうしても批判的になる。

 下記は松竹氏に関する有田芳生氏のツイート。

 

 

 松竹氏と志位委員長とでは安全保障や自衛隊の問題に関する見解がほとんど変わらないのではないかとの指摘は、何も有田氏に限らず他の方からも少なからず出されている。ことに共産党の右傾化を左から批判する立場の方からの同様の批判が目立つ。

 下記は上記有田氏のツイートからリンクされた松竹氏のブログ記事。

 

ameblo.jp

 

 以下冒頭部分を引用する。

 

 みなさま

本日は記者会見にお招きいただき、ありがとうございます。

ご存じのように私は、日本共産党に党首選挙の実施を求め、実現した際は立候補することを表明した本を刊行したことをきっかけに、共産党から除名されることになりました。現在、復党することをめざし、来年の1月に開かれる党大会での再審査を求める準備をしています。

 外国メディアの方が本日なぜ私を招いてくれたのか、この問題にどんな関心を寄せているのか、率直に言ってよく分かりません。冷戦終了後、世界の多くの国で共産党は後退し、崩壊したりしており、共産党自体への関心が減退していると思うからです。ましてや、私をめぐる問題は、共産党の内部の1つの小さな問題に過ぎないというのが、外から見える風景ではないかと思われます。

 しかし、私自身は、この日本で自民党政治への対抗軸をつくるためには、日本共産党の役割が不可欠だと考えています。そのためには共産党の自己改革が必要であり、党首公選の実施はそのための大事な手段になると思っています。本日は、なぜ私が共産党にそのような高い評価を与えているのか、どんな改革が必要なのかについてお話しします。

 

 この場に参加されるメディアの方なら、日本共産党が早くから、ソ連共産党などから指図を受けない自主独立の路線を確立していたことはご存じでしょう。私も1980年代、共産党傘下の日本民主青年同盟国際部長を務めていましたが、国際会議の舞台ではソ連代表を前にして、核軍拡競争の一翼を担っていることを批判したり、アフガニスタンからの軍隊撤退を求めたりしたので、東欧をはじめソ連派の参加者からの猛反撃を受けたものです。どんなに批判されても屈するなというのが、日本共産党からの指令でした。ソ連が崩壊した際、日本で共産党が共倒れしなかったのは、ソ連覇権主義を誰よりも批判してきたという党員の誇りがもたらしたものでした。

 ソ連や中国の言いなりにならないということは、日本でどんな政治変革の道筋を進むかについても、日本の実情にあわせて、日本共産党自身が考え、確立してきたことを意味します。社会主義を直接にめざすのではなく、民主主義が徹底される日本の実現を当面の課題としたことは、国民の支持を広げる上でも、他党との協力関係を確立する上でも、大事な決断でした。

 この日本共産党が現在、大きな岐路に立っています。政治路線、組織路線の両方においてです。私が立候補したのは、この二つの点で自己改革ができれば、共産党が日本の政治を変えるための中心的な役割を果たすことができると思うからです。それぞれについてお話しします。

 

(『超左翼おじさんの挑戦』2023年2月27日)

 

URL:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12791264458.html

 

 以下が松竹氏の冒頭スピーチの具体論になるが、ここでは私がもっとも関心を持つ共産党の組織の問題に関する部分のみ引用する。

 

 組織路線でも共産党には大きな改革が求められています。意外だと思われるかもしれませんが、私は今回の本のなかで民主集中制を批判していません。党首公選を行うことによって、現在の共産党が抱える問題点を克服しようというのが、私の現在の立場です。

 日本の共産党がこれまで民主集中制を採用してきたのは、歴史的な理由があります。ロシア革命を源流として各国の共産党が誕生したことに加え、日本の場合、第二次大戦後の占領軍の弾圧を受けたこととも関連し、長期にわたる分裂を余儀なくされたからです。

 しかし、共産党がもっと国民に近い存在になろうとすると、組織のあり方は抜本的に見直す必要があります。外国メディアの方が共産党支部(職場や地域ごとに存在している)を訪ねてみれば、共産党員は個性も自由もある存在だと分かるはずです。私が所属していた支部でも、選挙に負けたあとの会議などでは、「志位さんは長すぎる」「もう辞任したらどうだ」などの話が活発に交わされます。外交や防衛、経済、社会保障政策をめぐっても、綱領の枠内ではあっても、党員ごとにいろいろな異論が存在しています。共産党が2000名を超える地方議員を擁しているのも、議員が個性を発揮し、住民と深く結びついているからです。

 ところが、内部の問題を外に持ち出さないという規約があるため、国民からは共産党の多様性が見えてきません。共産党は異論を許さない政党、一枚岩の政党だとみなされており、国民から遠い存在になってしまっています。党首公選は、政策の違いを堂々と国民の前で争うものですから、その現状を克服することになります。

 党首公選を採用すると、多数派を獲得しようとする動きが出るので、内部に派閥・分派が生まれるというのが、党中央の見解です。しかし、政策の似通った人たちの集団はできるかもしれませんが、そういう集団も選挙の結果に従うことが明確であれば、何も問題はありません。それどころか、選挙での活発な論戦を通じて、党には活力が生まれることでしょう。共産党員は党首公選をしても分派活動などしないのであって、党中央は党員を信頼してほしいと思います。

 党首公選を共産党が実施することは、事実上、選挙期間中は、民主集中制を停止することを意味します。それが共産党に肯定的な影響を与えるなら、選挙後も同じ制度を続ければいいし、否定的な影響が大きいと考えるなら、もとの制度に戻ればいいのだと考えます。100年も続いた制度を変えるには、実際の体験を通じて、変えることの可否を党員が判断することが不可欠です。

 

 私の以上のような訴えは党中央には届きませんでした。しかし現在、共産党のなかでは、もちろん党中央を支持する人が主流ではありますが、同時に、私の考え方に共感する人も生まれています。「自分も離党する」と私に伝えてきた人に対して、私は「党にとどまってほしい」「来年1月の党大会に参加してほしい」とお願いしています。

 来年1月の党大会で私の除名処分の再審査が行われ、処分を覆すことができるなら、共産党は大きな改革に踏みだすことができます。もちろん、その可能性は現在では微々たるものですが、そのわずかな可能性を切り開くため、全力をあげたいと思います。

 ご静聴、ありがとうございました。

 

(『超左翼おじさんの挑戦』2023年2月27日)

 

URL:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12791264458.html

 

 松竹氏は除名処分の撤回を求める立場だから、党規約に定められた民主集中制を、分派の禁止も含めて認める立場に立つ。私は党外の人間だから、そうは言っても分派禁止の条項がそのままなら松竹氏の言う「政策の似通った人たちの集団」を党執行部が分派と認定する余地が残ってしまう、だから分派禁止の条項を規約から削除すべきではないかと考えるが、もちろんそれは党員が決めるべきことだ。

 かつて同じ民主集中制を掲げた日本社会党の規約に分派禁止の条項がなく、共産党にあるのは、共産党が戦前非合法政党としての苦難を経験したことによる必然だったのだろう。しかし広原盛明氏が指摘した通り、野党共闘に加わった共産党は(かつての非合法政党から)今や「公器」といえる組織になった。そういう環境の変化に応じて規約をも改めていかなければならないのではなかろうか。

 上記ブログ記事については、松竹氏の伴侶であるかつての人気政治ブロガー「お玉おばさん」氏のツイートにも注目した。

 

 

 これは松竹氏のブログ記事の冒頭に出てくるエピソードに関する。ブログ記事には「1980年代」としか書かれていないが、ソ連アフガニスタン侵略に反対したと言うなら80年代の早い時期の話だろうなと思ったが、お玉おばさん氏がリツイートした下記ツイートによってその通りだったことを知った。

 

 

 42年前といえば1981年。そう、そのくらいの話なら辻褄が合う。この年、東ドイツの最高指導者だったエーリヒ・ホネッカーが来日した。私は当時大学生だったが、ドイツ語の授業で教師が「マスコミは『ホーネッカー』と呼んでるけど、『ネッカー』と「ホ」に強勢を置いて発音する」と言っていたことを覚えている。ホネッカーは後年ゴルバチョフの改革路線に反対した保守反動の指導者だった。

 その1981年には松竹伸幸氏はまだ26歳。その若さで堂々とそれんのアフガニスタン侵略を批判して「東欧をはじめソ連派の参加者からの猛反撃を受けた」経験をお持ちだというのだから、筋金入りの日本共産党員だった*1と評するほかない。だから氏が共産党に対して悪意を持っているという、村野瀬玲奈氏がブログ記事に書いて宮武嶺氏が賛同した見解に対して弊ブログは「全く同意できない」と書いた。

 この件を論じようという方々は、まず松竹氏の文春新書をお読みいただいてはいかがかと思う今日この頃。

*1:松竹氏は日本共産党を除名されたから、残念ながら過去形で書かざるを得ない。