kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

共産党機関紙「赤旗」の〝松竹除名問題キャンペーン〟がピタリと止んだらしい(『広原盛明のつれづれ日記』より)

 2004年の京都市長選に共産党推薦で立候補した経歴をお持ちの広原盛明氏も、松竹伸幸氏の除名問題に関して共産党を手厳しく批判した。氏の下記記事を読んで、私も氏のブログに読者登録した。氏は1938年生まれで現在84歳、京大工学部建築学科を卒業して京都府立大学教授となり、工学部長を務めた。選考が都市政策だったため、2000年に龍谷大学法学部の教授となり、2004年の京都市長選出馬につながったようだ。

 氏のはてなブログの直近2件が今回の問題に関するものだ。

 

hiroharablog.hatenablog.com

 

 以下、上記リンクの記事を抜粋して引用する。

 

 京都はいま大揺れに揺れている。志位共産党委員長に対する異議申し立てをした松竹伸幸氏と鈴木元氏の二人がいずれも京都ゆかりの人物であるからだ。京都は「大学のまち」であり、蜷川府政の伝統もあってリベラルな知識人が多い。かく言う私もその1人であり、岸田内閣(自公政権)に対する批判では人後に落ちないが、今回ばかりはそれだけではことが済まないような気がする。異議申し立てをした松竹氏が即座に除名され、鈴木氏も遠からず同じ運命をたどると考えられており、その波紋が大きく広がっているからだ。

 

 先日も私たち京童の間では(高齢者集団なので「京童」などいうのはおこがましいが)この問題がもっぱら話題になり、中には「物申す行動」が必要だと息巻く者もいた。一致したのは、世論が圧倒的に「アンチ共産党」に傾いており、このままでいけば、次の選挙では共産党が大きく票を減らすだろうということだ。赤旗は連日「反論キャンペーン」を繰り広げているが、これでは「逆効果」にしかならないのではないか。

 

(中略)

 

 共産党の言い分はおよそ次のことに尽きる。

(1)松竹氏の除名処分は、異論を持ったことに対してではなく、党規約に違反する言動をとったことで行われた。

(2)共産党は、党員の自発的意思によって結ばれた自由な結社であり、自主的・自律的な決定に対する外部からの攻撃(批判)は認めない。

(3)党員は、党の民主集中制を組織原則とする規約は守らなければならず、これに反した場合は手続き上も除名に該当する。

(4)共産党指導部の選出方法が一番民主的で合理的である。党首公選制は「ポスト争い」の種になり、派閥・分派をつくる可能性につながる。私利私欲がなく「ポスト争い」とは無縁の共産党には「党首公選制」なるものは合わない。

 

 この言い分は形式論理としては間違っていない。要するに、共産党は党員が自発的に参加している組織だから、その規則に従うのは当然であり、それを破った者が組織から排除されるのも当然、外部からとやかく言われる筋合いはない――ということだろう。だが問題は、政党が単なる同好会やクラブではないということだ。政党は国の政治変革を目指す政治結社であると同時に「公党」といわれる公的存在でもある。共産党は受け取りを拒否しているが、国民の税金によって政党助成金が支給されるのも政党が公的存在であることに基づいている。つまり、政党は国民と市民社会の中の一部分であり、その中に存在しているのであって、それとは別の世界にいるわけではないのである。

 

 まして、一部の革命集団が社会変革を率いるといった事態がもはや過去のものになった現在、政党がその目的を達成するためには、国民と市民社会の常識や合意を尊重しなければならない。また、それなくして幅広い支持を得ることは不可能であり、やがては消滅していく運命をたどることになる。だからこそ、大手メディアをはじめ国民各層の関心がこの問題に集中しているのであって、単なる共産党の「内部問題」だとは見ていないのである。

 

 朝日・毎日両紙が指摘するように、もはや〝民主集中制〟という組織原則が時代遅れになっているのではないか。党内の議論は一切外部に漏らしてはならない、党組織の間で横の連絡も取ってはならない、決められたことだけを忠実に実行する――といった戦時体制下とも見紛う組織原則は、言論の自由と多様性の承認を原則とする民主的な現代社会には合わない。党首公選制が派閥・分派と結成につながるといった主張は「噴飯もの」でしかなく、党員を馬鹿にしたものとしか思えない。全ての権力が「中央」に集中しているピラミッド型組織の頂点からの主張が、国民の理解を得られるとは到底思えないからである。

 

 いま、共産党は存続を懸けた正念場に差し掛かっているのではないか。国民と市民社会の常識から離れた手前勝手な主張に固執してこのまま衰退していくのか、それとも独善的な主張を改めて「国民の党」「市民の党」として再生するのか、その分岐点に立っているのである。(中略)

 

 再び志位共産党委員長に問いたい。志位氏は自らの進退について「政策が正しければ辞める必要がない」と公言している。しかし、政策の正しさは国民が判断するものであって、志位氏が判断するものではあるまい。それが通るようであれば、そもそも選挙で民意を問うことの意味がなくなる。選挙結果は国民の意思であり、政党に対する総合評価なのであって、それを受け入れられないような政党は退場するしかない――、これが大議論した京童一同の一致した意見だった。

 

 松竹氏の除名処分の波紋が余りも大きいせいか、直ぐにでも出されると聞いていた鈴木元氏の除名が発表されないのが気になる。処分が撤回されたのであればよいが、除名しておいて発表を遅らせるといった姑息な対応をとれば、人心は益々離れていく。京都の共産党もまた正念場を迎えている。

 

(『広原盛明のつれづれ日記』2023年2月19日)

 

出典:https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20230219/1676788780

 

 こういう記事を読むと、共産党はこういう広原氏のブログ記事までをも「反共攻撃」と強弁するのだろうかと思う。

 しかし、本当に私が注目したのはその次の、現時点では最新のエントリだ。

 

hiroharablog.hatenablog.com

 

 以下上記リンクの記事を引用するが、前半と後半に分ける。まず前半。

 

 松竹伸幸氏の『シン・日本共産党宣言、ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)が1月19日に刊行されて以来、共産党が機関紙「赤旗」で(機関銃のように)連日繰り広げてきた〝松竹除名問題キャンペーン“がこのところピタリと止んでいる。2月18日の「おはようニュース問答、大手メディアの共産党バッシングをどうみる?」「松竹氏をめぐる問題Q&A、志位委員長会見から」(日曜版)を最後に、それ以降は同種の記事や主張がどこを探しても見つからなくなった。「赤旗」が総力挙げて反撃体制を構え、編集局次長や政治部長などを動員して論陣を張っていたにもかかわらず、2月19日以降、ピタリと反撃を止めたのはなぜか。

 

 大手メディアの間では朝日・毎日両紙の社説以降、まだ詳しい解説記事が出ていない。だが、産経新聞(2月20日デジタル版)が小池書記局長の記者会見を次のように報じたのが目を引いた。

 

 ――ジャーナリストの松竹伸幸氏が「分派活動」を理由に共産党から除名された問題で、小池晃書記局長は20日の記者会見で、松竹氏の同調者と認定された党員や処分の有無に関して「それは今、検討中だ」と述べた...。

 

 松竹氏の同調者と認定された党員は、おそらく『志位和夫委員長への手紙、日本共産党の新生を願って』(かもがわ出版)を刊行した鈴木元氏(京都府委員会元常任委員)だと思われる。しかし、松竹氏が2週間余りで「スピード除名」されたことを思えば、鈴木氏の場合は如何にも時間がかかりすぎている。単なる手続き上の問題ではなく、何か別の問題が生じているのではないか。

 

 この件に関して、京都ではさまざまな風聞が流れているが、確かなことは分からない。ただ、以前から志位委員長に対して辞任を求める声が各層から上がっていたが、今回の松竹除名問題によってそれが一気に広がったような気がする。口さがない京都人の間では、それが右であれ左であれ「反権力」「反権威」の気風が強く、批判を厭わない空気が形成されている。そもそも〝民主集中制〟なる共産党の組織原則が絶対的に正しいとは誰も思っていないからだ。

 

 志位委員長に対する不信感が一挙に高まったのは、2021年10月の第49回総選挙のときからのことだ。志位委員長は、この総選挙を「日本の命運がかかった歴史的選挙」「党の歴史で初めて、政権交代、新しい政権の実現に挑戦する選挙」と位置付け、「日本共産党は、総選挙で何としても本気の共闘の態勢をつくりあげ、政権交代を実現し、新しい政権――野党連合政権をつくるために、あらゆる知恵と力をつくす決意であります」と大号令をかけた(赤旗2021年9月9日)。

 

 しかし、京都での「野党共闘」の実態といえば、野党間の政策合意もなければ相互支援協定も結ばれず、野党統一候補も実現しなかった。共産党野党共闘への呼びかけに対して、前原氏などの国民民主党はもとより、福山氏や泉氏が率いる立憲民主党も応じることはなかった。にもかかわらず、共産党は京都1区で「穀田氏を当選させるため」と称して京都3区での候補者擁立を見送り、これを事実上の「野党共闘」だとみなしたのである。

 

 結果は悲惨極まりないものだった。当選9回で党国対委員長の要職にある穀田候補6万5201票は、自民新人候補8万6238票に2万票を超える大差をつけられ、あまつさえ維新新人候補6万2007票に3000票差にまで詰め寄られた。これを2017年10月の第48回総選挙と比較すると、自民候補8万8106票、穀田候補6万1938票、希望の党新人候補3万6134票だから、その政治構図はほとんど変わっていない。変わったのは、維新新人候補が国民民主や立憲民主の支持票を得て穀田候補に肉薄したことだけであり、野党共闘は影も形もなかったのである。志位委員長のいう「党の歴史で初めての政権交代、新しい政権の実現に挑戦する選挙」は全くの幻想にすぎず、それをまざまざと示したのが京都での選挙結果だったのである。

 

 しかし、京都3区の方はもっと影響が大きかった。共産党が京都1区での「見返り」を期待して3区での候補擁立を見送った結果、立憲民主党の泉氏が楽々と当選し、泉氏はこの高得票を材料にして立憲民主党代表に首尾よく就任したからである。泉氏は「提案する野党」を掲げて野党共闘路線を崩壊させ、岸田内閣が国会運営をほしいままにする状況を意図的に作り出した(現在では維新と国会共闘を組むまでになっている)。この泉路線を事実上後押ししたのが共産党であり、それが志位委員長の指示に基づくものであったことは否定しようがない。京都では(老いたる京童を含めて)かくなる戦略上の誤りを犯した志位委員長は「A級戦犯」であり、一刻も早く退陣すべきだと考えている人が多い。

 

(『広原盛明のつれづれ日記』2023年2月24日)

 

出典:https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20230224/1677182638

 

 上記引用文の冒頭部分に関しては、共産党の「撃ち方止め!」の話など全然知らなかったので驚いた。また中ほどで青字ボールドにした部分は、一昨日(2/23)の弊ブログ記事に書いた、本当に共産党に大きなダメージを与えたのは2021年衆院選である一方、本当に立民に大きなダメージを与えたのは泉健太が代表になったあとの2022年参院選であり、こたつぬこ氏のツイートが書いたのとは逆の順番ではないかと指摘したうちの共産党に関する部分の論拠となり得るものだ。そして最後の部分に関しては、ここまで率直かつ痛烈きわまりない批判がかつての共産党推薦の京都市長選候補から出されたことに驚いた。

 以下、記事の後半部を引用する。

 

 話を元に戻そう。赤旗があれだけ声高に叫んでいた〝松竹除名問題キャンペーン〟を突如止めたのはなぜか。「週刊現代ストーリー」(現代ビジネス2月22日版)には、共産党関係者の話として興味深い話題が紹介されている。これを「ガセネタ」だと決めつけて一蹴するのもよいが、ここでは一種の「世間話」として紹介しておこう。なお、「 」内は共産党関係者の言葉である。

 

 ――「共産党の委員長を天皇にたとえるのは皮肉が過ぎるかもしれませんが、志位氏が天皇だとしたら、上皇としてまさに院政を敷くのが不破哲三前議長(93)です。不破氏の考えに志位氏が反対することはなかなか難しい。そんな不破氏がついに志位氏の交代を視野に動き始めたようです」

 

 コトの発端は、1月19日に同党の党員でジャーナリスト・松竹伸幸氏による『シン・日本共産党宣言、ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)が刊行されたことだった。「松竹氏は会見で志位氏の在任期間が22年にわたっている点について“国民の常識からかけ離れていると言わざるを得ない”と指摘しました。そう言われると政治に詳しくない人も“確かにそうだよなぁ”と感じるところもあり、共産党は時代錯誤的だと思った人も少なくないのかもしれません」。共産党の動きは速く、松竹氏の除名が2月6日に確定した。

 

 これに対して朝日新聞は同月8日の社説で「共産党員の除名、国民遠ざける異論封じ」、毎日新聞も同様に10日、「共産の党員除名、時代にそぐわぬ異論封じ」との社説を展開した。志位氏は会見で「あまりに不見識。朝日に指図されるいわれはないんです」と訴え、毎日に対しては田村智子政策委員長(57)も会見で、「憲法上の結社の自由という立場に立った時に、この社説はあまりにも見識を欠いたものではないか」「党に対する攻撃と攪乱以外のなにものでもない」と主張した。

 

 「共産党側の過剰なリアクションを見るにつけ、松竹氏が引き金を引いた一連の批判が共産党にとって痛かったのは間違いないでしょう。良くも悪くも共産党は世間の耳目を集めることがほとんどないため、危機管理に対する感覚も鈍くなっていたのかもしれません。少なくとも松竹氏をスピード除名したのは失策だと指摘されていますね」

 

 同様に失策だと感じているのは、他ならぬ不破氏だ。「執行部の対応ぶりを注視する中、『委員長もそろそろ……』という判断になったようです。顔となる人物が旧態依然としていては停滞するばかりの党勢の拡大など望めない。それを思い知らされた一件だったのでしょう」。「今や党の危急存亡のときで、とりわけ若い層にどれだけアピールできるかがテーマ。最終的には最高幹部である小池晃書記局長(62)か田村副委員長が昇格する可能性ももちろんありますが、『30代の劇薬』を投入しなければ立ち行かないほど追い詰められていることも事実。最速で来年の党大会で交代があり得ると噂されています」。

 

 この世間話は、図らずも現在の共産党の体質を象徴しているかのようだ。国民や社会の批判、メディアの主張などに対しては、これを「攻撃」とみなして激しく反撃するが、上御一人の言葉にはひれ伏すかのように従う――といった上意下達の体質である。またこの世間話は、〝松竹除名問題キャンペーン〟がピタリと止んだ現在の状況も的確に説明している。赤旗はあれほど激しく反撃していたにもかかわらず、その後はまるで何事もなかったかのように沈黙を続けている。一貫して問題の解明に取り組むことがジャーナリズムの使命だとするなら、赤旗はこの問題について「ある日突然」沈黙した理由を明らかにしなければならないのではないか。

 

 仮に不破議長が志位委員長に引導を渡して退陣させる――といったシナリオが実現したとしよう。しかし、またしても志位氏(68歳)が不破氏の年齢(93歳)まで議長を続けることになれば、これからも四半世紀にわたって共産党の体質はなお変わらないことになる。これは悪夢としか言いようのない事態であり、国民や社会が愛想を尽かすこと疑いなしだ。繰り返して言うが、いま共産党は存続の正念場に立っている。(つづく)

 

(『広原盛明のつれづれ日記』2023年2月24日)

 

出典:https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20230224/1677182638 

 

 上記広原氏のブログには現代ビジネスの記事へのリンクが張られていないので、下記に示しておく。はてなブコメを参照できるように、オリジナルとYahoo! ニュースに転載されたものの両方をリンクした。

 

gendai.media

 

news.yahoo.co.jp

 

 不破哲三に関しては、重病のために影響力を及ぼせないはずだとの推測と、不破氏が影響力を発揮して志位和夫に強権的な処分を行わせたとの両説があったが、そのいずれとも異なる第三の説として、不破氏が影響力を発揮して志位和夫を下ろそうとしているという説が現れたことになる。私は上記記事を読んだがガセネタかもしれないと思って放置していた。しかし広原氏が取り上げたので、弊ブログも氏のブログを孫引きする形でここに取り上げた。

 ここでは、この真偽不明の噂話に関して広原氏が

 仮に不破議長が志位委員長に引導を渡して退陣させる――といったシナリオが実現したとしよう。しかし、またしても志位氏(68歳)が不破氏の年齢(93歳)まで議長を続けることになれば、これからも四半世紀にわたって共産党の体質はなお変わらないことになる。これは悪夢としか言いようのない事態であり、国民や社会が愛想を尽かすこと疑いなしだ。繰り返して言うが、いま共産党は存続の正念場に立っている。

と書いている点が注目される。

 これは本当にその通りだと思う。仮に委員長の首を山添拓氏に挿(す)げ替えたところで組織を動かすメカニズムが変わらない限り何の意味もない。