日本共産党は党委員長を志位和夫から田村智子に交代したものの、その実態は相変わらずの「志位支配」であることをもはや隠そうともしていないかのように見える。
広原盛明氏のブログ記事の冒頭部分を引用する。
歴史的な京都市長選が終わった翌々日(2月6日)、日本共産党の全国都道府県委員長会議が開かれた。その模様は、赤旗(2月7~9日)で詳しく報道されている。驚いたのは、田村委員長の「問題提起」が前座として取り扱われ、志位議長の「中間発言」が本番に位置づけられていたことだ。率直に言って、田村委員長の「問題提起」は大会決議の党勢拡大方針の単なる解説に過ぎず、全ての内容は志位議長の「中間発言」に託されていたのである。
志位委員長時代の赤旗紙面は、重要会議の記事は悉く「志位発言」で埋め尽くされていた。ところが、田村委員長になって初めての今回の全国都道府県委員長会議では、田村発言は脇役に追いやられ、質量ともに志位議長の「中間発言」がど真ん中に位置しているではないか(紙面の分量でも田村発言は志位発言の6割にすぎない)。志位議長の発言は、「中間発言」と言いながらも事実上の「最終発言」であり、大会決議の実行を全国都道府県委員長に指示する「結語」として位置づけられているのである。(後略)
(『広原盛明のつれづれ日記』2024年2月11日)
URL: https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20240211/1707619989
ダメだこりゃ、と改めて思った。
共産党内のパワハラ問題がテレビで報じられることはほとんどない。何週間か前のサンデーモーニングもそうだった。共産党支持系人士と目される元共同通信の青木理が保守反動人士と私がみなしている田中秀征と馴れ合って田村氏にお追従たらたらのコメントを垂れ流していたので呆れたものだ。その様子は下記Xが書いた通り。
サンモニ田中秀征氏
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) 2024年1月21日
共産党田村智子新委員長は、青木さんと同窓みたいですよ
青木理氏
僕の高校の先輩です(笑)
田中秀征氏
長野県で久しぶりの党首で過去にとらわれずぼんぼんやっていただきたい
→共産党の禅譲を追求しないのはなぜ?地元のよしみですか(笑)
今のところ共産党の政党支持率はお祝儀相場で少し上がっているが、長続きしないだろうと思われる。
政治おじいちゃんお化け氏も支持政党群から共産党を外したそうだ。氏のマストドンより。
菅義偉が苦労人であるのは事実だが、だからと言って弱者のための政治をやるかといえば、そうではないどころかその真逆の剥き出しの新自由主義的な政治をやる点にこの人物の最大の特徴がある。
苦労人が極端なネオリベに走ることは決して珍しくない。その最大の例が橋下徹だ。実際、菅は第2〜4次安倍内閣で官房長官を務めた頃から自らの政権時代の8年間にわたって維新に便宜を図り続けていた。もっともそのせいで、2012年衆院選であれほど伸びた維新の党勢がその後の2度の衆院選では伸びず、それどころか2017年衆院選では希望の党とそれへの反発でできた立憲民主党(旧立民)の煽りを食って、結党以来最低の結果に終わった。菅が政権を去ってから選挙で維新が躍進を続けたことは偶然ではない。
私は、菅義偉*1だけは絶対に政権に返り咲かせてはならない人間だと思っている。世の中には、苦労してもネオリベ化しなかった武蔵野市の五十嵐衣里市議*2のような人もいるが、橋下や菅義偉みたいな類型の方が多いのではないか。
なお、次の選挙での元号新選組の見立てについては政治おじいちゃんお化け氏の下記マストドンに同感だ。
共産党だけではなく自民党も立憲民主党(立民)も変わらなければならない情勢なのに全く変わろうとしていない。立民など、東京15区補選に先の江東区長選で野党共闘候補として2位にはなったものの都ファ系で自公が相乗りした大久保朋果に完敗した酒井菜摘を立てようとする動きがあったらしいと知って呆れてしまった。酒井氏は区長選に立候補する前は江東区議で、この区ではいたって弱い立民にあって唯一の有望株だと私はみているが*3、その有望株を潰すような真似をしてはならない。酒井氏はまず来年の都議選を目指すべきだろう。今の情勢だと、酒井氏を衆院補選に立てたところで区長選と同じように自公に都ファ系の候補者を持ってこられたらひとたまりもない。だからさしもの立民都連も他党との共闘を模索しているのだろうが、その過程で名前が上がったのが須藤元気では本当にどうしようもない。民民が立てようとしている元フリーアナの候補者にも大いに疑問だが、須藤元気はその人よりもさらにずっとひどいと断言できる。
やはり立民にも人がいないんだなあと改めて思わされる。そもそも何をやりたいのか、どんな社会を目指すのかが全くはっきりせず、自民にすり寄ったり維新にすり寄ったりと迷走を続ける泉健太がいつまでも党代表に居座り続けていることが最大のガンだ。泉の得意技は党内での権力工作だが、いつも書く通り得意技が泉と同じなのが総理大臣の岸田文雄だろう。だから自民党支持率が下がり続けても立民の支持率がいっこうに上がらないのである。そもそも泉は2021年衆院選の敗北(惜敗)に対する立民の間違った総括の結果生まれた党代表だ。この立民の総括の誤りと、同じ選挙の結果について総括すべきところを総括しなかった共産党がそれ以降権威主義をむき出しにしたために両党の不振が続き、そのせいで自民党への投票から離れた無党派層の票が立民や共産には向かわずに維新や新選組その他に向かっているのが現状だろうと私はみている。
共産党の話に戻る。昨日の東京新聞に共産党に関する中央大・中北浩爾教授のインタビュー記事が掲載された。その前半部分を以下に引用する。
野党共闘「期待したが、全くの幻想だった」…中北浩爾・中央大教授が語った「共産党の多難な今後」
2024年2月11日 06時00分
100年を超える歴史上初めての女性トップという思い切った人事で、新たなスタートを切った共産党。その独特の組織文化はしばしば論争の的になるが、田村智子・新委員長の下で何かが変わるのか。「日本共産党―『革命』を夢見た100年」の著書がある中北浩爾・中央大教授(政治学)に聞いた。
◆トップ交代 「田村氏が独自に判断できる余地は小さい」
―20年以上にわたり党を率いた志位和夫氏が退き、田村智子氏が新たな委員長に就いた。
共産党は近年、ジェンダー平等を推進し、議員や党幹部に女性を増やしてきた。その一環として高く評価する。しかし、委員長交代の内実は乏しい。国会やテレビ出演などの表向きは田村氏が担う一方で、議長に就いた志位氏が党運営全般について引き続き中心を担う。共産党は集団指導体制の下、長老支配の傾向が強く、田村氏が独自に判断できる余地は小さい。
―刷新人事で局面打開を図った党の現状は。
1960~70年代は時代とマッチして躍進したが、80年代以降は党員数、機関紙「しんぶん赤旗」の購読者数、国会の議席数などで後退が続く。90年代後半の議席の増加は社会党が、2010年代前半の躍進は民主党がしぼんだ分を吸収したことが大きく、一時的でしかなかった。今年1月の党大会に向けて党員数と「赤旗」の購読者数を3割増しにする目標を掲げたが、現状維持もできなかった。なのに科学的な総括はなされず、精神論で増やせと号令するだけだ。
◆党勢低迷と組織体質 「党内にも権力制約原理を導入すべきだ」
―党低迷の背景は。
ソ連が崩壊し、共産主義が魅力を失ったことが最大の理由だ。共産党はロシア革命を受けて結成された政党。日本共産党が自主独立路線に転換していたとはいえ、かつての総本山が既に崩壊していることや、中国や北朝鮮の兄弟党の現状を見れば、共産主義に未来があるとは思えないだろう。イタリア共産党は民主党に変わり、フランス共産党は共産党のまま衰退した。日本共産党も青年組織の民青同盟のメンバー数がソ連崩壊後に激減し、党員の高齢化が著しい。
もう一つの衰退の理由は、昔ながらの「民主集中制」という組織原則の堅持。革命のため統一的な力が必要だとして、トップダウンで派閥・分派を認めない。しかし、欧州の急進左派の主流は今や共産党ではなく、ドイツ左翼党や「不服従のフランス」など開かれた党組織を持つ民主的社会主義政党だ。
―志位体制下の昨年、党改革を訴えた古参党員を除名し「強権的」との批判を浴びた。1月の党大会では、除名に異論を唱えた地方議員を田村氏が糾弾する場面もあった。
昨年の2党員の除名処分は、従来の体質が変わらないことを示した。先の党大会では、控えめに問題提起した神奈川県議を大勢の代議員の前でつるし上げ、人格攻撃を加えた。中央委員会総会で議論した結果を田村氏が読み上げたもので、組織ぐるみのパワハラだ。地域の党組織でもパワハラが起きているとの告発が交流サイト(SNS)上で相次ぎ、「#MeToo運動」のようになっている。
なぜ、こうしたことが起きるのか。党内のことは党内で解決するという閉鎖的な「民主集中制」が原因だ。その下で党指導部が絶大な権力を持ち、異論を唱える党員を「支配勢力に屈服した」と糾弾する。「分派を認めない」といった党規約の解釈権も党指導部が握り、簡単に除名や除籍を行い、反共の烙印を押して排除する。共産党は立憲主義を唱えているが、党内にも権力制約原理を導入すべきだ。(後略)
(東京新聞より)
上記引用文の最初の部分は、一言で言うと田村智子は志位和夫の傀儡(かいらい)に過ぎないというもので、これは本当にその通りだろう。それに続く「民主集中制」の問題については、民主集中制全体ではなくその中の「分派禁止」に批判の焦点を絞る方が良いと弊ブログはいつも書いている。
最後の「共産党内に権力制約原理を導入すべきだ」という点には全面的に同感だが、これに関しても少し前の弊ブログ記事に下記のように書いた。
やはり党の統治原理としても立憲主義的な権力を拘束する要素が必要なのではないか。
なお、そのような統治原理は自民党にも立憲民主党(立民)にもない。だから権力工作を得意とする人たち(岸田文雄や泉健太)が相当に恣意(志位)的な党内統治をしているように私には見える。自民はもう論外だが、立民についていえば、やっぱり補選が確定的になった今に至るまで東京15区の総支部長を決めていないではないかと、身近な事柄についても怒り心頭に発している。
URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2024/02/04/090006
論外の自民党はいうまでもなく、「立憲」の2文字を党名に冠する立憲民主党(立民)にしても、党の権力者たちの放恣な権力行使を縛り切れておらずに迷走しているのではないかと思わずにはいられない。しかもそんな党執行部を組織防衛志向の強い支持者たちが必死に守ろうとする。これでは立民の政党支持率がいっこうに上向かないのも当然ではなかろうか。これはもう何回書いたかわからないけれども、いつもそう思っている。