kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「民衆が政府に対して申し立てする」動きが維新や新選組に回収されてしまっていることが問題。2000年代末には結構強かった社民主義的な主張が現在はほとんど見られなくなった

 2009年の政権交代を目前に控えていた頃と現在とを比較すると、自民党に対する逆風がきわめて強くなってきた共通点はあるが、大きな相違点もある。

 それは、00年代末には結構強かった社民主義的な主張が現在はほとんど見られないように思われることだ。

 00年代後半の自民党政治への批判は、当時の小泉(純一郎)・竹中(平蔵)体制への反感から始まった。NHK特集で、確か2006年から07年にかけて「ワーキングプア」が3回放送された。新自由主義の立場に立っていた経済学者の転向宣言もあった。あの舛添要一までもが「日本(人)には高福祉高負担が合っている」と言った。

 しかし2009年に成立した民主党政権で直ちに思い出されるのは「事業仕分け」でしかなかった。もちろん「子ども手当」のように、のちに自公政権の復活で潰された先進的な政策もあったとはいえ、民主党政権新自由主義者である高橋洋一の「埋蔵金理論」を当てにするなど、小沢一郎の「国民の生活が第一」とのスローガンとは裏腹の鵺的な政権だったことが痛恨だった。そもそも小沢はもともと自民党でも有数の新自由主義的性格が強い政治家だったのが権力闘争の都合で転向した人だったから、彼が幹事長として事実上独裁した民主党政治にはどうしても付け焼き刃的な限界があり、何かにつけて新自由主義的な地金が現れがちだったのだ。当時「小澤征爾はえらいが小沢政治はろくでもない」という笑い話でネットのごく一部で盛り上がったことを覚えている。小沢は2011年には東日本大震災や東電原発事故の直後という大変な時期に菅直人と権力闘争をやらかして自公を内閣不信任案提出にけしかける始末で、この時の悪印象による民主党系政党に対する今も根強く残る不信感の原因になっている。

 代わって2010年代に台頭したのが日本維新の会だった。また小沢系の流れをくむ政党として支持を伸ばし続けているのが山本太郎元号新選組である。しかし不思議なことに、この2党からはまともな政治家がいっこうに出てこない。前者は最初は橋下徹独裁、ついで橋下と松井一郎の双頭支配、現在は執行部による寡頭支配の典型的な権威主義政党で、その政策は手垢のついた古臭い新自由主義である。後者は山本太郎による独裁政党で、陰謀論的体質が強い。政策はよくわからないが、現在は「減税」を表に出していて、その点ではやはり新自由主義的性格が強いといえる。

 左派では党名に「社民」を掲げる社民党はすっかり零細政党に落ちぶれた。共産党は2021年衆院選の総括を当時委員長だった志位和夫が拒否して以来、権威主義的性格をむき出しにするようになった。現状が続くようだと社民党の後を追うことになりそうだ。

 相対的に見て中道的な政党と位置づけられる立民は、2021年の衆院選敗北に対する間違った総括から泉健太体制を生み出してしまったが、現在は組織防衛志向の強い支持者たちが泉体制を守ろうと必死になっているので、非常に魅力のない政党になっている。

 以上が現在の日本の政治に対する私の見立てだ。

 現在も社民党員かどうかは知らないが、まことん氏がXのポストを再開されたようだ。以下いくつか拾う。

 

 

 それで良いのではないでしょうか。

 

 

 問題は「民衆が政府に対して申し立てする」動きが維新や新選組に回収されてしまっているところにあると思います。泉健太なんかはどんなに足蹴にされても維新にすり寄りたいみたいですし。

 

 

 「反緊縮」とはもともとは財政支出を抑える政策に対する批判を指した言葉で、その意味であれば正しいと思いますが、元号新選組などによる長年の(といっても良いと思う。組の結成からもうすぐ5年になるし)刷り込みによって「減税」を指すことになってしまってますからね。東京15区に須藤元気なんか論外というのは選挙区民として同感です。反自公が維新か山本太郎系かなんて選択は本当に馬鹿げています。

 なんたってどっちも新自由主義系ですからね。