kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

まことん氏のツイートより

 まことん氏のツイートより。

 

 

 そうなんですよねえ。

 「山本太郎と×××新選組」の問題点はそこに尽きると言っても過言ではないと思います。

 ああいうワンマンの組織は、野望を持った人間(山本太郎自身ではなく、山本を利用しようとする野心家)にとっては良いカモであって、独裁者に取り入ることさえできれば自らのやりたいことが簡単に実現できてしまいます。それでいて自身の存在はカリスマ指導者に隠れて目立たないどころか気付かれもしないわけだから実においしいものです。ある種の陰謀論者にとってはこれ以上ありがたいものはないでしょう。

 

 

 2003年に自由党と合流する前の民主党は、当時その危険性があまり認識されていなかった新自由主義に侵されまくっているという大きな欠点を持っていましたが、その一方で野田佳彦グループの名称が「百花斉放」からとられた「花斉会」だったことからも窺われる通り、言いたいことを言い合う気風がありました。それが大きく変わったのは2006〜09年の小沢一郎代表時代で、2008年には民主党代表選の実施を小沢が封じてしまいました。その独裁志向が反小沢側にも伝染してしまったのがその後の民主・民進系でしたね。もっとも菅直人が「(政権交代は)期限を区切った独裁だ」などと放言していましたから、反小沢の側にももともと権威主義の下地はあったとみなければなりませんが。総じて、2000年代以降の民主・民進系には、リベラリズムから権威主義への移行という大きな流れがあったといえるでしょう。

 弊ブログは立民発足前に「民進党信者」などと書いて、当時のカリスマツイッタラー(その後個人情報を暴かれて失脚してしまった人)から嫌がられたり、立民ができてからも「立民信者」とか「枝野信者」等の表現もしてきました。山本太郎と×××新選組は、その権威主義をさらに極端にした指導者であり政党であるというほかありません。

 

 

 これにも同感です。2017年に前原誠司が「希望の党」で高転びに転ぶまでは、前原のほか、細野豪志長島昭久馬淵澄夫民進党右派が党の主導権を握り、中間派(政治思想はゴリゴリに近い保守派)の岡田克也を追い落とすなどやりたい放題でしたが、この時代は下部(支持者たち)の意識と上部(国会議員たち)の言動が大きく乖離していました。その溜まりに溜まった歪みエネルギーが一気に解放された結果が、希望の党騒動と旧立憲民主党への突風ともいうべき激しい追い風でした。しかしそれもまた下部の志向(民主・民進系支持者の間では、未だに惰性力による新自由主義志向が強いと思われる)との上部と言動との乖離を招き、昨年の衆院選での立民敗北と枝野辞任によって、2017年の希望の党騒動以前には及ばないものの「かなりの逆風」が吹いているのが現状だと考えています。

 その間、民主・民進系で最近20年に大きな問題になりつつある権威主義への流れは変わっていません。旧立民で枝野幸男が「草の根」「ボトムアップ」等の言葉を口にしながらも、実際には枝野の個人商店みたいな性格の政党になってしまったことは見落とせません。

 

 

 大日本帝国の中国侵略について少しでも真面目に考えたことがある者であれば誰でも、ウクライナ侵略戦争を行っているロシアがかつての大日本帝国そっくりであるとわかるはずですけどねえ。どうしてあんな「DD論」が出てくるんだか、全く理解できません。党名に元号を冠する政党がDD論に侵されるのは必然だろうとは思いますけど。

 

 

 

 そう、山本太郎はれっきとした9条改憲論者なんですよね。

 私自身は天皇制を廃止すべきだと考えているので(天皇制を温存している限り、この記事で批判しているこの国の権威主義はなくならないと私は考えています)本当の護憲論者ではない、というより遠い将来には改憲すべきだと考えていますが、9条は変えるべきではないし、近い将来の改憲は反動的なものにしかなりようがないと確信しているため、「期限を区切った護憲論者」です。

 

 

 弊ブログは「野党共闘選挙制度の再改変(衆院選での小選挙区制の廃止)を長期目標としてそれまでの時限的なものと位置づけるべきだ」とずっと言い続けていますが、選挙制度の問題は衆院選の直後にしか議論されません。社会に働くもっとも強い力は惰性力だと持論の正しさを示す格好の見本だと考えています。1990年代の「政治改革」ほどその後の政治を悪くしたものはありません。その最大の責任者が小沢一郎でした。