kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

共産党の松竹伸幸氏除名問題の核心部は「分派禁止」条項の是非ではないか

 リベラル・左派のブログ界隈では松竹伸幸氏の共産党除名問題について、氏の安全保障政策に焦点を当てる発信が多いように思うが、私は問題の核心はそこではなく、情報化時代に対応した共産党の党内統治機構の改革を松竹氏は求めているのではないかと思う。

 というのは、社民系の私でも同意できない氏の安全保障政策で共産党内の多数派となって党首公選に勝って党首になりたいと氏が考えているとは全く思われないからだ。その実現可能性は皆無だ。

 氏の著書やブログ記事を読むと、氏は何より共産党の「見える化*1を求めているように思われる。それは俗に「民主集中制」という言葉で表されがちだし、つい最近まで私もその一人だったが、このところ何度も書いたことだけれども、私は加藤哲郎氏による下記「民主集中制」の解説を読んで目を開かされた。

 

民主集中制
みんしゅしゅうちゅうせい
Democratic Centralism

 

共産主義政党および社会主義諸国家において公式の組織原理とされたもので、民主主義中央集権制ともいう。自由主義的分散主義と官僚主義的集権主義の双方と異なり、民主主義の原則と中央集権主義の原則とを統一したと称される論争的概念。典型的には、スターリン時代の1934年にソ連共産党規約に明記され、各国共産党規約に採用された、〔1〕党の上から下まですべての指導機関の選挙制、〔2〕党組織に対する党機関の定期的報告義務制、〔3〕厳格な党規律と少数者の多数者への服従、〔4〕下級機関および全党員にとっての上級機関の決定の無条件的拘束性、の原則をいうが、その実際の運用にあたっては、「党内民主主義」を制限し、共産主義政党の国民に対する閉鎖性・抑圧性を印象づける現実的機能をも果たした。そのため1989年東欧革命前後に、イタリア、フランス、スペインなどの共産党民主集中制を放棄して変身をはかった。

 

 もともと歴史的には、民主集中制は、ロシア社会民主労働党(今日のロシア共産党の前身)が、1905年革命の過程で、党内のメンシェビキ派とボリシェビキ派を統一する原理として形成された。当時の西欧社会主義政党ドイツ社会民主党など)は、おおむね「民主主義」を組織原理とし、ロシアの革命組織はツァーリ専制下の非合法秘密結社として「集権主義」的特徴をもっていたから、この1905年革命期の民主集中制採用は、ロシアの党組織における西欧風「民主主義」(指導部選挙制、党内公開討論など)導入を意味しており1906年の両派合同大会で党規約にも明示され、ボリシェビキ派のレーニンはこの内容を「批判の自由と行動の統一」とまとめあげた。12年にメンシェビキとの分裂が決定的になり、17年の二月革命十月革命のさなかでも、民主集中制は基本的に党内の「批判の自由と行動の統一」として機能した。

 

 しかし、革命勝利後の内戦と干渉戦争のなかで、またソビエト権力における共産党ボリシェビキ)一党支配の事実上の成立によって、民主集中制は第10回党大会(1921)の「分派の禁止」決議と結び付き、「一枚岩の党」「鉄の規律」「軍隊的規律」「上級の決定の無条件の実行」といった「集権主義」的契機を強調するものとなり、これがコミンテルンの「加入条件21か条」にも明記されて、各国共産党を拘束する組織原理へと国際化された。また、一党制による党と国家の癒着を媒介として、党のみならず労働組合など大衆諸組織の組織原理に、中央政府と地方行政組織など国家機構の組織原理に、また計画経済の運営原理や社会全体の編成原理へと普遍化されていった。1991年に崩壊したソ連では、憲法民主集中制を国家組織原則として明記していた。

 

 この概念が論争的であるのは、特殊にロシアの革命組織から生まれたものであり、その国際化の過程で「党内民主主義」を制限する集権的原理として機能し、1989年東欧革命で民衆により打倒された「現存社会主義」の国家・社会秩序を正統化する党派的色彩を帯びてきたからである。

加藤哲郎

 

出典:民主集中制(みんしゅしゅうちゅうせい)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

 いうまでもなく加藤哲郎氏は共産党系の人ではない。だからこういう解説が書けるわけだが、民主集中制を上記引用文中で青字ボールドにした「批判の自由と行動の統一」という広い意味で捉えるなら、それは香西かつ介の言い分ではないけれども企業の商品開発の過程においても当てはまるまっとうな理念だ。

 しかし、そこに「分派の禁止」が加わると話は全く変わってくる。

 少し前に日本社会党も1964年から1991年まで規約に「民主集中制」が書かれていたことを弊ブログの記事で示したが、あの記事に最初誤って「江田三郎は1977年に社会党を除名された」と書いてしまった。それはうっかりWikipediaの間違った記載を、「えっ、江田氏って除名されてたっけ」と思いながらも信用してしまった私の軽率さのせいだが、その後すぐにWikipediaは訂正されたものの訂正前のWikipediaに拠ったWeblio辞書「江田三郎」の項にはまだ下記の誤記が残っている。

 

明けて1977年の党大会では社会主義協会系の活動家たちから吊し上げられる。この結果、江田は社会党改革に絶望して離党しようとしたものの、離党届を受け付けられず、逆に除名処分を受けた。

 

出典:江田三郎 - 江田三郎の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

 

 ちなみにWikipedia「江田三郎」の項は、現在は

1977年(昭和52年)に離党し社会市民連合社民連の前身)を結成したが、同年5月22日に急死した[1]

と訂正されている。

 実は当時の社会党江田三郎ではなく江田の妻を除名するという嫌がらせのような処分を行ったのだが、江田三郎は除名しなかった。以下は私の推測になるが、それは当時の社会党の規約に「民主集中制」は書かれていても「分派の禁止」は書かれていなかったからではなかろうか。念のために1964年の同党の規約に「分派」の文字がないかを調べてみたが、やはり書かれていなかった。なるほど、こういうところに共産党社会党の性格の違いがあったのかと大いに納得した。

 このように考えながら昨日の松竹氏のブログ記事を見てみるとなかなか興味深い。

 

ameblo.jp

 

 以下に全文を引用する。

 

 この論文は、直接に私を批判したものではない。「「朝日」コラムにあらわれた“反共主義という呪縛”」というタイトルで分かるように、朝日新聞の「社説」欄に「序破急」というコラムがあるのだが、そこに書かれた「『民主集中制』という呪縛」という論考への「反撃」である。

 

 そういうこともあって、谷本諭さんの「反撃」の全体についてはコメントしない。メディアによる政党の内部問題批判を「「結社の自由」への介入、民主主義破壊の行動」とまで言ってしまったら、メディアが自民党の派閥争いを問題にすることもできなくなってしまうし、共産党がそこまで求めるなら自民党からは歓迎されるだろうが、メディアは言論機関としての役割を果たせなくなってしまう。まあ、でもその問題は、それを言い出した志位さんの記者会見を批判する際にでも、まとめて論じることにする。

 

 谷本論文の最大の特徴は、「『民主集中制』という呪縛」コラムが述べていることを、まったく理解しないで「反撃」を加えていることにある。いや、理解はしているが、コラムの中心点を紹介してしまったら、日本共産党にとって不都合なので隠しているのか、それは分からない。とにかく、何を述べているのかを一行も紹介しないまま、ただただ別の問題での批判を書き連ねており、それで反論したと思い込んでいることに特徴がある。

 

 どういうことか。谷本論文では、「(民主集中制という)同じ言葉を規約や憲法で用いている中国共産党の事例を持ち出し、日本共産党を中国の党・政府と同列視する議論まで展開しています」としている。それを紹介すると、「ああ、朝日のコラムは民主集中制を批判しているのだ」「日本と中国の共産党を同列視して批判しているのだ」と読者は思い込むだろう。これを読んだ党員や読者は、いくらなんでも中国と一緒であるはずがないと、それだけで朝日のコラムには目を向けなくなるという効果は期待できるのかもしれない。

 

 しかし「朝日」のコラムは、そんなことは書いていない(コラム子の本心は分からないが)。このコラムの核心は以下の通りだ(と私には思える)。

 

 「民主集中制は、……『民主的に議論し、決定したら統一的に行動すること』を指す。それなら、公選で指導者を民主的に選び、当選者を統一的に支持すればいいはずだ」

 

 つまり、谷本さんが強調するように民主集中制を批判したものではない。それとは正反対に、民主集中制と党首公選は両立するのではないか、日本共産党はこの組織原則を堅持したままであってもいいから、党首公選をしたらどうか、その選挙での「当選者を統一的に支持すれば」、民主集中制の原則を維持したままで公選はできるでないかと、このコラムは問いかけているのである。(続)

 

出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12790631764.html

 

 明らかに松竹氏は「民主集中制」を「批判の自由と行動の統一」という広い意味において用い、それと党首公選とは両立すると書いている。しかし共産党の規約には分派の禁止が明記されているから、分派禁止の条項がおかしいとは松竹氏には書けない。氏は今後除名処分の撤回を求めるつもりのようだからだ。しかし私は共産党の部外者だし、少し前にくろかわしげる氏が「西欧の社民政党ではあり得ない」として批判した民主集中制が明記されていた日本社会党の規約にも分派禁止の条項はなかったから、堂々と分派禁止の条項を批判することができる。

 民間企業でも会社にダメージを与えるような行為が懲戒免職の対象になることはもちろんだが、党規約に「分派の禁止」を規定することが党運営に良い影響があるとは全く思えない。それどころかスターリン毛沢東や金一族のような悪例ばかりが思い浮かぶ。

 せっかく「宮本路線」でそれらの国とは違う道を選んで100年間生き延びてきた日本共産党なのだから、少しは柔軟な態度で議論していただきたいと思う。少なくとも「分派の禁止」が「民主集中制」の必然の要請かどうかくらいは議論されてしかるべきであろう。

*1:民間企業にお勤めの方ならこの「見える化」という言葉にはおなじみだろう。ネット検索をかけると、この言葉の言い出しっぺはトヨタで、1998年ごろから使われ始めた言葉らしい。