kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「年末に大勢の前でぼくが受けた仕打ちそっくり。 吐きそう。スターリナ…。」(紙屋高雪氏のX)

 紙屋高雪氏のXより。

 

 

 いうまでもなく語尾が日本語の「あ」段で終わるロシア姓は女性の姓なので、「スターリナ」とは「女性のスターリン」を意味する。つまり紙屋(神谷)氏は田村智子を指して「スターリンみたいな女性だ」だと言っているわけだ。

 

 下記は中北浩爾・中央大教授が書いた産経新聞記事へのヤフコメ。

 

日本共産党は革命のために民主集中制が必要だと主張し、分派の禁止を規約に書き込んでいます。この民主集中制パワハラの温床であることを、映像と音声で示したのが、今回の党大会での田村氏の「結語」の演説でした。是非、動画で見てみてください。演壇から一方的に延々と糾弾され、1000人もの代議員が拍手するなかで着席していたであろう大山氏の心境を思うと、私自身、気持ちが落ち込みました。 一週間ほど前の1月11日、7名の党員が匿名で記者会見を行い、理不尽な党員除名の撤回やハラスメント対策などを求めました。こちらもYoutubeで見ることができます。そこでは、党内でハラスメントが起きているという訴えが実例をもってなされました。今回の党大会では、この訴えが本当であることが明らかになりました。 民主集中制は、そもそもソ連発の暴力革命のための組織原則。今の時代、もっと自由で開かれた党組織に変えるべきでしょう。

 

URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/009ef0a638a039c54a5a7dfe014f5fb601ce8ab5

 

 実は弊ブログは以前にも何度か書いた通り、「民主集中制」を全否定する立場には立たない。弊ブログが否定するのは、共産党民主集中制に「分派の禁止」の条項が含まれていることだ。民主集中制だけならかつての日本社会党の規約でも規定されていた。しかし当時の社会党民主集中制には「分派の禁止」の条項は含まれていなかった。それが共産党の規約には含まれている。だから今回の共産党大会での大山奈々子神奈川県議の吊し上げを田村智子氏が率先して行うなどというパワハラ以外の何物でもない暴挙がまかり通るのだ。

 中北教授は「演壇から一方的に延々と糾弾され、1000人もの代議員が拍手するなかで着席していたであろう大山氏の心境を思うと、私自身、気持ちが落ち込みました」と書いている。私もそれに強く共感する。

 この文章に共感できない人は、間違いなく組織内権力において権力(者)に痛めつけられたことがない人だろう。そういう人たちに対しては、きっと幸福な人生を送ってこられた方なんだな、とうらやましく思うばかりだ。

 昨夜遅く、大作曲家・モーツァルトに関するマニアックな記事を読書・音楽ブログに公開したが、私はかつて大のモーツァルティアンだったが今世紀に入ってからはそれほど熱心にモーツァルトを聴かなかった。ところが最近、彼がザルツブルク大司教と大喧嘩をして故郷を飛び出し、自立した作曲家として生活することを余儀なくされた苦難の人生を送ったことを初めてまともに認識するや*1、それでかつてモーツァルティアンだった血が騒いで再びモーツァルトの音楽にはまることになった。私も40歳の頃に不当な権力行使をやってくれた上司を罵倒するなど「立つ鳥跡を濁して」会社を出ていった経験がある。だから神聖ローマ帝国の女帝マリア・テレジアだのザルツブルクのコロレド大司教だのといった権力者たちの権力行使に痛めつけられたモーツァルトに肩入れせずにはいられない。なお家父長主義を振り回す(そのくせ陰謀論に傾きやすい)父親との確執においてもモーツァルトに共感するところ大だが、それはまた別の話だ。

 とにかく私は40歳の時の経験以来私は権威主義が大嫌いであり、カリスマ指導者を崇拝する人たちに対して激しい反発を感じる。またその件を境に人間に対して強い興味を持つようになった。それで近年は理系的な分野より文系的な分野に対する関心が強くなるに至った。

 私は「分派の禁止」の条項さえ含まれなければ「民主集中制」は合理性を持つ普遍的な組織の原理であるとさえ思う。しかし「分派の禁止」が組織の規約に含まれ、組織内権力がそれを放恣に行使する時、今回の大山県議の吊し上げのようなことが平然と行われる。あれはやられた方としては本当にたまったものではない。紙屋高雪氏が「吐きそう」と書く通りである。

 そういえば一昨年末だったかに某元号新選組山本太郎が長谷川羽衣子とつるんで、というよりおそらく長谷川一派にけしかけられて大島九州男参院議員を1年で下ろそうとした時にも強い反発を感じ、山本と長谷川を批判する論陣を張ったものだ。しかし新選組共産党に比べればまだ組織内での抵抗が通用する組織らしく、1年後に山本太郎が白旗を揚げた。あの典型的な党首独裁政党にもその程度の健全さは認められるというのに、今回の共産党ときたらどうだろうか。

 下記は政治おじいちゃんお化け氏のマストドン

 

fedibird.com

 

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 その通りだと思う。

 なお私は2021年の衆院選の時点から既に共産党比例代表での投票先候補から外している。ただ都議選だけは例外で、ある理由によって毎回共産党候補に投票している。

 つまり地方議員ら個々の政治家については支持して投票することならあり得るし、現にそういう投票行動をとっている。しかし共産党が規約から民主集中制の「分派禁止」条項というボルシェビキに由来する用件を外さない限り、国政選挙の比例代表投票先として共産党を選ぶことはあり得ない。これが現在の私のスタンスだ。

*1:かつての私はモーツァルトの音楽は大好きだったが、モーツァルトの人生には、というより人間全般に対する関心があまりにも薄かったのだった。