下記記事のコメント欄より。
というか、自らが信奉する権威(=自国の政治権力)に対抗する権威や権力が嫌いなのでしょう。アメリカを信奉してソ連(現在ではロシア)や中国は大嫌いというのが典型です。
もっともこれは右翼というよりは権威主義者の特徴で、右翼というのは例の松尾匡*1の定義によれば「内か外かで内を選ぶ」人たちのことですから「自国の権力は好きだけれども、それを批判する権威は他国の権力と同じように大嫌い」ということなんだと思います。
一方、反米ではあるけれどもアメリカに対抗する権力(旧ソ連・ロシアや中国)には大甘なのが非右翼あるいは(新)左翼の権威主義者で、毛沢東主義者や山本太郎の党のシンパあるいは信者のかなりの部分がこの範疇に入ります。だからだから毛沢東主義に傾斜して日本共産党から除名された人物を権威に祀る長周新聞は熱烈に山本太郎を応援するわけです。そういや山本太郎だって十分な「権威」なわけです。
厄介なのは、反米だしロシア・中国・北朝鮮のいずれをも厳しく批判する日本共産党の党員や支持者であっても、党執行部という権威に頼る権威主義者たちが少なくないことでしょう。だから、紙屋高雪というマンガ評論家としての名義で発信された数々のブログ記事を絶賛していた一部の「共産党信者」あるいは「共産趣味者」たちが、下記ツイートで私も知るに至った「かみや(神谷)貴行」名義での彼のブログ記事には沈黙してしまうわけです。
日本共産党福岡県委員会常任委員の神谷貴行氏が、県委員会総会において松竹伸幸氏除名見直しを訴えた経過を発表しました。党県役員による初の松竹氏除名批判です。是非お読みください。
— かぴぱら堂💙💛 (@kapiparadou) 2023年3月5日
なお神谷氏は「紙屋高雪」の筆名でマンガ評論家もされています。 https://t.co/MAx6hByNSB
だから、こういうブログ記事にはたとえばあの北関東の某暴犬なんかは反応できないわけだ。上記ブログ記事を私は、特に民主集中制に関わる部分*2など非常に興味深く読んだが、記事についたはてなブックマークに共感できるブコメはほとんどなかった。たとえば下記のブコメを読むと、コメント主は松竹氏が書いた文春新書を読んでいないに違いないことがよくわかる。
日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
これは面白い記事。日共=非民主的なわけではないことを党組織の中における自らの実践を通して外部に伝える。こういう事を松竹氏はすべきでなかったの?
2023/03/06 13:43
いや、松竹氏は2000年代に志位和夫と衝突した時に今回神谷氏がやっているのと同様の行動をやったんだよ。でも党は変わらなかった。だから今回の行動に出たのだろうと私は推測している。そもそも志位氏が2021年衆院選の責任をとって辞任し、党執行部が刷新されていれば松竹氏は今回の行動は起こさなかったと思われる。それも氏のブログや著書を読めばわかることだ。
結局松竹氏の問題を論じる際にも「権威主義」が重要なキーワードになる。醍醐聰氏に代表されるアーリーアダプターたちが今回の件で共産党を厳しく批判しているのもそれ故のことだと私は見ている。以下、3月3日に発信されたされた醍醐氏のツイートを3件リンクする。
松竹氏除名問題を調べていくにつれ、処分をした党側の主張の根拠(「分派」「いきなり外から攻撃」「攪乱」「安保堅持への変節」等)が次々と崩れ、指導部による人権侵害に当たるのではという疑念を感じている。
— 醍醐 聰 (@shichoshacommu2) 2023年3月3日
鈴木元氏のことを「哀れな末路」と評した市田副委員長に至っては何をか言わんやである。
松竹問題は共産党が「いつかは乗り越えなければならないハードル」(関善文さん))を浮き彫りにした。民主集中制への疑念、安保・自衛隊政策を巡るジレンマ。これらを真摯に自省し、党内外で政策対話を進めることが必須だと思う。「メディアの反共攻撃」「戦争前夜の声」云々は異次元の的外れである。
— 醍醐 聰 (@shichoshacommu2) 2023年3月3日
政党には統一性が必要なことはわかる。しかし、団結・結束といった価値は自由と創意を尊ぶこれからの世代には馴染まず、民主集中制は遠からず過去の遺物になるのではと思う。結束は規約で維持できるものではなく、目的の共有、試行錯誤の実践と理性的な内省を通じて築き、維持するものだと思う。
— 醍醐 聰 (@shichoshacommu2) 2023年3月3日
少なくとも「分派の禁止」を伴った形での民主集中制が遠からず過去の遺物になるだろうとの醍醐氏の予測には私も同感だ。だから外部の人間としては硬直化した現在の志位・小池執行部を開明的な新執行部に刷新するとともに共産党の規約から第3条第4項「党内に派閥・分派はつくらない。」を削除するしかないと思うのだが、こればかりは党内の人たちが決めることだ。
ただ、現在のように新聞報道に噛みつく妄動を繰り返しているようでは、共産党は悪い意味での「左の自民党(高市早苗や礒崎陽輔に代表される)」との謗りは免れない。
そうそう、最初の方で書こうと思った、私が考えるところの反政権系陰謀論者の特徴を書き忘れていた。彼らは自国の政治権力に対しては反対の立場なのだけれども、嫌なことをすべて抗い難い巨大な敵の陰謀のせいにする妄想にとりつかれやすい。
たとえば弊ブログが立憲民主党内で代表の泉健太が旧希望の党系を取り立てて旧立民系を退ける強気の人事を発動していることを指摘したら、例の陰謀論コメンテーター氏は「そんな強気なことをするのはアメリカの指示を受けているからではないか」という院暴論をコメントに書いてきたことがあった。これなど典型的な例だが、巨大な敵の権力にはどうやっても勝てないという思い込みが変な陰謀論につながり、その挙げ句「極右陰謀クラスタ」が発した「コオロギ食陰謀論」に引っかかって「鼻持ちならないリベラルはけしからん」という極右陰謀論者たちにとっては願ってもない心証まで持つに至った。そして自らのその妄想を補強してくれる記事の公開をブログ主である私にねだったものではないかと想像する次第。こういう人は、前記の泉の例に見られるような、より小規模な集団内でのことではあるが決して無視できない権力の濫用を見逃してしまいやすい。そういう点でも問題だ。
だから山本太郎が「山本太郎を疑え」などと心にもないことを嘯くことができるのだろう。山本は信者が本当に自分を疑うことなどあり得ないと確信しているからそんなことが言えるのである。
*1:そういえば松尾氏が提起したnoteでの某ローテーションの長谷川羽衣子発案者説に対する反論を取り上げた記事を公開するつもりなのが遅れてしまっている。あの件では頭に血が昇ったせいか、とんでもない初歩的な誤りを犯した記事をほんの短時間だけ公開してしまい、それを弊ブログのコメント欄から締め出した某極右人士に某所で指摘されたため、慌てて削除して現在に至っている。しかし当該の件に関わる仮説を紹介する記事をブログに公開した人間である私が何も言わないわけにはいかないので、明日明後日の土日になんとか記事を書いて公開したいと考えている。
*2:たとえば以下の部分など(以下引用)ー 党内での議論ののち決定をして外部には行動の統一をはかる(人によって言うことがバラバラでない)のが規約の制度設計ですから、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」というのは悪口どころか現行の民主集中制がめざす“理想”のはずです。(URL:https://kamiyatakayuki.hatenadiary.jp/entry/2023/03/05/030000)
権力は好きでも権威には反発するというのがウヨ的な人の特徴だという気がします(権力と権威の違いについてよくわかっているわけでもないのですが)。