共産党の松竹伸幸氏除名に対する新聞の批判は朝日・毎日の社説のあと地方紙に広がり、東京新聞は見開き2頁で大きな特集を組んだらしいがそれは見ていない。しかし西日本新聞の社説は読んだ。醍醐聰氏の下記ツイートにリンクが張られている。
https://t.co/BYPnRhQs1H
— 醍醐 聰 (@shichoshacommu2) 2023年2月20日
「今回の除名をすんなりと理解できる国民はどれだけいるだろう。」「党員からの問題提起を直ちに『攻撃』と捉える姿勢に私たちは強い違和感を覚えずにはいられない。」「『結社の自由』の保護は主に国家権力や公の秩序との関係で論じられてきたのではないだろうか。」
「結社の自由」の保護は主に国家権力や公の秩序との関係で論じられてきたのではないだろうか。西日本新聞の社説には確かにこう書かれている。これは「結社の自由」を盾にした同党の朝日への「反撃」を読んだ時に私も思ったことだ。
「結社」の上層部、共産党の場合でいえば執行部は同時に党員に対しては「権力」にあたる。普通はそのように解される。企業において人事権を持つ部長以上の役職の人間がそれ以下の地位の人間にとっての権力者であるのと同じだ。だからその手の権力者に痛めつけられた経験を持つ私は、おそらくは世間知らずであろう共産党衆院3区候補予定者・香西かつ介の能天気なネオリベ的言説に激怒した。蛇足だが私が立民代表の泉健太や×××新選組の長谷川羽衣子を蛇蝎のように嫌うのは彼らの権力工作が鼻につくからだ。私は権力のない世の中が実現すればどんなに良いかといつも思う人間だから、泉や長谷川のような権力欲をぎらつかせた人間が大嫌いなのである。そして究極の権力欲の塊が「俺に権力を寄越せ」と吼える山本太郎であることはいうまでもない。
共産党の話に戻る。
私が「政党としての」共産党に一番問題を感じたのは、この「結社の自由」をもってメディアの報道を批判したことですね。
— Phillie PhrantiC…☆💙💛💉💉💉🏳️🌈🦅 (@Jin55381891) 2023年2月17日
あと、スレッド形式でつなげていただけるともっと読みやすいのですが。 https://t.co/7StKV2CXJ8
私にいわせれば共産党は「報道の自由」「言論の自由」に挑戦したに等しいのだから、朝日や毎日に限らず東京(中日)新聞や西日本新聞などが次々と次々と同党を批判したことは当然だ。今回の件で読売や産経など「右」側の反応がむしろ弱いのは、彼らが「右」側による強権政治を容認する構えではないかとむしろ警戒させる。それは、あからさまな「右」の憲法学者である小林節が共産党を応援することにも通じるものがある。
共産党にせよ×××新選組にせよ、その党内統治のあり方は仮に彼らが政権を取った時の国民に対する統治がどんなものになるかを推測させるものだといえる。だから今回共産党が「やらかした」ことが自党に与えるダメージは大きいはずだ。それがたとえ政党支持率の数字には全く反映されていないにせよ。
三春充希氏が共産党の票はリベラル系無党派層に大きく影響されると指摘していたが、今回の件の影響はいずれ国政選挙の結果として現れるだろう。無党派層は世論調査で共産党支持とは答えないのだから、世論調査で政党支持率が変わらないからといって選挙での得票率も変わらないとはいえない。無党派層の離反で惨敗したのが昨年の参院選での立民(泉執行部)だったが、今回の件で立民が共産との「悪さ比べ」においてまだマシだと判断されて漁夫の利を得てしまう(つまり泉が延命してしまう)ことがあっては目も当てられない。