黒川滋(くろかわしげる)氏のツイートより。
昨日も人と会話していて出てきたが、MMTか緊縮かどちらかしかないようなスキームで経済政策の会話させられていないか、と思っています。
— くろかわしげる (@kurokawashigeru) 2021年11月15日
その中間ゾーンはいくつもありますし、両極端の純化路線に対置できる合理的な処理もたくさんあります。
こういう選択肢のかけ方は言葉の呪縛です。
少し前までの「リフレ」もそうだったが、MMTについても「『緊縮』(財政支出に消極的)か『反緊縮』(財政支出に積極的)か」だけが判断基準になって、「リフレ」がもてはやされていた頃に高橋洋一が「味方」扱いになっていたのと同様、積極財政さえ唱えていれば、所得税を均等税率(フラットタックス)にせよと唱える髙市早苗までもが「『反緊縮』の闘志」ってことになって界隈から評価されるという奇妙奇天烈な現象が起きている。ワンフレーズポリティックスの経済論議版みたいな俗化現象だ。
これには、リフレやMMTのブレーン的な役割を果たしている学者センセイの責任が小さくないと思うがいかがか。
この馬鹿げた風潮のおかげで、山本太郎が高橋洋一や馬淵澄夫に接近したわけだし、前記界隈と交わる部分が少なくない某界隈では山本太郎に対する批判が「タブー」になっているのだから、これくらい有害無益な話はない。