ロシア非難決議案に関する新選組・大石晃子の件で一言書いておくと、私が思い出したのは玉木雄一郎の民民が衆院で自公の予算案に賛成した時、前原誠司を除く配下の国会議員たちが予算案賛成を正当化するロジックの構築に必死になっていたことだ。
独裁的(独善的)な党首の配下にいる議員はどうしてもそうなってしまうんだろうな。上司の業務命令に逆らえない部下。
結局トリガー条項の凍結解除は岸田文雄に認めてもらえず、玉木は顔を潰された。その結果民民は参院では反対に回るらしいが、そんな醜態を晒しても玉木は引責辞任するつもりなど全くないらしい。呆れたものだ。
現在、山本太郎も玉木と同様の醜態を晒しているといえる。
大石晃子が株を下げたのは確かだが、玉木や山本と同列に論じようとは私は思わない。玉木配下の民民の議員に対しても同様だ。それは独裁的な党首の部下である議員たちの限界なのだ。