カズオ・イシグロの『日の名残り』の1993年の映画化作品についてまた新しいコメントをいただいたが、読書ブログで取り上げた方が良いと思ったのでそちらに回す(明日以降の公開を予定)。今日は、昨日紹介したコメントの2件目にリンクされていた早稲田大学・小林哲郎教授らの研究を紹介したい。
リンクを張ってみて初めて気づいたが、457件ものはてブがついてバズっていた。実は上記リンクの研究結果発表は私も以前から(といっても発表は今年3月だからそれ以降のある時期から)知っていた。権威主義についてネット検索をかけたらたびたヒットしたためだ。もちろんバズったのは3月当時である。
以下最初の部分を引用する。
日本人は権威主義国家のナラティブに広く説得されることが明らかに
― 民主主義国の主流ナラティブでは十分に対抗できない可能性―
発表のポイント
- 権威主義国家(中国・ロシア)の非自由主義的なナラティブ(正当性や優位性を主張するストーリー)が日本の有権者に与える影響を検証した結果、民主主義国の主流ナラティブよりも非自由主義的ナラティブの方が強い説得効果を持つ傾向が確認されました。
- 本研究では、日本人は、権威主義的傾向、陰謀論信念、政治的知識などの高低に関わらず、全体的に非自由主義的ナラティブに影響される傾向があることが示唆されました。
- 実験の対象者に民主主義的ナラティブと非自由主義的ナラティブの両方を併せて提示すると説得効果は相殺されましたが、民主主義的ナラティブの後に非自由主義的ナラティブを提示すると、非自由主義的ナラティブの影響が残ることがわかりました。
- これは日本の民主主義社会の非自由主義的ナラティブに対する脆弱性を示しており、結果的に日本の民主主義に対する脅威となる可能性があります。
マスメディアが独占的に議題を設定し、様々な争点の見方をフレーミングする力は急速に失われつつあります。同時に、ストーリー仕立てのメッセージを世界中から簡単に発信することが可能になり、これが権威主義国(※1)によるプロパガンダや影響工作にも利用されつつあります。こうした現状において、日本人が権威主義国の発する非自由主義的ナラティブ(※2)にどの程度影響=説得されるのかを知っておくことは重要です。
早稲田大学政治経済学術院の小林哲郎(こばやし てつろう)教授、神戸大学大学院法学研究科の周源(しゅう げん)助手、Koç University, Graduate School of Social Sciences and Humanitiesの関颯太(せき るんた)氏、大阪大学大学院人間科学研究科の三浦麻子(みうら あさこ)教授らの研究グループは、権威主義国家(中国・ロシア)の非自由主義的ナラティブが日本の有権者に与える影響を検証しました。
研究の結果、日本人は主流ナラティブと同等か、それ以上に非自由主義的ナラティブに説得されることが明らかになりました。さらに、この効果は政治的知識の多寡、権威主義志向、陰謀論的信念の強さに関わらず一様に見られました。つまり、政治に詳しいからといって非自由主義的ナラティブの影響を免れるわけではなく、日本人全体が広く権威主義国のナラティブに説得されやすい傾向があります。
また、非自由主義的ナラティブと主流ナラティブを両方読んだ場合は互いに説得効果を打ち消し合いますが、最終的には非自由主義的ナラティブの影響が残ることがわかりました。この結果は、日本の世論が非自由主義的ナラティブに対して脆弱であることを示唆しており、こうしたナラティブが広く拡散されることで、世論の変化が生じる可能性があることを示しています。
本研究成果は、2025年3月12日付け(現地時間)で「Democratization」に掲載されました(論文名:Autocracies win the minds of the democratic public: how Japanese citizens are persuaded by illiberal narratives propagated by authoritarian regimes)。
以下が本論。
(1)これまでの研究で分かっていたこと
権威主義国によるプロパガンダやナラティブ戦は発信側の研究が多く、民主主義国における受信側の研究が比較的少ない状況にあります。本研究が参考にしたドイツでの先行研究では、ドイツ人も親露ナラティブに説得されますが、それは政治的知識が少ない人や、もともと権威主義的思考や陰謀論的信念が強い人に特に特徴的にみられることが報告されていました。しかし、中国やロシアと近接する東アジアにおいて、これらの権威主義国が発する非自由主義的ナラティブの説得効果は十分に研究されてきませんでした。本研究はこの研究の不足を埋めることを目的として実施されました。
(2)今回の新たに明らかになったこと
本研究は2つの実験を行いました。実験1では3,270人の日本人成人男女を対象にオンラインでナラティブを提示しました。「香港国家安全法」、「新疆ウイグル自治区における再教育施設」、「ファーウェイ幹部のカナダでの逮捕」、「ロシアのウクライナ侵攻」、「一帯一路構想」、「ゼロコロナ政策」、「BLM運動」、「アメリカでの銃規制」、「アメリカの政治的極性化」、「LGBTQ運動」、「参議院による『対中決議』」、「日本の超党派議員による台湾訪問」という12個のトピックのそれぞれについて、コントロール条件、非自由主義的ナラティブ条件、非自由主義的ナラティブ+ソース(ナラティブの発信源)条件、主流ナラティブ条件、主流ナラティブ+ソース条件のいずれかの条件に無作為配置され、ナラティブを読んだ後にそのトピックのテーマに関する対象者の態度を測定しました。以下は、「ロシアのウクライナ侵攻」についてのナラティブの例です。
コントロール条件
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事行動が開始されました。あなたはロシアによる軍事行動をどのように評価しますか。
非自由主義的ナラティブ条件
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事行動が開始されました。この軍事行動は、本来ウクライナは欧米の軍事同盟であるNATOとロシアの間で中立であるべきなのに、NATOが約束を破ってウクライナへの影響力を拡大したことが原因で発生しました。あなたはロシアによる軍事行動をどのように評価しますか。
非自由主義的ナラティブ+ソース条件
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事行動が開始されました。ロシアの政治的リーダーたちによると、この軍事行動は、本来ウクライナは欧米の軍事同盟であるNATOとロシアの間で中立であるべきなのに、NATOが約束を破ってウクライナへの影響力を拡大したことが原因で発生しました。あなたはロシアによる軍事行動をどのように評価しますか。
主流ナラティブ条件
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事行動が開始されました。この軍事行動はロシアによる一方的な侵略であり、ウクライナの主権と国際法に対し重大な違反を犯しているだけでなく様々な人道危機を引き起こしており、断じて許されるものではありません。あなたはロシアによる軍事行動をどのように評価しますか。
主流ナラティブ+ソース条件
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事行動が開始されました。欧米の政治的リーダーたちによると、この軍事行動はロシアによる一方的な侵略であり、ウクライナの主権と国際法に対し重大な違反を犯しているだけでなく様々な人道危機を引き起こしており、断じて許されるものではありません。あなたはロシアによる軍事行動をどのように評価しますか。
上記の例では、ロシアによる軍事行動の評価を「非常に良い」から「非常に悪い」までの5段階で測定しました。
実験1の分析結果は以下の図1に示してあります。
分析は、12個のトピックについて階層線形モデル(※3)を用いてまとめて分析しました。ゼロの垂直のラインがコントロール条件で、ナラティブが提示されないベースラインになります。ゼロの垂直線よりも右側に行くほど、権威主義国の立場に対して好意的な態度を示し(たとえばロシアの軍事行動に対するよりポジティブな評価)、垂直線よりも左側に行くほど西側民主主義国の立場に好意的な態度(たとえばロシアの軍事行動に対するネガティブな評価)を表します。
図示されたように、コントロール条件と比べて、非自由主義的ナラティブも主流ナラティブも意図した方向での説得効果を示しています。また、ソース(ナラティブの発信源)を明らかにしても説得効果を少ししか減じられませんでした。つまり、たとえば中国に都合のいいナラティブの発信源が中国政府高官であることが明示されても、説得効果はあまり割り引かれませんでした。さらに、ゼロの垂直線からの距離を見ると、非自由主義的ナラティブの方が主流ナラティブよりも大きな説得効果を示していることがわかります。
実験1ではさらに、どのような特徴を持つ人が非自由主義的ナラティブに説得されやすいのかを調べました。その結果、前述のドイツの先行研究とは異なり、日本人は政治的知識の多寡や権威主義志向、陰謀論的信念の強さなどは説得されやすさとは関係していませんでした。すなわち、日本人はこうした要素の強弱と関係なく、非自由主義的ナラティブに説得されることを示しています。
実験1では1つのトピックにつき1つのナラティブのみを提示しました。しかし、現実の社会では複数のナラティブがそれぞれ競争し合っているのが普通です。そこで、実験2では実験1を改変し、非自由主義的ナラティブと主流ナラティブの両方を読む条件を作成しました。その結果、両方を読む条件では互いの説得効果が打ち消される傾向にありましたが、権威主義国に有利な方向での有意な態度変化が残りました。つまり、非自由主義的ナラティブの方が、説得力が強いことになります。
さらに2つのナラティブの提示順序の効果を検証するため、対象者が主流ナラティブを先に読み、次に非自由主義的ナラティブを読むと、非自由主義的ナラティブの説得効果が強く残ることがわかりました。通常、民主主義国では主流ナラティブの方が広く行き渡っているため、主流ナラティブを先に知ることが普通だと考えられます。しかし、その後たとえばソーシャルメディア上で非自由主義的ナラティブが広がると、最初に接触した主流ナラティブでは非自由主義的ナラティブの効果を打ち消すことができず、結果的に非自由主義的ナラティブの広がりを許すことになりかねません。本研究の結果は、日本の世論が非自由主義的ナラティブに影響される可能性を示唆しています。
上記引用文で具体的に結果が示されたのは、ロシアのウクライナ侵攻に関する例だけだ。
コントロール条件はロシアのウクライナ侵攻をどう思うかだから、それに対してネガティブな反応をするのは当たり前だ。それに対するロシア側の反論が「非自由主義的ナラティブ条件」で、これはいわゆる「NATOの東方拡大」が悪いんだというロシアの言い分である。一方欧米諸国(当時は米大統領はまだバイデンだった)は国際法上許せない、人道危機も引き起こしているとしてロシアを非難した。これが「主流ナラティブ条件」であり、2つの条件にどちらにより引き寄せられるかを調べている。
この「NATOの東方拡大」はそれなりに説得力のあるロシアの言い訳であって、弊ブログは侵攻直後から一貫してロシアを非難する立場で記事を書き続けてきた*1が、それでも当初は「NATOの東方拡大にも問題はある」と書いたことがある。私がこの説を最終的に棄却したのは、2022年末に下記中公新書を読んだことが決定的なきっかけになった。
この本は2002年発行なのでウクライナ戦争に関する記述などあるはずもないが、ウクライナとロシアとの歴史的関係を頭に入れて初めて、ロシア(プーチン)側の「NATOの東方拡大」なる言い訳など単なる侵略の口実にすぎず、断固として棄却されるべきものであることを確信できたのだった。しかし私がこの本を読み終えたのは2022年も押し詰まった12月30日のことだったから、私自身もそれまでの間は「非自由主義的ナラティブ」にそれなりに影響を受けていたことを認めなければならない。
しかしそんな私から見ても、「左」や「リベラル」のロシアシンパは目に余るほど多い。彼らには、アメリカという権威に反発するのは良いけれども、そのアメリカと張り合うロシアや中国などの「別の権威」にシンパシーを抱いてしまうというどうしようもない悪癖がある。特にそういう支持層が多い政党が山本新選組であって、組長の山本自身がバイデンを呼び捨てにする一方、ロシアの独裁者には「プーチンさん」と「さん」づけしたことまであった。そして同組の安全保障政策の責任者はあの大の親露派である伊勢崎賢治だ。
その結果、彼らは対ロシアに関しては鈴木宗男とほとんど変わらない「親露派」になってしまった。
これについては、歴代自民党政府があまりにも対米隷属的であり過ぎたことが上記の調査結果になった面も否めないとは思う。
しかし、それを割り引いても「日本の有権者が権威主義国家のナラティブになびきやすい、それは政治に関する知識が豊富な人間であっても例外ではない」とは言えると思う。
しかも悪いことに、今年から2029年1月までの間は、アメリカ大統領にトランプが居座り続ける。このトランプは、少し前にサンデーモーニングで藪中三十二が喝破した通り、プーチン、習近平や金正恩と同じ類型、つまり権威主義的リーダーに属する人間だ。
今後の日本において、さらに「権威主義的ナラティブ」が幅を利かせ続けることは疑う余地がない。特にナラティブならぬ「奈良の×鹿」が間違えて総理大臣になってしまったら(そんなことにはならないと思うが)目も当てられないと思う今日この頃なのである。
*1:その最初の過程で、某人士に勝手に「ゼレンスキー支持者」と決めつけられたことにブチ切れてコメント欄出入り禁止処分をとったところ、それを逆恨みされて現在に至るまで当該人士によってノイズを垂れ流され続けている。