kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

集合知を得ることが原理的に不可能な権威主義国家に未来はない

 ブログを始めた頃の私のターゲットは新自由主義者と極右だったが、最近はそれに権威主義者が加わって三大ターゲットになった。

 昨日公開した下記記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 はんわか

ウクライナ戦争に言及する時に「ロシアにはプーチンのような独裁権力(者)を縛るシステムがない」という認識を欠かしてはならない。

同意しますが、独裁権力(者)を縛るシステムが無いことによる体制の強さと弱さも気になるところです。

ロシアはトップダウンで強引に総力戦を行える点は強そうに見えるが、トップに正しく情報が伝わってない事や異論を述べる人間がいなさそうな事による戦略のチグハグさは弱点のようでもあります。
実際、そのどちらかなのはウクライナ戦争が証明すると思います、

日本に引き付けて考えた場合、一番の問題はロシアの独裁体制の弱さが露呈しつつありがら、日本の有権者意識では危機的状況や閉塞状況の打開のためにトップへ権力集中するのを是とする意向が強い点ですね。

ブログ主様は権威主義国家のゆくえをどうみていますか?

 

 権威主義に対しての私のスタンスは明確で、「集合知を得ることが原理的に不可能な権威主義国家に未来はない」というものです。ブログ内で検索語「権威主義」で調べてみましたが何度も書いていました。「権威主義」の言葉を援用して泉健太を批判したりもしています。もちろんこの言葉で共産党新選組も批判しています。

 「危機的状況や閉塞状況の打開のためにトップへ権力集中するのを是とする傾向」ちうと直ちに思い出されるのは安倍晋三が総理大臣の座を奪回する直前に特に強く叫ばれた「決められる政治」という言葉ですが、この言葉もその当時からずっと批判しています。

 「決められる政治」を批判した一番古い記事は野田佳彦政権時代の2012年6月16日に公開していました。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 驚くべきことに、この時点では私は東京新聞を評価していました。同紙が「決められる政治」志向の政治家の見本みたいな小沢一郎が事実上支配した「日本未来の党」を紙面を上げて応援するようになったのは同じ年の秋のことで、この頃はまだ小沢を応援していなかったようです。前年の2011年には東京新聞は「『菅(直人)下ろしに原発の影」と題した記事を書いてオザシン(小沢信者)たちの怒りを勝ったこともありました。もっとも菅直人政権交代を「期限を区切った独裁」と言ったことがありますから、権威主義批判の対象から免れることはできません。

 東京新聞がおかしくなった一方、朝日新聞は上記記事で批判した「『決められない政治』批判」の危うさをもっとも早い時期に気づいた新聞でした(星浩なんかはいつまでも「決められない政治」批判を口にしていましたが)。だからその後2018年春まで紙媒体の購読を続けました。購読を止めたのも自発的ではなく、販売店が集金に来なくなったからであって、強く「読みたい」と思わせる紙面でもなくなっていたので、こちらとしては「去る者は追わず」だっただけです。今年に入ってから毎日とともに朝日の電子媒体を購読するようになりましたが、両紙とも主力の記者が世代交代して親維新色を強めてひどいことになっていると思います。

 一番最近「『決められない政治』批判」批判を書いたのは下記記事です。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 記事のタイトルは長くて、「『日本が維新的なるものに向かう』ことを阻止するためにも、立民内部の新自由主義勢力、共産党権威主義勢力、および新選組に対する批判は不可欠だ」というものです。

 下からの「民主主義」と上からの「権威主義」との接点が欧州では明確に設定されているけれども日本はそうではないと1967年に指摘したのが中根千枝で、私は今年になってやっとこさ読んだ『タテ社会の人間関係』を援用して下記のように書きました。いささか長いですが再掲します。

 

中根千枝が1967年に指摘した「ますます弱くなったリーダー」が批判されて、「決められる政治」が喧伝されたのは故安倍晋三が総理大臣に返り咲く少し前くらいのことだった。その結果日本の政治に戻ってきたのは戦前と同じ「権威主義」だった。以下再び『タテ社会の人間関係』から引用するが、本書では最初に引用した「西欧的ディレクター・リーダーシップ」の段落の直後に下記の段落が続く。

 

 日本的な表現をとれば、この力関係において、上が強くなると「権威主義」であり、下が強くなると「民主主義」である。前者は戦前に多く、後者は戦後に多い。いずれも両者(上・下)の約束による接点が設定されていない、という点で、いずれの仕方にも弊害が相当ある。(前掲書145頁)

 

 著者は「後者は戦後に多い」と書いているが、それは本書が出版された1960年代やそれに続く1970年代には当てはまっても、21世紀の日本には当てはまらない。特に政界においては、タテ社会の組織の象徴・自民党で幹事長にのし上がった経歴を持つ小沢一郎が推進した1990年代の「政治改革」の影響が徐々に現れた。自民党では小泉純一郎が楚総理・総裁になって以来、特に安倍政権時代にひどい権威主義政党になった。民主党系は、1990年代後半の旧民主党(1996年結党)当時はもちろん、1998年結党の新民主党時代の初期の2002年頃までは「百花斉放・百家争鳴」の気風があった。それを変えたのが2003年に合流した旧自由党小沢一郎だったと私は考えている。小沢が代表時代に党代表選をやらないように党内に圧力をかけ、結局無投票で3選されたのは2008年だったが、その頃にはすっかり権威主義的かつ「タテ社会」的な政党になっていたように思われる。

 その弊害は、2017年に結党されて当初は高い政党支持率を誇った立憲民主党にも引き継がれた。枝野幸男を「えだのん」と呼んで信奉する「信者」が少なからずいたが、この手の「信者」がいること自体、「ウチ、ソト」意識の強い「タテ社会」の組織になっていることの表れだったかもしれない。それを示すのが、現代表の泉健太がいくら「やらかし」ても組織防衛志向を崩そうとしない同党支持者のあり方だろう。立民の政党支持率は今年1月からずっと下落傾向にある。いまや「コア」の支持層くらいしか残っていないかもしれない。

 泉健太について、彼は立民党内で巧みな権力獲得工作を行なって現在の地位を得るに至ったとはこれまでにも何度も指摘してきたが、それは例を挙げると2021年の代表選では大長老の「元剛腕」小沢一郎を取り込み、2022年の参院選に惨敗してピンチに立たされると今後は幹事長にやはり長老の岡田克也を任命するなどの「爺殺し」の手法などをもちいた戦術であって、これは企業などの「タテ社会」で出世する人の共通のパターンだ。また芳野友子が君臨する連合もタテ社会の守護神のような組織だが、こんな立民のあり方で「タテ社会」から疎外されている非正規労働者などの支持を得ようというのがそもそも無理なことだ。彼らがたとえば新選組などに流れるのは止むを得ない。

 しかしその立民よりももっと権威主義的傾向がはなはだしいのが共産党だ。そもそも志位和夫共産党内で出世したのは、1986年頃に分派(伊里一智)狩りをして宮本顕治のお気に召したためだとも言われている。

 そしてその共産よりもさらに権威主義的なのが新選組だと私は考えている。

 

URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2023/08/02/085137

 

 なお、新自由主義権威主義が背反する方向性を持つとは私は全く考えません。ハーヴェイ流の定義によると新自由主義を階級の回復と固定・強化を目指すプロジェクトということなると思いますが、この考え方だと新自由主義権威主義とはみごとに重なり合います。新自由主義リバタリアニズムとは全然違います。