kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「社長の椅子」に執念を燃やす「三角形の経営者」たち=城山三郎『緊急重役会』の解説(楠木建・一橋大教授)より。岸田文雄や泉健太も権力工作ばかりが得意な「三角形の政治家」なのではないか

 政治おじいちゃんお化け氏のマストドンより。

 

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 仕事の忙しさというと私もそろそろ半端ではなくなってきつつあり、先週あまり更新しなかったのはそのためだが、昨年どうだったかを更新件数で見ると、昨年9月は6回しかブログを更新していなかった。その頃の状態に近づきつつある。

 

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 泉健太は、権力欲の強さという側面を除けば、「協調性を重んじる良い人」なのかもしれないと私も思います。しかし、権力欲は性欲とともに人間を変えますからね。いざ権力争いの障害になると思ったら、権力欲の強い人は冷酷非情なことを平気でやります。昨日だったかに書いた、私が退職前に面罵して「立つ鳥跡を濁」してやった元上司なんかも、浪花節的な人情派とのイメージを一般の社員に持たれていました。

 泉健太に関して言えば、東京15区の立民総支部長の件は、私の在住地の選挙区なので決して忘れることはありません。

 

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 もう9か月前の記事で、前回衆院選東京15区の立民公認候補だった井戸まさえ氏の下記連続ツイート(当時)をリンクした。

 

 

 

 

 それを、枝野前執行部のせいだと呟いたのが泉支持者のnaoko氏だった。

 

 

 

 これに、匿名希望の蝸牛(まいまい)氏が反論した。

 

 

 途中を省略するが、ご両人のやりとりは下記の通り続いた。

 

 

 

 

 それから9か月が経つが、果たして泉は「冷遇するような人ではない」かどうか。久しぶりに立民の総支部長の顔ぶれを調べてみた。

 

 案の定、東京15区の総支部長は「早く総支部長にしてあげてほしいです」とのnaoko氏の願いも虚しく未だに決まっていない*1

 つまり、こと党内の権力関係が絡めば、泉健太はいくらでも「鬼」になれる人間だということだ。私はいつも思うのだが、政党の支持者と執行部との間にも強い緊張関係が必要であり、妄信は絶対に禁物だ。

 

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 その気持ちはよくわかる。

 

 ところで、先月城山三郎の古い短篇集『緊急重役会』(文春文庫2018改版=旧版1976)を読んだ。書かれたのは1962〜72年で半世紀以上も前だ。内容は内容は高度成長期の企業における胸が悪くなるような権力闘争の話ばかりだ。

 私には城山の小説そのものよりも楠木建・一橋大教授が書いた文春文庫2018年新装版の解説が印象に残った。ネット検索をかけたら、文春のサイトでなんと全文を読めることがわかった。

 

books.bunshun.jp

 

 以下に解説文の最初と最後を引用する。

 

 経営者には大別して2つのタイプがある。「三角形の経営者」と「矢印の経営者」だ。

 

 企業でも役所でも、あらゆる組織には階層的な権限配置の構造がある。どんなにフラットで自由闊達な組織であっても、そこには依然としてヒエラルキーがある。権限の階層性はいつの時代も変わらない組織の本質のひとつである。

 

 まるで登山のようにヒエラルキーを上へ上へと昇っていく。山頂にある社長のポストへの到達を最終目標として、キャリアを重ねていく。ついに社長になり、一件落着――。これが三角形の経営者だ。

 

 三角形の経営者は本当のリーダーではない。商売の基を創り、戦略ストーリーを構想し、商売丸ごとを動かして成果を出す。商売が向かっていく先を切り拓き、外に向かって動きと流れを生み出す。矢印の経営者こそが本来のリーダーだ。

 

URL: https://books.bunshun.jp/articles/-/4532

 

 高度成長期の日本、すべてを会社に捧げて仕事に明け暮れたモーレツ社員。出世への道を昇りつめたところに待ち受けている空疎な暗闇。このコントラストが登場人物の悲哀をいっそう色濃くしている。

 

 裏を返せば、昭和日本の高度成長こそが三角形の経営者を量産する土壌だったともいえる。企業経営に追い風が吹きまくっていた中で、企業の進むべき方向は決まっていた。自らの「矢印」がない三角形の経営者が本能の赴くままに組織の中の権力闘争に明け暮れていても、会社はなんとか回り、それなりに成長して行く時代だったのである。

 

 成熟期に入って久しい今日の日本では、企業経営を取り巻く環境や経営者に求められる資質は当時とは大きく異なる。逆風の中、三角形の経営者ではどうにもならない。いよいよ本来の矢印の経営者がリーダーとして求められている。

 

 いまの時代を生きる読者にとって、三角形の経営者の苦渋に満ちた貎を描く本書は格好の反面教師を提供している。

 

URL: https://books.bunshun.jp/articles/-/4532?page=8

 

 楠木教授の解説文を読んで、企業に限らず政党も同じだよなあと私は思ってしまった。

 泉健太に限らず、元総理大臣にして自民党総裁岸田文雄も全く同じだ。彼らは日本の政治・経済・社会の流れを把握してそれぞれのニーズに応える政策を打ち出す能力を全く欠いているようにしか私には見えないが、こと権力工作にかけては異様なまでに高い能力を持っている。泉の場合はまだ党内での権力工作に限定されるが(それは城山三郎が描いた高度成長期の日本の経営者たちと同じだ)、岸田の場合は連合を取り込んで維新の脅威に備えるとともに立民の力を削ぐというえげつないことをやろうとしているから本当に性質が悪い。

 ここで書きにくいことを書いておくと、連合会長の芳野友子と首相補佐官矢田稚子には高卒女性社員から現在の地位を掴んだという共通点がある。おそらく彼らを企業に就職した高卒女性社員にとって望み得る限り最高の地位をつかんだともいえるだろう。

 こうした上昇志向の強い人たちを手玉に取ることに長けているのが、世襲貴族の権化ともいうべき麻生太郎という人間なのだろう。麻生のお気に入りであるらしいドリル小渕優子も彼らを懐柔するのに大活躍したらしい。この人もまた世襲貴族の権化だ。

 彼らに懐柔された芳野など、先日リンクした朝日新聞デジタルの記事にも書かれていた通り「自民党に大事にされている」と感謝感激する始末だった。あるいは、コメント欄で教えていただいた昨年の「デイリー新潮」の記事なども読ませる。

 

www.dailyshincho.jp

 

 上記リンクの記事にも、昨年4月に行われた自民党の「人生100年時代戦略本部」に芳野が講演に出向いた時、2人の会長代行が芳野の出席を思いとどまらせようと説得したが、芳野がそれを振り切ったという話が出てくる。

 今年3月の自民党大会出席未遂については、出席したら芳野下ろしが起きるとして連合が自民党に芳野への招待状を出さないように頼んだという。これは新潮ではなく朝日の有料記事に書かれていたことだ*2

 芳野や矢田もたいがいだが、そういう労組の分断工作をやらかす岸田だの麻生だのドリルだのには本当にむかつく。岸田にしても泉にしても「三角形の政治家」に過ぎず、日本の方向性を指し示す「矢印の政治家」ではあり得ないとしか私には思われない。

 しかしそんな岸田に対して、たとえば『日本がアブナイ!』のブログ主などは大甘だ。都会保守の悪弊は相変わらずだと言わざるを得ない。かつて甘い顔をした橋下徹小池百合子に続いて今度は岸田文雄に望みをかけるのか。能天気も度が過ぎている。

*1:岡山3区のはたともこみたいなトンデモな人が昨年から決まってるのにねえ。はたの任命は小沢一郎に忖度した結果の人事なのだろうか。いつだったか山岸飛鳥のブログで読んだことがあるけど、あの人山本太郎の元秘書でしょ。

*2:その結果、芳野の連合会長再選が事実上決まって今月正式に発表されるとのことだから、余計なことをしてくれたと思わなくもない。