kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

全体主義的な組織防衛で一貫した人が多数派である限り、日本が真に民主制社会になる日は来ない(れんれん氏のコメントより)

 昨日公開した下記記事にコメントをいただいた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 れんれん

僕はこの話題を全く追っていなかったので状況を完全に理解しているわけではないのですが、冒頭postは町山智浩氏と米山隆一氏の消費税に関する論争についてのnaoko氏のpost(https://twitter.com/konahiyo/status/1712661210053898510、URLがあればtwilogから逆引きできると思いますので引用は自重いたします)への返信に対する反応でした。芳野会長への批判に対する見解ではなく、「消費税減税を唱えられない理由を連合に帰着しようとするのは芳野会長への感情的な反発のせいではないか」という趣旨のようです。

この趣旨を踏まえた上で、僕はやはりnaoko氏の見解には賛成できないですね。芳野会長の言動は左派からすれば批判されるのは当然ではありますが、あくまで彼女自身の政治的信念の発露であって(批判を受けても変えないのであれば、それ以上干渉したり、まして強制的に変えさせようとすることはできない)、本当に問題なのは彼女を容認し会長に戴き続ける連合のあり方です。連合が真に彼女の言動を問題と感じ、政策実現への障害だと考えているのであれば、速やかに会長から解任すべきで、それこそが芳野氏を会長に選出した連合の取るべき責任というものです。それを組織内政治の都合だかなんだか知りませんが、表向きぶつくさと文句を垂れるだけでのうのうと再選しくさるのであれば、彼女の言動にお墨付きを与えているのと同じで、「連合は共産党と共闘するぐらいなら自民党を支持します」と宣言しているようなものです。これに目をつぶって「芳野憎しで連合まで叩くのは百害あって益なしだ」などと賢しらにのたまうのは、「大いなる目的のためには構成員の瑕疵は見逃がせ」という意味であり、典型的な全体主義と考えます。そういう意味では、泉代表支持から連合擁護に至るまで、naoko氏の考え方は全体主義的な組織防衛で一貫していますね。こういう人が多数派であるかぎり日本が真に民主制社会になる日は来ないだろうと思います。

 

 コメントありがとうございます。

 はてなブログの埋め込みリンクにより、冒頭にご紹介いただいたnaoko氏のXは下記の通り表示されます。

 

 

 しかし、それが昨日弊ブログが批判したnaoko氏の下記XにつながるまでのXのやり取りは、やはりTwilogからは追えませんでした。

 

 

 とはいえ、その議論自体は私の関心事の中心では必ずしもありません。むしろ今回コメントいただいた内容の方が私の関心事の中心です。その意味で、実に良いコメントをくださったと感謝します。Xについては、Xが万人に開かれたSNSでなくなったことは本例からも明らかなので、早く衰退してマストドンなりの他のSNSに取って代わられてほしいと強く願います。

 以下、コメントの本論について。

 「本当に問題なのは彼女(芳野友子)を容認し会長に戴き続ける連合のあり方です」以下のご指摘については、本当にその通りだと思うばかりです。

 

「芳野憎しで連合まで叩くのは百害あって益なしだ」などと賢しらにのたまうのは、「大いなる目的のためには構成員の瑕疵は見逃がせ」という意味であり、典型的な全体主義と考えます。

とのくだりには特に強く共感しました。この全体主義はきわめて強い同調圧力を持っており、これが彼らの集団から、たとえば政治おじいちゃんお化け氏のような論者を事実上弾き出した(排除した)ことにつながったと思われます。

 

そういう意味では、泉代表支持から連合擁護に至るまで、naoko氏の考え方は全体主義的な組織防衛で一貫していますね。こういう人が多数派であるかぎり日本が真に民主制社会になる日は来ないだろうと思います。

というのも同感です。

 あまりnaoko氏の名前ばかり出すと個人攻撃みたいになってしまって心苦しいのですが、というのは私にはnaoko氏は「なんでこんな結構リベラルな人が泉健太を支持するのだろうか」と思ってしまうような人だからですが、たびたび俎上に上げるのはたまたま氏がTwilogをとっていて過去のツイートならぬポストを追えるようにしてくれているからであって、本当に他意はありません。弊ブログはこのところずっと、立民支持者(特に現在の主流である泉支持者)や共産支持者に強い組織防衛志向が見られると書き続けていますが、彼ら全体に対するきわめて強い批判が私の本意です。

 ただコメント主と私とで唯一大きく違うと思われるのは、私が何があっても敗北主義には絶対に立たないことです。政治に限らず世の中全体について、一度既成事実を作られてしまったらそれをひっくり返すことはきわめて困難ですからね。何があろうと勝てるチャンスがある限り、勝利への執念を捨ててはならないと思います。

 現に今、流れが大きく変わろうとしているではありませんか。政界で泥船といえば半年前には立民を指しましたが、今や自民党が泥船呼ばわりされ始めています。あの今井瑠々なんか、もしかしたら今頃「こんなはずではなかった」と思っているかもしれません。まああんな人を許したら絶対ダメだとは思いますが。あの維新でさえも大阪万博の問題その他で泥船化のきっかけが見えるようになり始めました。

 今こそ「絶対大丈夫」の信念を持ち続けたいものです。