kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「映画『ミスター・ランズベルギス』を観て」、「嘘の上に立つ偽りの帝国(ランズベルギス)」(「高世仁のジャーナルな日々」)

 高世仁氏(1953-)の下記ブログ記事2件はまことに興味深い。蛇足ながら、共産趣味者たる「某暴犬」が氏を目の敵にしているようだが、それは氏の信頼性を高める要因にしかなっていない。

 

takase.hatenablog.jp

 

takase.hatenablog.jp

 

 以下引用する。

 

 仕事が一段落したので、映画『ミスター・ランズベルギス』を観に行く。

 「リトアニア独立の英雄ランズベルギスが語る熾烈な政治的闘争と文化的抵抗の記録」で上映時間は4時間を超える。観るには覚悟がいる。

 ソ連邦から最初に独立を宣言したのはリトアニアだった。
 1990年3月11日、最高会議で「リトアニア国家再建法」を賛成124票、反対0、棄権6で可決し独立を宣言する。

 ゴルバチョフはこれを認めず、リトアニアを経済封鎖し、さらに91年1月には軍事介入に踏み切った。市民は最高会議やテレビ塔などの前に集まり人間の盾となってソ連軍に抵抗した。ソ連軍が民間人に発砲し死傷者も出た。(血の日曜日事件

 ゴルバチョフに対する「善人」イメージがこなごなになる。言論の自由を多少認めたが、ソ連邦という体制をひっくり返す気はなかった、むしろガス抜きして体制を擁護しようとしたことが明らかになる。

 こうした弾圧にも人々は屈せずに91年9月、ついにソ連に独立を認めさせた。このリーダーが、ピアニストで国立音楽院の教授だったランズベルギスだった。ソ連軍の介入に対して、最高会議を守るために志願兵をその場で募りバリケードを作るなど防衛態勢を立ち上げるが、大きな戦闘は起きず、多くの市民がソ連兵の前に立ちはだかって軍事行動を封じる非暴力的闘争が大きな役割を演じた。

 映画はランズベルギスの語りにアーカイブ映像で歴史の流れをたどっていく。この歴史自体がドラマチックなので引き込まれていく。

 軍隊まで派遣して独立を封じようとしたゴルバチョフノーベル平和賞を受賞し、その一方でリトアニアの人々がソ連軍に「ファシスト!」と罵声を浴びせるシーンは、それだけで歴史の「真実」を訴えかける。

 ランズベルギスという人物がまた実に魅力的で、もとはピアニストで活動家っぽくない。人情味があってかつ冷静沈着。これなら苦境のときでもみんながついていくだろうなというリーダーなのだ。

 この映画は歴史の記録であるとともに、ランズベルギスというとても魅力的な人間の肖像でもある。

 危機や混乱のとき、歴史はすごい偉人を生み出すことがあるが、彼はまちがいなくそういう人だ。90歳なのに若々しくウィットに富んだ話しぶりがいい。

 監督はセルゲイ・ロズニツァで、1964年ベラルーシ生まれ。ウクライナキエフで学び数学士の資格をとり人工知能の研究をしていたという。91年のソ連崩壊の年からモスクワで映画を学び始めたという異色の経歴をもつ。

 私は今年『ドンバス』、一昨年『アウステルリッツ』、『国葬』、『粛清裁判』を観ていずれも素晴らしかった。

 ロシア(ソ連)が他民族を支配しようとありとあらゆる手段で介入し、それに「自由」を合言葉に人々が抵抗する姿・・・この映画を観ると、誰もがウクライナを思い浮べると思う。映画ではおもに「非暴力」での抵抗が描かれる。

 いま、国防をめぐる政策が注目されるなか、ランズベルギスの見事な外交力、政治力と独立までの一連のせめぎあいは、今後の日本の進路を構想するうえで非常に参考になる「教材」だと思う。その意味でも多くの人に観てほしい映画だ。

 リトアニアは行ったことがある国だが、知らないことが多く、勉強しようと思って映画のパンフレットを買った。

 このなかで一つ引っかかったのは、映画監督の想田和弘が「たとえ強大な軍事力を有する帝国主義的大国であっても、非暴力の政治闘争で打ち負かすことができる」こと描いた映画だとし、「私たちが目指すべきは、米国やロシアや中国といった軍事大国ではない。理不尽な力に対して力で対抗することを選んだ、ウクライナでもない。私たちがお手本として研究すべきは、非暴力で独立を果たしたランズベルギスとリトアニア国民であろう」と主張していたことだ。

 ウクライナも非暴力で抵抗せよとは想田氏の持論だが、ランズベルギスは同じパンフレットの沼野充義氏との対談で、ウクライナについていま「平和条約」を言うべき時ではないとし、こう語る。

「今軍事行動をなんとか止める交渉を始めなければならないなどと言うのは、欺瞞です。なぜなら、攻撃を仕掛けた国、つまり侵略者は、広大な領土を占領し、諸都市を破壊し、何十、何百、いや何千という人々をウクライナの地から追い出したのです。それを今ここで止めて凍結させるなんて、強盗の収穫、追剥の収穫になってしまうでしょう」。

 また、NHKのインタビューでランズベルギスはこう語っている。

「武力で屈強な巨人(ソビエト)に対抗するのは絶望的でした。自殺行為のようなものです。しかし道徳的な方法で闘うことは効果的でした。ソビエトは軍事力を行使したことで世界を前に苦しい立場に立たされたのです。“リトアニアが武力を使うので私たちもそれに対抗している”とは主張できなかったのです。」

 リトアニアでは非暴力で成功したが、ウクライナでは困難だと彼はいう。それは当時リトアニアが対峙したゴルバチョフウクライナを攻撃するプーチンには決定的な違いがあるからだ。

「(当時は)平和的な言葉で自分の主張ができました。ゴルバチョフの周りには民主主義的に考えている側近がいたのです。プーチンの周りにはこのような側近がいません。民主主義を考えている側近が全滅させられています。絶対的な独裁者として行動するよう助言する側近ばかりです。」

 また、90年当時は「50万人のモスクワ市民がリトアニアを守る抗議デモに参加しました。今日では全く想像もできません。ウクライナへの侵攻に対し、モスクワでデモに参加する人は5人もいないでしょう。当時は正義の考え方を持っていたロシア人がたくさんいました。彼らはリトアニアへの侵攻をやめるよう求めていたのです。」

 国防というのは「相手」がある。闘いの手段、方法は、敵がどのような相手か、また具体的な条件や状況のなかで柔軟に考えるべきだろう。

 なお、血の日曜日事件をたまたま居合わせた日本テレビのクルーが撮影しており、ディレクターは私もよく知る中山良夫さんだったこと、この映画にもその映像が使われていることをはじめて知った。

 銃弾の飛び交う現場での撮影は怖くなかったかと聞かれ、中山さんに同行したビデオエンジニアの石渡さんが「大勢の市民が何も持ってないのに、ソ連軍に向かって『帰れ、帰れ!リトアニアリトアニア!』と叫んでいるのですよ。しかも僕らより前線で。(略)僕らより危険な場所で大勢の市民が集まって声を出して抗議しているので、全く恐怖はなかったですね。兵士が機関銃で威嚇射撃をしても、戦車が空砲を撃って体が宙に浮いても、市民の人たちは全くびくともしないのですよね。その中にいたら自分たちも何も怖くなくなるのです」と答えているが、非暴力抵抗自体が、あくまで闘い抜くという市民たちの強い決意に支えられていることがわかる。

 

出典:https://takase.hatenablog.jp/entry/20221227_1

 

 私は俗人なので、「武力で屈強な巨人(ソビエト)」とか、「帰れ、帰れ!」コールなどから、記事とは全く関係のない世俗的な何か(笑)*1を連想してしまったが、それはともかく、想田和弘という人は2つ前の記事で私が指摘した、プーチンの侵略行為を「どっちもどっち」論(ネットでは「DD論」と呼ばれることもあるようだ)に矮小化してしまう、「リベラル・左派」にありがちな典型的な俗物であるらしい。

 

 前記ブログ記事の続篇である2件目の記事から引用する。

 

 ランズベルギスがソ連に独立を迫った時に前面に押し出したのが、独ソ不可侵条約の秘密議定書だった。「独ソ不可侵条約」とは1939年8月23日にナチス・ドイツソ連の間に締結された不可侵条約で、激しく対立していたはずの2国が手を結んだことは世界を驚かせた。

 日本は当時ノモンハン事件の最中でソ連と戦闘を行いつつ、日独同盟の締結交渉中で、平沼騏一郎首相は「複雑怪奇な新情勢」に衝撃を受け内閣は総辞職した。

 問題はこの条約と同時に、東ヨーロッパとフィンランドをドイツとソ連で分けあう秘密議定書が締結されていたことで、これにもとづいてリトアニアソ連が占領した。

 この議定書の存在を認めたくないゴルバチョフに、リトアニア側が、歴史的事実をもって、ソ連によるリトアニアの併合自体が無効だったと認めよと迫るのはこの映画の見どころの一つだ。リトアニアは科学と倫理という非暴力でソ連を圧倒していた。

 もう一つこの映画が重要な指摘をしているのは、リトアニア独立が引き金になってソ連邦解体が進んでいくが、権力の巨悪の部分が残ったままになったとサンズベルギスは指摘する。リトアニアへの軍事介入を押し進めた勢力(最終的にはゴルバチョフがOKしたのだが)は処罰されないままだったし、ロシアで反動派の8月クーデター(91年8月)が鎮圧されてもエリツィンはその首謀者たちを徹底して処分しなかった。その勢力は今のロシアで「続いている」とランズベルギスが言う。今のプーチン体制にも根底でつながっているのではないか。これはロズニツァ監督の一貫した問題意識でもある。

 最後に、映画の中でのランズベルギスの印象的な語りを紹介しよう。(パンフレットで想田監督が引用していて助かった)ソ連共産主義とは何か、さらには権力とは何かの核心をついている。

ロズニツァ監督「なぜ彼らはペレストロイカを打ち出したのか?」

 これに対してランズベルギスが答える。

《そもそも彼らが望んでいたのは、いかにこのまま永遠にこの領土を支配していくか。これは人類最大の過ちの一つかもしれない。だが非常にはっきりしていた。ロシア国内、つまり当時のソ連では、最高の価値とは何かに対する権力だった。小さな人々に対する権力。第一に国土に対する権力、領土に対する権力だ。そして〈国家〉と呼ばれる組織の意味は、その領土を拡大させ、不動にすることだ。国歌などでも高らかに歌われてきた。〈不動だ〉とか〈永遠に〉とか。〈レーニンは永遠に〉〈ナンセンスが永遠に〉〈その他一切は忘れなさい〉〈その他一切〉は悪だから。もし悪に仕えるなら、頭の中だけであろうとすでに敵である。何の敵か?我々の敵だ。我々は人民だ。人民の敵だ。もし政府の指示と異なる考えなら、政府だけでなく人民の敵だ。政府は人民の名で活動しているのだから。あたかも人民であるかの特権を自らに与えたから。これは根本的な嘘だ。今も生き延びている偽りの帝国も、そんな根本的な嘘の上に立っている。》

 読むうちに世界の権力者たちの顔が浮かんでくる。(後略)

 

出典:https://takase.hatenablog.jp/entry/20221228

 

 いや実にみごとな記事だ。ここまで、引用を省略できる部分を一箇所もみつけることができなかった。2件目は引用部分以降で話題を転換しているのでその部分だけは省略したが、1件目の記事は、あるいは引用のマナー違反かもしれないと思いながら全文を引用した。なお画像は引用していないので、是非とも元記事を参照されたい。

 それにしても、エリツィンプーチンの製造責任があるとは前々から認識していたが、ゴルバチョフプーチンを生み出した大きな責任があったとはね。今年亡くなった彼の限界を思い知らされる。

 ところで、ピアニストとしてのランズベルギスを私は知らなかった。Wikipediaを見ると、ピアニストとしてよりも音楽学者として著名な人で、政治の世界に入ったのは55歳の1988年にリトアニア独立運動組織サユディスの創設にかかわった時らしい。

 

 最後にまた蛇足を。高世氏は記事を、

忘れることなく、ウイグルの人々と連帯しよう。

と締めくくっているが、記事の最初に悪口を書いた「某暴犬」の得意技の一つが、ウイグルを貶めて弾圧する側の中国(習近平体制)を擁護して悪ぶる「イキリ芸」だった。どうしようもない「露」悪趣味だなあと以前から思っていた。

 とことん唾棄すべき人士なのだ、あの「某暴犬」は。本当に何の値打ちもない。2022年はこいつをとうとうコメント禁止処分にした年だった。

*1:いうまでもなく、一方は下に「軍」をつけて呼ばれることがある極悪集団であり、他方は30年前にサッカーのフーリガンになぞらえられた、某所(私の故地に属する地域にある)に集まった一群の人たちである。