kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

奈良『飛鳥・藤原の宮都』世界遺産への登録勧告(MBSニュース)

 奈良というと最近は戦後最悪のトンデモ宰相しか連想しないが、「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産登録の勧告を受け、世界遺産に登録される見通しとなった。MBSのニュースより。

 

newsdig.tbs.co.jp

 

 以下引用する。

 

 奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録される見通しとなりました。

 

 登録の勧告を受け、奈良県と関係自治体でつくる協議会は6日朝に会見を開き、今後の意気込みを語りました。

 

 (奈良県 山下真知事)

 「世界遺産登録に向けて大きく前進したと受け止めている」

 「奈良の魅力を再認識していただける非常に大きなきっかけになるものと認識している」

 

 また、「飛鳥・藤原の宮都」を構成する19の遺跡のうち、飛鳥寺や高松塚古墳など15の遺跡がある明日香村の住民は…

 

 (明日香村の住民)「やっと決まったと思った。飛鳥は日本の始まりの地だと思うので来てほしい」

 

(MBSニュースより)

 

URL: https://newsdig.tbs.co.jp/articles/mbs/2714160

 

 上記は在阪のTBS系列局のニュースだが、今朝の『サンデーモーニング』には上記内容に高市のコメントが追加されていたので腹が立った。

 だがいつもいつも高市の悪口ばかり書くのもなんなので暇ネタを。

 「飛鳥」と書いて「あすか」。この読みを知ったのは小学校高学年で習う日本史ではなく、テレビドラマ『おくさまは18歳』(1970-71)のヒロインの名前だったからだ。

 このドラマは当時小学校中学年だった私が見たいと思う内容ではなかったが*1、たぶん母が見たかったのではないかと思う。

 ところが、つい最近知ったのだが、脚本家の佐々木守(1936-2006)はヒロインの名前を「百合子」に変更したかったらしい。それをはねつけたのはドラマに主演した岡崎友紀(1953-)だった。

 

fujinkoron.jp

 

 以下引用する。

 

「飛鳥」という役名が…

 

 実は企画書にめぐりあって出演を決めて、そろそろ撮影に入ろうという直前に、役名「飛鳥」を「百合子」に変更すると連絡が来ました。

 えーっ!? な、な、なんでー!? 聞けば哲也が呼ぶ時に「ゆりっぺ」と呼ばせたいと脚本の佐々木守さんから言ってきたとか。

 そ、そ、そんなぁ~~。

 私がこの作品を気に入ったのは、役名の良さも含まれてのことでしたから、断固阻止の姿勢で「変更はしないでください」と申し入れました。

 せっかくの「飛鳥」という役名が変わってしまったら、あまりにも残念過ぎますもの。

 この申し入れのおかげで、「ゆりっぺ」の呼び方は実現せず、「あっちゃん」になってしまったことで、人気脚本家の佐々木守さんが気を悪くしたかどうかは定かではありませんが、私は「飛鳥」という役名を死守したことを、正しい選択だったと思っています。

 だって、飛鳥が飛鳥じゃなかったかもしれないなんて、そんなのやっぱり許せませんよねぇ。ほんと、頑張ってよかったです!

 

URL: https://fujinkoron.jp/articles/-/13154?page=5

 

 確かにこれは岡崎友紀GJだった。「百合子」になんかならなくて本当に良かった。「飛鳥」だったおかげでのちに小学校5年生になって「飛鳥時代」が出てきた時に最初から読めた。

 もっとも「百合子」どころか「早×」だったらもっと悲惨だったが。もしそうなっていたら「あっちゃん」が「サ×ちゃん」にでもなっていたかもしれないと思うと寒気がする。

 なお脚本を書いた佐々木守は左翼だったらしい。以下Wikipediaより。

 

思想

  • 日米安保条約成立後の1960年に日本共産党に入党し、数ヶ月で離党した経験から、政治思想的には無政府主義のスタンスであり、後年のインタビューなどでも「今でも機動隊のバスを見かけると怒りがこみ上げて体が熱くなってくるんですよ」「なぜ今の若者は国に怒りを持たないのだろう」等と述懐しているほか、「今の日本の諸悪の根元は天皇制にあります」などと反天皇制思想を明確に表明していた。実際に佐々木の代表作『お荷物小荷物』、『アイアンキング』には佐々木の反天皇制思想が垣間見える[6](前者は琉球王国アイヌ民族による逆襲、後者は熊襲の子孫による逆襲)。
  • 1960年代後半においてはアイヌ民族解放や琉球独立運動にも支持を寄せていた。また、日本赤軍を支援し[11]、最高幹部重信房子の著書『わが愛わが革命』のゴーストライターをつとめている[12]
  • 脚本においては、1982ATGと円谷プロが共同で製作する予定だった『ウルトラマン怪獣聖書』を天皇制の悪性を主張した内容で描くなど、自己の思想を絡めたものを執筆したものの、この内容が原因で製作中止となってしまった。以降はこれらの思想をドラマ設定の背景に使用することはあっても、劇作家という作品における管理者的立場を利用して自分の思想を振りかざすことはなかった。この点について佐々木は、岩佐陽一のインタビュー[13]に答えて「テレビじゃ反体制の側を主人公にはできないよ。そんな企画書いても通らないし」と述べるとともに、そのような立場の人々に対する個人的な共感を込めた、と語っている。

 

 ところで上記とは逆パターンも思い出もある。

 私は西城秀樹(1955-2018)を知るより前に東條英機(1884-1948)を知っていた。だから西城秀樹という歌手の名前を知った時、東條英機にちなんだものかと疑ったのだった。もちろん東條が戦犯として刑死したことも知っていた。西城秀樹のデビューは1972年だった。

 下記は2006年の「Yahoo知恵袋」より。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

呉下の阿蒙(ごかのあもう)さん

2006/11/3 22:39

 

西城秀樹の芸名を考えた人は東条英機元首相を意識したのでしょうか?

サイジョー・ヒデキ(西)

トージョー・ヒデキ(東)

とても似ており気になります

 

ベストアンサー

 

ors********さん

2006/11/4 12:05(編集あり)

 

西城秀樹さんの芸名は「女学生の友」という雑誌で公募して決まったそうです。

西城さんのデビューは1972年ですから終戦後27年経っていますし特に東條英機を意識したものではなかったと思います。

(ちなみに東條英機は東京市麹町(当時)出身)

ちなみに西城さんの出身は広島市東蟹屋町(現・広島市東区東蟹屋町)です。

同じ広島県西城町がありますがこちらは比婆郡ですので出身地由来でもなさそうです。

(比婆郡西城町は2005年に合併して現在は庄原市)

 

URL: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149858359

 

 もっとも東條英機/西城秀樹の件は以前にも書いたことがあるかもしれない。

 飛鳥時代の史跡の話に戻ると、1972年に高松塚古墳から極彩色の壁画が発見されたことが大ニュースになった。

 

 

 これも発見が1970年代前半だったのでよく覚えている。全国紙の新聞も、おそらく東京本社版よりも大阪本社版の方がより熱心に報じていたに違いない。上記からさらに検索したら、発見されたのが1972年3月21日で、報道陣に公開されたのが同3月26日だったとのこと。

 ただ、世界遺産登録のタイミングが高市政権時代と重なってしまったことは非常に残念だ。結局高市の悪口をかなり書いてしまったかもしれない。

*1:私は同じ曜日の夜8時からやっていた『巨泉・前武のゲバゲバ90分』(日本テレビ系)の方が楽しみだった。なお『ゲバゲバ』にも岡崎友紀が出ていた。