kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1982年10月といえば

東証の株価が今日も暴落し、ついにバブル崩壊後最安値を更新して、1982年10月7日以来の安値を記録した。

1982年10月というと、鈴木善幸首相が政権を投げ出した月だ(10月12日)。つまり、日本における新自由主義の開祖・中曽根康弘が首相になる前の月である。ソ連では、ブレジネフが重病に臥していた。ブレジネフはやはり翌11月に死去したが、アンドロポフ、チェルネンコの短命政権を経て、ゴルバチョフが登場するまでには、さらに2年半近くを要した。

コンパクト・ディスク(CD)が国内で発売されたのもこの年の10月で、コンサート活動を止めてスタジオ録音のみを行っていたカナダの奇人ピアニスト、グレン・グールドが10月4日に死去している。

CDつながりで、プロ野球中日ドラゴンズセ・リーグを制覇したが、なんと星野仙一はまだ現役で、この年限りで現役を引退した。つまり、星野はこのころ、現役選手としては最後の「燃える男」のパフォーマンスに励んでいたのだ。だが、この年の星野はどの球団にも通用せず、登板しては大炎上していた。中日に敗れた巨人の藤田元司監督は、私は当時から有能な監督だと思っていたのだが、勝った1981年や83年には「長嶋が育てた選手のおかげ」と言われ、負けたこの年には、「長嶋が育てた選手を率いていながら藤田の采配のせいで負けた」などとクソミソに批判された。当時の週刊誌は、藤田監督がクジで引き当てた、つまり長嶋の指導など受けていなかった原辰徳まで勝手に「長嶋派」に分類していたのである。そのあまりの理不尽さに私は呆れ返り、それ以来、「○○は××が育てた」云々という類の言説を一切信用しないことにした。

現在の金融危機との関連では、この年、中南米債務危機があり、メキシコが破綻した(8月)。それに先立って、フォークランド紛争があった。英米はすでに新自由主義の時代に突入していた。