kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

川上哲治死去

プロ野球のクソ日本シリーズとやらが行われている真っ最中に、元読売の選手・監督の川上哲治の訃報が伝えられた。

93歳の老衰死でもあり、特に感慨はないが、テレ朝の報棄てで、さもものすごい偉人でもあるかのように川上の訃報を延々と報じていたことに驚いた。

私の主観では、川上哲治というのは、プロ野球の「読売帝国主義」のシステムにおける性能の良い歯車だった。もちろん読売の監督としての話であり、川上の現役時代は、他ならぬ川上監督の指揮下にいたらはみ出したに違いない我の強い選手だったとはよく聞く話だ。しかし川上は見事に転身し、高性能の読売白星生産マシンの管理者になった。

よく、「昔は良かったなあ」と、60年代や70年代の昔を懐かしむ人がいるが、他のことはさておき、読売のV9だけは二度と見たくない。真っ平である。

しかし、今にして思えば「性能の良い歯車」である川上は、その後の読売の面々と比較すればまだマシだったのかもしれない。明らかに「性能の悪い歯車」だった監督時代の長嶋茂雄を、読売は一度はクビにしたが、再び長嶋を監督にしたあとは、読売は性能の悪い機械を使ってもナンバーワンのシェアを死守できるようにと、無謀とも思える過剰な設備投資に走り、その結果当該の産業分野(プロ野球)を破壊してしまった。

その張本人であるナベツネ長嶋茂雄ラインと比較すると、川上哲治の罪はほんの微罪程度だ。40年以上前の昔、湯口というドラフト1位指名の投手が死んだ時の冷酷非情ぶりなど、どうしても川上を好きになれない事柄は少なからずあるが、それでもナベツネや第2次長嶋政権の巨悪と比較すると、「ほんの小悪」としか思えない。

むしろ、川上哲治の罪業としては、己に取り入ってきて、中日監督就任後、背番号も川上と同じ「77」をつけた星野仙一を可愛がったことが思い起こされる。それが、「読売に挑む男」のイメージで売ってきた星野仙一の処世術なのだ。その後、阪神に移っても楽天に移っても、監督・星野仙一の背番号は変わらず「77」のままである。

今年のクソ日本シリーズは、読売が出ているシリーズとしてはこれまで記憶にないのだが、勝敗に一喜一憂することが全くない。「どっちも頑張れ」というより、「どっちもくたばれ」と思ってしまう。

以上、さんざん憎まれ口を叩いたが、故人の冥福を祈る。