kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎と星野仙一の時代錯誤のおかげで「とんだ3連休」になった

毎朝血圧を測っているのだが、今朝は血圧も高く、脈拍数も多かった。

「お沙汰」「身分」「不経済」に辟易させられたあとは、甲子園の高校野球ばりの「腕も折れよと投げ続ける」エースと、そのエースを完投負けした翌日にリリーフで起用する鬼監督という、時代錯誤のスポーツショーを見せつけられた。テレビの演出もまたあざとく、9回にエースが登板して投球練習をしている時、祈るような表情でそれを見つめるエースの妻の姿を映し出し、視聴者の涙を誘おうとしていた。

そんな時代ではなくなっていたはずなのだが。工藤公康(西武など)や山本昌(中日)といった人たちが、いかに長くプレーできるかに腐心して工夫を重ね、選手生命を飛躍的に伸ばしてきたのが最近十数年のプロ野球だった。1995年の野茂英雄の渡米後、アメリカ流の投球数制限が定着した影響も大きい。それまでは、かつての大投手・稲尾和久杉浦忠らに限らず、星野仙一が初めてプロ野球の監督になった1987年以降に限っても、ヤクルトの岡林洋一伊藤智仁近鉄阿波野秀幸、中日(!)の近藤真一、与田剛今中慎二*1など、監督の酷使が原因で選手生命を縮めた選手は少なくなかった。そんな前時代的な傾向は最近は影を潜めてきたが、「わしが育て壊した」星野仙一は、古き悪しき時代を甦らせようとしているかのようだ。

昨夜は、星野の胴上げなど見たくなかったから、試合終了と同時にテレビのスイッチを切り、スポーツニュースの類は全く見なかったが、今朝の新聞記事は読んでしまった。星野はシリーズ中に死んだ川上哲治を「師」と仰いでいるとのことだが、川上の投手起用もひどいものだった。川上は日本シリーズ堀内恒夫高橋一三、倉田誠だけでまかなったことがあったが、この3人の投手も、現在の投手と比較すると投手生命は長くなかった。高橋一三だけは長い低迷のあと日本ハムで復活して読売との日本シリーズに登板したが、それでも当時35歳。それまでの30代前半の低迷は、川上に酷使された影響がもろに出たものであろう。そんな川上を「師」と仰ぐのが星野仙一である。

ヤクルト最下位、読売と楽天の優勝、星野仙一初の日本一と、これ以上ひどい結果は考えられないプロ野球シーズンも、昨日で終わった。(山本太郎と)星野仙一の時代錯誤のおかげで「とんだ3連休」になったが、これからしばらくはこんなものに腹が立ったりしなくても良い日々が続く*2と思えば気が楽になるというものだ。

*1:中日の3人のうち、近藤と与田は星野仙一が単独で、今中慎二星野仙一高木守道が合作で「壊した」投手である。

*2:山本太郎の件はまだ尾を引くかもしれないが。