kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

加藤和彦死去

自殺したとされる加藤和彦氏については、詳しいことは知らないのだが、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」はかろうじてリアルで知っている世代に属する。北山修作詞、加藤和彦作曲の「あの素晴しい愛をもう一度」(1971年)ももちろん知っていて、何度かカラオケで歌ったこともある。私と同世代のブロガーが、「はっきりと覚えていない」と書いているのを見たが、北山も加藤も京都の出身であり、関西で生まれ育った私には、他の地方の人たちよりも彼らの歌になじみが深かったのかもしれない。

加藤についてはよく知らないのだが、北山修については、ニッポン放送でやっていた「オールナイトニッポン」のパーソナリティ・自切俳人(ジキルハイド)としての印象が強い。当時、私はラジオの深夜放送を聴き始めたばかりだった。「オールナイトニッポン」は、関西でも1部(午前1時〜3時)だけはラジオ大阪がネットしていた。それは、笑福亭鶴光が1部、2部ともやっていた土曜日とて同じであり、2部は北朝鮮発の電波の混信に悩まされながらだったか、入りの悪い東京のニッポン放送を聴いていたものだ。名古屋の東海ラジオCBCの方が入りは良かったが、東海ラジオCBCが2部をネットしていたかどうかまでは覚えていない。タモリ自切俳人は1部だけの担当だったので、そのような努力は不要だった。今でも思うのだが、タモリが一番面白かったのはオールナイト・ニッポンをやっていた頃だろう。テレビに出るようになってタモリは毒を失った。

自切俳人は、調べてみると1977年〜78年の間しかオールナイト・ニッポンはやっていなかったようだ。CMに入る前に、なぜかショスタコーヴィチ交響曲第5番の第2楽章(スケルツォ)を流していた。あの時間帯は、もしかして東京ではスポンサーがついたが大阪ではつかなかった時間のつなぎか何かだったのだろうか。もっとも、私は当時この音楽を知らず、のちにショスタコーヴィチの第5交響曲を聴いた時に、「ああ、自切俳人が流していた曲か」と思い当たった次第だ。この番組で初めて知った音楽はほかにもあり、「わかものよ、からだをきたえておけ」という歌詞の歌がそれである。初めて聴いたときから左翼の歌っぽいなあと思っていたのだが、これを自切俳人のオールナイト・ニッポンで聴いた半年後くらいに、音楽の授業で老教師が突如この歌を教材に持ち出したのにぶっ飛んだ思い出がある。老教師は左翼らしいとささやかれていたので、なるほどと思ったものだが、この歌が、ぬやまひろし作詞、関忠亮作曲の「若者よ」という歌だと初めて正式に知ったのは、数年前にネット検索をかけた時である。その時も、何かで北山修の名前を見て、自切俳人のオールナイト・ニッポン経由でこの歌を思い出したのだった。

そんなわけで、加藤和彦氏自身についてはよく知らないので、まともな追悼記事は書けないばかりか話題が脱線してしまったけれども、謹んで故人のご冥福をお祈りしたいと思う。