kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

敵を指導して優勝を逃した1984年の中日・山内一弘監督?

報道番組で今年亡くなった人を回顧する話題が出るようになった。年の瀬だ。

昨夜の『報道ステーション』では、山内一弘土井正三三村敏之の元プロ野球監督3氏を偲ぶ特集をしていた。現阪神金本知憲が広島時代の監督・三村敏之の弔辞を述べていたのも印象深かったが、金本は阪神に移籍なんかしなきゃ良かったのにと、同時に思った。この3人の中でもっとも印象に残ったのは、大毎−阪神−広島の強打者にして、あちこちの球団で監督やコーチを務めた山内一弘氏のエピソードである。

監督としてより、打撃コーチとしての才能に優れていた山内氏は、V9時代後半の巨人や、田淵・掛布を要した70年代半ばの阪神の打撃陣を指導した。どちらかというと守りのチームである歴史が長い阪神だが、1976年には、85年の優勝時と並ぶ強打を発揮した。その打線を指導したのが山内氏だった。

しかし、山内氏が一番やりたかったのは、現役時代にはユニフォームの袖を通すことがなかった出身地・中日の監督だったそうだ。1984年、その中日の監督に就任した山内氏は、前年ふるわなかった中日打線を強打線に仕立て上げた。この年の中日は毎回得点も記録したし、王監督就任一年目の巨人に14連勝し、巨人を優勝争いから蹴落とした。しかし、現役時代最後に在籍した広島には相性が悪く、直接対決で負け越したのが響いて、広島にわずかにリードされて、広島市民球場での天王山を迎えた。以上の背景は、『報道ステーション』では報じられなかった。

当時は、今よりずっとプロ野球人気が高く、今だったら東海地方と広島県以外では放送されるはずもない広島−中日の首位攻防戦が全国ネットされていたし、当時プロ野球マニアだった私もこの試合をテレビ観戦した。だから、この試合で広島の高橋慶彦が2本のホームランを打ったことも覚えている。しかし、高橋が試合前に敵将である山内一弘からバッティングのアドバイスを受けていたとは、昨日の放送における現千葉ロッテコーチ・高橋へのインタビューで初めて知った。

この試合は、高橋のホームランで広島が優位に試合を進めたが、中日も二度にわたって同点に追いつく粘りを見せた。確か9回表ツーアウトから、中日の谷沢が広島のリリーフエース・小林誠二から同点2ランを放って、広島市民球場のスタンドが静まり返った記憶がある。そして、その裏サヨナラ打を放ったのは衣笠だったか山本浩二だったか。広島は2年後にもリーグ優勝しているが、その年には山本浩二が引退し、衣笠もかなり衰えていた。そして1986年の日本シリーズでは緒戦を引き分けたあと3連勝しながら、第5戦から4連敗して日本一を逃した。1984年は、山本浩二・衣笠が衰える前の広島の、最後の優勝だった。

1984年は、広島が最後に日本一になった年でもある。阪急ブレーブスを相手に行われたこの年の日本シリーズ第4戦も名勝負だった。投打に活躍した阪急の山田久志が、自ら走者に出てスタミナを消耗したあげく、最後に力尽きた試合だったが、この試合も勝負を決めたのは衣笠だったか山本浩二だったか、カープファンの方には申し訳ないが記憶がはっきりしない。負けた山田の記憶ばかりが鮮烈だ。しかし、残念なことに西宮球場のスタンドには空席が目立った。

思い出話はともかく、高橋にアドバイスした山内一弘は、新聞(おそらく中日新聞中日スポーツなど)に叩かれたそうだ。この試合に負けてこの年の優勝を逃した中日は、翌年、翌々年と低迷したあと、あの星野仙一が監督に就任して、金にも物を言わせてAクラスの常連になった。山内監督時代最初の年の中日には、金満球団になる前のこのチームがもっとも光を放っていた時期だったという印象がある。そして、同じ山内がコーチを務めて巨人と熾烈な優勝争いを演じた1976年の阪神にも、これと似た印象を私は持っている。掛布・田淵・ブリーデンの打線で、阪神は終盤に巨人を追い詰めながら、後楽園球場で行われた首位攻防戦で王にベーブ・ルースの記録を破るホームランを打たれるなどして競り負け、優勝を逃した。しかし私には、2位に終わった1976年の阪神の方が優勝した1985年の阪神より印象が強いし、中日も、その後星野が監督になって1988年に優勝した時よりも、1984年に2位に終わった時の方が印象が強い。この年に亡くなった元巨人の牧野茂コーチが、谷沢・大島・田尾・宇野といった強打者を擁した中日が、速球派の小松・郭を軸とする投手陣とかみ合ったら中日は怖いと週刊誌に書いていたが、その潜在能力を引き出したのが山内一弘だった。そして、牧野が天国に旅立った直後、中日は対巨人14連勝を記録した。巨人の誇る二枚看板だった江川・西本も中日打線を抑えることができなかった。翌年優勝した阪神の打線も凄かったが、阪神は下位球団(大洋、中日、ヤクルト)から星を稼ぎまくったものの、江川や西本には結構抑えられた。確か落合監督になってからも中日は巨人に二桁連勝をしたはずだが、山内監督時代の記録には届かなかった。そういえば、落合博満もロッテ時代に山内一弘の教えを受けたことがあるはずだが、2人の関係がどうだったか、私は知らない。

ネットでは「敵味方思考」がどうこうという話があり、プロ野球でも星野仙一岡田彰布の確執などかなり醜いものがあるが、好きな打撃指導のためなら味方も敵も忘れてしまった山内一弘のような人物は、現在ではすっかり稀になってしまったように思える。