kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

DeNA・三浦大輔、ヤクルト打線に壮絶に打たれながらも三振も取りまくって豪快に引退

DeNA三浦大輔が選手生活の晩年に大幅に勝ち星を減らしたのは、それまでお得意さまにしていた阪神にさっぱり通用しなくなったことが大きかったと思うが、その一方で中日とヤクルトから勝ち星を稼ぐようになっていた。ヤクルトが優勝した昨年でさえ、三浦はヤクルトから3勝を挙げていた(2敗)。

今年、三浦がなかなか一軍に上がってこないなあ、ヤクルトになら勝てるかもしれないのにと(自虐的に)思っていたが、オールスター前にヤクルトと並ぶ近年の三浦のお得意さまだった中日戦に先発した三浦は、初回にいきなり中日打線に6点を奪われた。この試合で投手としては最長記録とのことでギネスに認定された24年連続安打は放ったものの、中日に打たれるとは三浦はやはり力が落ちてるんだなあと思った。しかし、昨年までの2,3年、ヤクルトが三浦にやられ続けていたことを覚えている私は、中日にはダメでもヤクルトには通用するかもしれないとまだ思っていた。

先日の甲子園での阪神戦は惜しかった。近年火だるまになるばかりだった阪神戦で、三浦は4回3分の1を2失点に抑えた。しかし、その時の阪神4連戦で、阪神の先発投手の中ではもっとも打ちやすいと思われた秋山(とはいえ、この投手を過去ヤクルトは苦手にしていた)が先発したその試合に限ってDeNA打線は火を噴かず(他の3試合はいずれもDeNA打線が阪神投手陣を打ち込んで3勝を挙げた)、三浦は一死二、三塁のピンチを招いて降板し、救援投手は阪神打線を抑えたものの、DeNA打線も最後まで沈黙して三浦に負けがついてしまった。

そして、三浦の最終登板は、三浦がもっとも苦手とする読売との最終戦とのことだった。こりゃ24年連続勝利の記録は無理だなあ、三浦はヤクルト戦で投げさせてもらえないのかと思った。しかし、思いがけずも本拠地でのヤクルト戦が雨で流れ、横浜スタジアムでの最終戦が読売戦からヤクルト戦に変わった。それに伴って三浦の最終登板も読売戦からヤクルト戦に変更になった。その時から、今日の試合がずっと気になっていた。

私が念じていたのは、昔、1969年にスワローズOBの金田正一(読売に移籍していた)がシーズン最終戦の中日戦に勝って400勝を達成した時のようなインチキ(金田はリードをもらった5回から救援登板して勝ち星を先発投手から横取りした)はやらずに、ヤクルト打線は正々堂々と真剣勝負をしてほしいということだった(三浦は救援などではなく先発することは告知されていた)。

実現したのは、期待を大きく上回る内容の試合だった。三浦の投球内容は、6回3分の1を投げて、被安打12、奪三振8、失点10という内容だった。なんという(技巧派の)三浦らしからぬ豪快な投球内容かと感嘆した。三浦の1試合2桁失点はプロ入り後初めてとのことだ*1。三浦は最後の力を振り絞って投げ、ヤクルト打線は真剣勝負で立ち向かった。それが数字に表れたと思った。三浦はプロ入り後123本目のヒットも放った。24年連続勝利の記録を逃した三浦だったが、三浦本人もベイスターズファンも皆、三浦の最後の勇姿に酔いしれていた。TBSのNEWS23は、横浜スタジアムに入りきれなかったベイスターズファンが球場の周りで三浦を応援している姿を映していた。

金田正一通算記録や、その昔の掛布(阪神)と宇野(中日)の本塁打王争いでの四球合戦(1984年)、小松(中日)と北別府(広島)の救援での(金田正一同様の)白星積み重ね合戦(1985年)などの醜い姿*2を覚えている私は、今や地上波のテレビ放送もなくなったプロ野球にも、昨日の大谷の「二刀流」完結劇ともども、それなりに進歩はあるのだなあと、珍しくポジティブな気持ちになれた。

最後に一言。三浦大輔投手、長い間お疲れさまでした。

*1:オープン戦では東京ドームの読売戦で14失点というのがあったと思う。

*2:小松は1987年にも終盤戦に救援で2勝を挙げて、1985年以来2度目の最多勝のタイトルを獲ったが、1987年の中日監督は星野仙一だった(1985年は山内一弘)。一方、北別府は1985年のインチキ合戦では小松に負けたが、1982年と1986年の最多勝は掛け値なしだった。ブロハードが「神が打たせた正義の一発」を打った1986年にはセ・リーグMVPを獲得した。