kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「落合監督退任、後任に高木守道氏」に驚く

プロ野球中日ドラゴンズ落合博満監督が今季限りで退任し、後任監督に同球団OBの高木守道氏が就任するというニュースには驚いた。

落合の退任に驚いたのではなく、後任人事に驚いたのだった。

私はプロ野球監督としての高木守道を全く買っていない。高木が最初に采配を振るったのは、1986年に山内一弘監督(当時、故人)がシーズン途中で成績不振の責任を取って退団した時の監督代行としてだった。

高木監督代行率いる中日が、当時強打線を誇った阪神タイガースの本拠地・甲子園球場に乗り込んだ試合で、序盤につかんだ無死満塁のチャンスにスクイズを試みて失敗すると、次打者にもスクイズを命じて1点を取ったものの、阪神の強打線にあっさり逆転された試合があった。当時阪神に在籍し、二年連続三冠王に輝いたランディ・バースが、高木をリーグ最低の指揮官としてバカにしたコメントを残したものだった。このシーズンの終盤、中日は大崩れして優勝を争った二強の読売・広島の草狩り場にされた。後楽園球場で読売に3連敗した中日は、広島市民球場では広島に4連敗したのだが、高木は読売新聞のライバルである親会社の中日新聞社に「読売に3連敗するようなチームは広島に勝つな」と命令されたのではないかと疑ったほど、広島市民球場での中日の戦いぶりはふがいないものだった。広島が中日を4タテしたその日、ヤクルトがブロハードの逆転2ランで読売先発の槇原を沈め、両球団の優勝争いは一気に広島有利へと傾いたのだが、その結果自体には喜んだ私も、高木監督代行率いる中日の無気力さには後味の悪さを感じたものだった。

高木守道には、どうしてもここ一番に淡泊というイメージが拭い去れない。その最たるものは、1994年、読売と中日が同率首位で並んだ最終戦決戦での采配だった。あの時、読売監督の長嶋茂雄が試合前のミーティングで、「勝つ、勝つ、勝ーつ」と「喝」ならぬ「勝つ」を入れ、試合でも先発の槇原寛己が打たれると斎藤雅樹桑田真澄という当時読売が誇った主力投手の継投をしたのに対し、高木守道は先発の今中慎二が打たれてリードを許すと、普通の負け試合の継投をした。あれではチームは奮い立たない。まともな監督なら、あの試合の救援には主力の郭源治山本昌をつぎ込んだはずだ。しかも、試合後に高木は「プロ野球のためにはジャイアンツが勝って良かった」とかなんとかほざいた。後日、あれは高木守道一流の皮肉だという解釈もなされたが、私は文字通りの意味にとった。コメントの真意はどうあれ、あの試合は読売が勝つべくして勝ち、中日は負けるべくして負けたと今でも考えている。高木は「プロ野球のためには良かった」と言ったが、私はあの試合をテレビで見て、「これでプロ野球は10年遅れる」と予感したものだった。

そして、最終戦の伏線には、その前の週、中日が読売と同率首位に追いついた時の試合前に、高木守道が自らの首に手を当てる仕草をして、そのシーズン限りでの退任を口にしたことがあった。「クビ」を意味する仕草は、高木自身の自由意志による辞任ではなく、球団による解任であることを意味していた。

この一幕が、それまで怒濤の勢いで読売を追い上げ、ついに追いついたチームの勢いを殺いだ。そして、最終戦に敗れたあと、自らの言葉通り監督を辞めれば良かったものを、周囲からの続投待望論を容れて高木守道は辞めるのを止めてしまった。あげくの果てが翌1995年の大不振だった。この年の中日は、阪神ともどもプロ野球の球団とは思えない弱さで、当時テレビ朝日の『ニュースステーション』のキャスターをやっていた久米宏は、「セ・リーグ(読売リーグ)の試合はやる前から結果がわかっている試合が2試合ある(中日戦と阪神戦)からしらける」とまで言い放った。もっともその時には既に高木守道阪神中村勝広ともども監督を辞任したあとで、両球団を率いていたのはそれぞれ監督代行ではあったのだが。

このように、監督としての高木守道に良い印象は全く持っていない私だが、それ以上に思ったのは「高木守道っていったい何歳なんだ」ということだ。中日が読売の10連覇を阻んだ時の中心選手だが、それはもう37年も前のことだ。70近いだろうなとは思ったが、実際はもう70の大台に乗っていた。

私はまず、高木(や星野仙一)のあとの世代の中日OBはいないんだろうかと思った。谷沢健一大島康徳の名前が思い浮かんだが、谷沢はプロ野球の現場から離れて長いし、大島は日本ハムの人という印象の方が強くなっている。そのさらに次の世代になると、現監督の落合博満の他に誰がいたっけという感覚。楽天の初代監督としてババを引いた田尾安志くらいのものか。

だが、誰が監督をやるにせよ、監督就任後すべてのシーズンでAクラス入りし、リーグ優勝3回、日本シリーズ出場4回、日本シリーズ優勝1回の成績を残した落合博満の後任は嫌に決まっている。それで、既に監督として失敗した経歴を持つ高木守道くらいしか監督のなり手がなかったのではないか、などと意地悪なことを考えてしまう。

それならいっそのこと、選手時代の実績はなくとも指導者の素質を持った人間を誰か抜擢できなかったものかと思う。私が念頭に置いているのは、かつての西本幸雄であり、上田利治だ。かつてそういう人材を抜擢する阪急ブレーブスというチームがあった。同じ兵庫県西宮市を本拠地としながら球団OBの元スター選手の監督にこだわって失敗を繰り返した阪神タイガースとは対照的だった。

誰も監督をやりたがらないに違いない現在の中日にとっては、かつての西本や上田のような人材を抜擢するチャンスだったと思えなくもないのだが、下地がなかったのだろう。普段から追求してこなかった理想は、急には実現できない。

この四半世紀を通じてAクラス常連だった中日ドラゴンズの黄金期も終わりが近いと思った日だった。しかし、今日は落合博満率いる中日はヤクルトとの首位攻防戦に勝った。来年以降はいざ知らず、「落合竜」がしぶといことは間違いなさそうだ。