kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

お笑い城内実劇場、さらにヒートアップ。支持者と乱闘するセンセ(爆)

昨日の記事*1の続き。

いや、なんて楽しいブログなんだろう。

◇ コ ラ ム ◇ トヨタのリコール問題 « 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト のコメント欄より。

48.
引佐の光 2010/02/19 14:06:53

私の友人は城内さんの選挙区三ケ日にある会社の自動車製造ラインで班長さんとして働いています。最近は人員削減の影響で何人分もの仕事をこなさなければならなくなり大変だと言っていました。彼はトヨタの従業員ではないけれど、トヨタでもこうして沢山の人達が一生懸命に働いて家族を養っています。トヨタの苦境と聞くと、わたしなどは、まず、不況の中で歯を食いしばって頑張っている従業員の方達の生活が無事でありますようにと思います。それから、日本がますます活力を失うことになりませんようにと願います。企業は必死で働く従業員の集合体であるので「天罰」など受けるべくもないと思います。

日本に原爆を落とした時、アメリカ人は「天罰だ」と思ったかもしれない。相手に対して「天罰だ」と弾劾する時、絶対に正義はこちら側にある、自分こそが正義だという不遜さがあると思う。そしてその不遜さのために優しさを失った考え方だと思う。「郵政民営化反対は正義である」という強い確信のために、城内さんはトヨタの従業員の立場や気持ちに添うことを忘れている。絶対の正義などないと思う。神のみぞ知る。神様の存在を信じていたら、「天罰だ」という発想にはならない気がする。それに、良いことをしたから「ご褒美」、悪いことをしたから、すぐに「罰」というほど神様の裁量は単純でない気がする。人智の及ばないところです。


この人は、あとで紹介する60番のコメントを読むと、城内実の支持者であるらしいことがわかる。つまり、これは支持者が書いた城内実への諫言だ。しかし、城内実センセはこのコメントに切れた(笑)。

54.
城内 実 2010/02/19 23:27:41

コメント書かれたみなさんへ。
私は、「まさか天罰ではあるまい。」と言っているのですが・・・・・。
「まさか」と「あるまい」で二重に疑問をていしているのに、みなさんあたかも「天罰くだったざまあみろ」と解釈しているのですね。
上のブログの記事を本人が解説します。「天罰ではないことを信じたい。因果応報ということもあるから、自分たちの従業員を酷使し、これまで政治力を使ってどれだけリコール隠し(?)をしてきたか経営陣は反省すべきではないか。」
常に自分を高いところにおいてかつてのように相手を平気で批判する引佐の光さんに対しては私こそ本当に失望しました。傲慢不遜とは良く言ったものですね。城内実


自らが支持する代議士を気遣う心から出たとしか思えない親切な批判コメントに切れる城内実。これがこの男の本性だとしか私には思えない。なんでこんな幼稚な詭弁を弄することしかできないのだろうか。「引佐の光」さんは冷静に反応する。

59.
引佐の光 2010/02/20 0:47:46

城内実

神様や「天罰」についての考え方が違うのだと思います。私の解釈はこうです。日本の宗教は、神道でも仏教でも、人は誰もみな心の中に神性あるいは仏性をもって生まれ出てきて、一生をかけて己の内面と向き合い神性あるいは仏性を磨き高めるものだと教えていると聞いたことがあります。このように人間一人ひとりの中に、神が、あるいは仏が生まれながらにして内在するという考え方が西洋の宗教とは大きく違っているところだそうです。

誰もが持っている仏性を「夜の月の万水に映るがごとし」と表現するのだそうです。それで、わたくしは次のように理解するようになりました。お天道さまが見ているとか、因果応報というのは、ひたすらに「己」を律し磨くための指針である。法律で決められていなくても自分を律し、自分の行いについてはその因果が戻ってくるという形で責任をとる。あくまでも「自分」の内面を見つめ、自分の責任において己の中の神性あるいは仏性を磨けという教えであると。

ですから、それは「神」「神性」「仏性」と「己」の関係でしかないと私は思っています。
他人の行為・行動についてまで、「天罰」が下るかどうか「因果応報」かどうか、解釈を試みたり、詮索したり、ということ自体が、すでにただ一個の人間に過ぎない私の分を超えていると感じます。このエントリの内容に即して言いますと、トヨタに「天罰」が下るかどうか、いやそうではあるまいと考えるだけでも、すでにそれは「己」と「神」の繋がりという領分を越えて、「他人」と「神」の繋がりの領分に立ち入ることであり、そのことがすでに不遜だと私は思ったのです。

もちろん、私は宗教家ではありませんので、あくまでも私の個人的な考え方です。


まるで大人と子供の会話みたいだ。以下はギャラリーのコメント。

59.
ゲスト 2010/02/20 1:09:02

引佐の光さんと城内さんの間に今まで何があったか知りませんが、このエントリーのコメント欄だけを見る限り、引佐の光さんがそこまで城内先生に酷い事を言われる理由はないと思います。


そりゃそうだ。引佐の光さんは三たびコメントする。

60.
引佐の光 2010/02/20 2:32:01

>59 ゲスト様 
冷静にさせてくださいましてありがとうございました。

城内実
不愉快な思いをさせてしまいまして申し訳ありませんでした。
エントリ本文の「天罰」という言葉を見た時に、そして、またコメント欄の城内先生ご自身の書き込み「天罰が下るって、なんで言ってはいけないのですか」との言葉を見て、いつもの通り非常に心配したんです。いえ、誤解を受ける言葉の使い方は政治家の命取りになるので、「こんな危険な表現をして!」と怒りを感じたんです。
根源は応援心ですが、ご思慮ある衆議院議員の「言葉の選択」を信じず、怒りを露わにしたのですから私が悪かったと思います。申し訳ありませんでした。今後は書き込みを慎みたいと思います。


文面は謝罪だけれども、「ご思慮ある衆議院議員の「言葉の選択」を信じず、怒りを露わにしたのですから私が悪かったと思います」という表現からは、引佐の光さんが城内実に呆れた様子が伺われる。忠告に切れるような政治家は、私だったら支持するのを止めて、ブログにも二度とコメントしてやるものかと思うのだが、引佐の光さんはどうされるのだろうか。

締めは、ご存じ都民さんのコメント。

61.
都民(ママ=工作員?) 2010/02/20 5:24:24

『まさか』と『あるまい』で二重疑問。
二重否定は『強調』って知ってます?

二重にした時点で普通の感覚で日本語に慣れている人は『強調』だと思うのさ。


そうか、そういえば城内実センセは帰国子女だから日本語に不自由だったんだ! そう思って、嗤って、もとい笑って許してあげなきゃいけないのかもしれないね。