kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「みんなで背番号42」の日に思った日米野球界の差別克服

松井秀喜の悪口を書いたら、松井がヤンキース戦の3戦目でホームランを打った。松井が打てなかった前の試合ではエンジェルスが勝ったが、松井がホームランを打った試合はヤンキースが勝った。

この試合は、「ロビンソン・デー」と銘打たれ、MLBの全チームの選手が、全球団共通の永久欠番「42」を着用して試合に臨んだ。松井がプロ入り以来初めて背番号「55」以外でホームランを打った、などと馬鹿なことを書いていたスポーツ紙もあったようだが、そんなことはどうでも良い。

ジャッキー・ロビンソンは、MLB初の黒人プレーヤーとして知られる。ロビンソンがロサンジェルスドジャースに入団する以前には、MLBには黒人選手がいなかった。そして、最後まで黒人に門戸を開こうとしなかった球団がニューヨーク・ヤンキースだった。

かつてニューヨークの下町・ブルックリンに本拠地を置いていた頃から、ドジャースヤンキースのライバルだったが、いち早く西海岸に移転したり、黒人選手に門戸を開くなど、何かとヤンキースとは対照的な球団だ。近鉄バファローズで活躍した野茂英雄ドジャース入りし、巨人で活躍した松井秀喜ヤンキース入りしたのも、なんとなくうなずける。

巨人は、V9時代には「純血打線」をウリにしていたが、主砲の王貞治は台湾籍、投手の金田正一や新浦寿夫は韓国系の人だった。のちには張本勲も巨人入りした。V9当時、巨人はアジア人は入れるがアメリカ人は入れないと言っていたと思う。

長嶋茂雄が巨人の監督になって、デーブ・ジョンソンを皮切りにアメリカ人を入団させるようになったが、なかなか黒人は採らなかった。長嶋は確か「黒人はジャイアンツのイメージに合わない」だったか、差別発言をしたことがあったように記憶している。

巨人入りした最初の黒人選手は、レジー・スミスだった。藤田元司監督時代、1983年のことだ。ど迫力の大物メジャーリーガーで、巨人のリーグ優勝に貢献したが、日本シリーズでは西武投手陣に抑えられた。

巨人で大活躍した黒人プレーヤーというと、ウォーレン・クロマティの印象が強い。王貞治監督時代から二度目の藤田監督時代にかけて活躍した。そして、1993年から巨人監督に復帰した長嶋茂雄も、今度は黒人を差別する発言はせず、黒人選手を獲得した。

松井がホームランを打った試合に話を戻すと、もちろんヤンキースの全選手も背番号「42」をつけていた。アメリカではヤンキース、日本では巨人は、全球団の中でもっとも人種差別的な球団だったが、今では排外主義をむき出しにしているのはファンの方だ。野球以外でも、フィギュアスケートで、「マオタ」(浅田真央ヲタク)のキム・ヨナに対する誹謗中傷のひどさは、日頃から排外主義を煽ってきた城内実が、ちょっとキム・ヨナをほめたくらいで城内のブログを炎上させるほどのすさまじさだった。

V9時代に「2ちゃんねる」があったら、金田が打たれ、王が凡退して巨人が負けるたびに、拝外主義的なネット右翼が彼らを非難する投稿を繰り返したのではないかと想像する。

時代は確実に進歩していって、差別の象徴的存在だった「権威あるもの」どもも差別を克服することが求められ、変わっていくけれども、最後まで進歩から取り残されて差別を残すのは「草の根」の人々なのである。