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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

日本ハム 大谷翔平 エンジェルスと契約へ(NHK)

北海道日本ハム選手・大谷翔平の行き先はマスメディアの間では「大穴」とされたアナハイムだった。実は最初大谷が候補を7球団に絞った時には真っ先に挙げられていたのがエンジェルスだったのだが、マスコミがやれジャイアンツだのパドレスだのマリナーズだのと騒いでいただけだった。私などエンジェルスはどうした、と思っていた口だったが、結局その直感が正しかった。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171209/k10011252351000.html

日本ハム 大谷翔平 エンジェルスと契約へ
12月9日 4時32分

プロ野球日本ハムから大リーグ移籍を目指している大谷翔平選手がエンジェルスと契約することを決めたと代理人の事務所が8日、発表しました。

大谷選手をめぐっては、日本ハムが今月1日に移籍に必要な制度のポスティングシステムを利用する申請を行い、大谷選手は5日までに移籍先の候補としてエンジェルスやドジャース、それにマリナーズジャイアンツなど、アメリカの西海岸を本拠地とする球団を中心に7つの球団と契約の交渉を行いました。

そして、大谷選手の代理人の事務所は8日、大谷選手がエンジェルスと契約することを決めたと発表しました。代理人は大谷選手は交渉の際の面談を通じて、エンジェルスと強いつながりを感じたほか、選手としてレベルアップし、大リーグでの目標を達成するためにはエンジェルスが最高の環境であると考え、移籍先に決めたとしています。

大谷選手はプロ5年目の23歳。投打の「二刀流」でプレーし、チームが日本一に輝いた去年は、ピッチャーとしては10勝を挙げてプロ野球最速となる165キロをマークし、バッターとしてはホームラン22本を打つ活躍をしました。そして、ことし11月にポスティングシステムを利用して大リーグに挑戦することを表明していました。

エンジェルスはロサンゼルスから南に40キロ余り離れたカリフォルニア州アナハイムに本拠地を置いています。チーム創設は1961年で、1997年から2001年までは長谷川滋利投手が、2010年には松井秀喜選手が、2011年から2012年には高橋尚成投手がプレーしていました。

エンジェルスは2000年から18年にわたってマイク・ソーシア監督が指揮を執っていて、2002年にはワールドシリーズ初出場でワールドチャンピオンになりました。

また、この期間には所属しているアメリカンリーグ西部地区で6回の優勝を果たしていますが、今シーズンは2位で、プレーオフ進出を逃しています。


アナハイムとは

アナハイムカリフォルニア州南部に位置し、ロサンゼルスから南東におよそ40キロのところにある都市です。人口は35万人余りで、テーマパーク、ディズニーランドがあることから日本からも多くの観光客が訪れるところです。


大谷選手 日本では

大谷翔平選手は、プロ5年目の23歳。身長1メートル93センチ、体重97キロで、投手と野手の「二刀流」でプレーする右投げ左打ちの選手です。

岩手県花巻東高校の時に投手として、球速160キロ、打者として、高校通算56本のホームランをマークして注目され、平成24年のドラフト会議の直前には大リーグ挑戦の意向を表明しました。しかし、ドラフト1位で指名した日本ハムから、大リーグでプレーするという大谷選手の夢を後押しし、投手と野手の「二刀流」で育成するという異例の提案を受け、入団を決意しました。

日本ハムでは1年目から「二刀流」でプレーし2年目には、投手として防御率リーグ3位の2.61、チームトップの11勝を挙げ、球速では当時のプロ野球最速に並ぶ162キロをマークしました。野手としては、主に指名打者として出場し、打率2割7分4厘をマークし、ホームラン10本を打ち、プロ野球史上初めて同じシーズンにふた桁の勝利とホームランを達成しました。

3年目はバッターとしては打率2割2厘、ホームラン5本でしたが、投手としては先発投手陣の柱として22試合に登板し、15勝5敗、防御率2.24の成績を残し、「最多勝」、「最優秀防御率」、「勝率第1位」の3つのタイトルを獲得しました。

4年目には、投手として10勝、防御率1.86、プロ野球最速の165キロをマークしました。打者としては自己最多のホームラン22本を打ち、史上初めて投手と指名打者の2つの部門でベストナインに選ばれました。

そして5年目の今シーズンを終えた11月、ポスティングシステムを利用しての大リーグ挑戦を表明しました。

NHKニュースより)


まず大谷翔平自身の選択についていえば、これはもう考え得る限り最高の選択をしたと思う。実にクレバーな選手だと感心した。

気候から言っても、春と秋にはかなり寒い場所にあるヤンキースレッドソックスを最初から外したのは大正解だ。ことにロサンジェルスやサンディエゴ(パドレスは大谷移籍の有力候補に挙がっていて、日本ハム野茂英雄長谷川滋利らが関係していることから、報ステだったかが有力視する報道をしていた。一方TBSの23はマリナーズ推しだったかと思う)は温暖な上、夏でも湿度も朝晩の気温も低くて最高に快適だ。サンフランシスコ(や対岸のオークランド)になると少し気温が低いし、シアトルだとさらに寒い。だからロスかサンディエゴが良いが、ドジャーズパドレス指名打者制度のないナショナル・リーグでエンジェルズは日本ハムと同じ指名打者制度のあるアメリカン・リーグのチームだ。ナショナル・リーグの方が投手でも打席に立てるが(現に野茂英雄ドジャーズで通算4本の本塁打を放った)、専門の野手を押しのける守備力がなければ登板しない日の打席には立てない。アメリカン・リーグであれば登板日には打席に立てないけれども打撃力だけの勝負で指名打者を押しのけることができる。こう考えれば選択肢はエンジェルス一本に絞られることになる。

私は上記のように考えるから、大谷翔平とエンジェルスとは最高の組み合わせだと思うのだ。

問題は、日本でも大谷が「二刀流で成功した」といえる実績を挙げていないことだろう。2014年には二刀流の可能性を示したが、2015年には投手成績は良かったけれども打撃がダメだった。日本ハムが日本一になった2016年には投手としては故障で10勝止まりだったが打撃で大活躍した。この年の大谷の打撃がなければ日本ハムの優勝はなかった。以上の経緯から今年が日本でプレーする最後の大事な年だと思われたが、故障で出場できない試合が半分以上(じゃなかったっけ)で、投手としても打者としても成績を残せなかった。

その上でMLBに挑戦するのだから、それは簡単にいくはずはないのだが、それはそれとして挑戦する条件としてはベストだとは間違いなく言える。

クレバーさにおいて大谷翔平に比較できるのは、かつて同じエンジェルスでプレーした元オリックス長谷川滋利くらいのものではないか。

思えば大谷のクレバーさは、昨年の日本シリーズ第3戦でサヨナラ安打を打った試合のあとのヒーローインタビューにもはっきり表れていた。あの時のインタビューで大谷は、広島の救援投手・大瀬良大地が「くさいところばかり投げてくる」ことを見越して最初から悪球を狙っていたと答えていた。あの悪球打ちはテレビ朝日系のゲスト解説者を務めていた元広島の「天才」前田智徳をうならせるほどのものだった。また、同じく解説していた古田敦也の「敬遠なら敬遠とはっきりさせろ」という指摘が正しかったことをも鮮やかに示した。あの打撃を見ただけでも、投手だけではなく打者としての大谷を見たい、と強く思わせるものだった。「くさいところを突いてくる」ことを予測するだけなら誰にでもできるかもしれないが、失投ではなく悪球それ自体をわざわざ狙いに行く発想がドカベン岩鬼みたいだし、しかも悪球を狙ってそれを成功させるとは常人になし得る技量ではない(もっとも敬遠球を狙って打った元阪神新庄剛志日本ハムにも所属した=や元日本ハムの柏原純一=阪神にも所属した=らの前例はあるが)。

考えてみれば、これまでヤンキースにこだわった、あるいはドジャースその他のヤンキース以外の球団を本命としながらヤンキース入りに追い込まれた日本人選手がいかに多かったことか。彼らのうち最終的に十分自分の力を出せた選手など誰もいなかった。

最悪の例は伊良部秀輝で、彼は千葉ロッテマリーンズが提携していたサンディエゴ・パドレス入りしながらパドレスではプレーせず、不透明な三角トレードでヤンキースにトレードされ、ヤンキースでプレーしたものの大ブーイングを浴びた。三角トレードといえば、日本でも同様の形でヤクルト入りした荒川尭が蹴られた大洋ホエールズの熱狂的なファンから暴行を受けたことが原因になって引退に追い込まれる不幸な事件が起きたが、伊良部の場合はサンディエゴではなく本拠地のニューヨークで罵声を浴びたのだった。伊良部は結局MLBでは成功できず、日本に帰って阪神でプレーした2003年の前半戦で活躍して阪神のリーグ優勝に大きく貢献した*1ものの、阪神でもこの年のシーズン後半には調子を落とし、それでも日本シリーズに2度先発させた星野仙一の投手起用ミスもあって伊良部は先発した2試合ともダイエー打線にめった打ちを食って阪神のシリーズ敗退の元凶と言われた(真の元凶は伊良部を2試合も先発させた星野仙一だったが)。結局翌年にも開幕早々打ち込まれた伊良部は阪神でも成功したとは言えず2年で退団し、その後不本意な生活を送ったあげくに2011年に自殺した。

伊良部に次いで悲惨な例は、やはり阪神のエースだった井川慶だ。井川の場合は、日本でも下位球団にばかり強かったものの当時阪神のライバルだった中日との首位攻防戦になると決まって打ち込まれる程度の投手で、もちろん日本シリーズでは全然ダメだった*2。そもそも井川程度の投手がMLBで成功できるとは私には思えなかったのだが、もともと実力に問題があった上に行き先がヤンキースとあっては成功できる目など全くなかった。結局井川はアメリカに5年いたがメジャーはそのうち最初の2年だけで2勝4敗に終わり、帰国してオリックス入りしたもののオリックスでもダメだった(但し阪神から白星を挙げて12球団相手に勝利投手になる記録だけは作った)。今年は独立リーグ兵庫ブルーサンダーズ(1989年のオリックス・ブレーブスの猛打戦につけられ仇名の「ブルーサンダー打線」からとられたチーム名)でプレーし、さすがにここでは無敵で11勝0敗の記録を残したらしい。ただし井川は兵庫も退団し、「いったん休養」に入ったと発表したとのことで、伊良部とは好対照の何を考えているかわからない人のようだ。あまり根を詰めて考えすぎると伊良部のようになってしまうから、井川のような生き方が案外賢明なのかもしれないとも思うが、それでも少なくとも井川が「ベストを追求した」選択をしようとした意思は私には感じられない。

ヤンキースでかなりの程度成功した松井秀喜は、「どうしても移籍するというのならヤンキースで」という読売(ナベツネ)の意向で決めさせられたようなものだし、田中将大は本命はドジャースだったが獲ってくれなかったのでヤンキースを選んだ印象がある。またイチローも獲ってくれるところがたまたまヤンキースだったからヤンキース入りしたに過ぎない印象がある。彼らは伊良部や井川とは違って結果を残しはしたが、松井にせよ田中にせよヤンキースでなく西海岸の球団だったらもっと良かったのではないかと思わずにはいられないし、イチローにいたってはヤンキースで干された試合が多かった印象が強い。

結局、日本人選手がヤンキース入りしてもろくなことはない、と私は前々からずっと思っている。伊良部なんか、1998年の所属がヤンキースではなくパドレスだったら、この年ワールドシリーズヤンキースと相まみえたパドレスの投手として、ヤンキースから白星を挙げることができたかもしれない(このシリーズにヤンキースは4戦全勝したが、伊良部の登板はなかった)。

今回、何と言っても痛快だったのは、そんな「にっくきヤンキース」に大谷翔平がまっ先に肘鉄を食らわせたことだった。昨年来のヤクルトの低迷にふて腐れている私にとっては、一昨年のヤクルトのリーグ優勝以後に限っていえば、これほど痛快な野球に関するニュースはなかった。ニューヨークから浴びせられる罵声は西海岸には届かない。大谷にとってはどこ吹く風だろう。

もちろんシーズンが始まればエンジェルスはヤンキースとも対戦する。ヤンキースタジアム田中将大に投げ勝つ大谷翔平を見たいと思うのは、私だけではあるまい。

本当はNHKの「エンジェルス」の球団名表記と「ロサンゼルス」の都市名表記(Los Angeles=ロス アンヘレス=は「(男の)天使たち」を意味するスペイン語)の矛盾、それにMLBについては西暦、日本プロ野球については元号を使って報じる混乱をあげつらったり、エンジェルスがワールドシリーズを制した2002年に私が「にわかエンジェルスファン」になった頃の思い出なども書くつもりだったが、ヤンキースの悪口を長々と書きすぎて時間がきてしまった。前者はともかく、2002年のエンジェルスの思い出は別記事にして、時間が空いた時(たぶん明日)にあらためて書こうと思う。

*1:私はこの年に伊良部が先発した中日戦(甲子園)の試合=元オリックス平井正史との投げ合いを伊良部が制した6月の試合=をテレビ観戦したたことがあるが、十分な急速に加えて伊良部の老獪な投球術には感心させられたものだ。

*2:2005年のロッテとの日本シリーズ第1戦に登板した井川が打ち込まれたことをきっかけに、阪神はこのシリーズで歴史的な大惨敗=4戦全敗で得点4に対して失点は3試合連続の10失点を含む33点=を喫した。