kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎強制起訴の件は何も書きたくない

小沢一郎の強制起訴の件だが、正直言って私はこの件について何も書きたくない。と言いながら書くのは、この問題についての考え方を示しておくためだ。

「強制起訴」の議決を、「市民感覚」の発露と評価する立場には私は立たない。裁判で有罪判決になる見通しが全くない検察は、「どうとでも勝手にしてくれ」と言ったそうだが、自業自得である。特捜検察が無理筋の「西松事件」なんかをやったからこんなことになった。

だが、小沢信者の妄想に満ちた陰謀論にも全く同意しない。とはいえ、たとえば植草一秀のブログをあげつらって批判すべき段階はもう過ぎているのではないか。それでなくとも、代表選で敗れた小沢一郎の影響力は徐々に低下していくに違いなかった。いま植草らを強く批判したところで、それは彼らに燃料を供給することに等しい。小沢一郎の代表選敗北を期に、小沢信者の言説は批判すべき対象から無視すべき対象に変わりつつあるというのが私の見解である。とはいっても小沢信者を揶揄する文章を今後も私は書くだろうけれども。

それとは別に必要だと私が考えるのは、小沢一郎の政治・政策への批判である。これは今でも必要性が強いと思う。小沢一郎は、「国民の生活が第一」を掲げたは良いが、果たしてどんな政治を目指していたのか。小沢は、なぜ新自由主義者樽床伸二を担ぎ、「減税」を声高に叫んで「小さな政府」を目指すアメリカのティーパーティー運動*1の日本版を目指しているとしか思えない河村たかしを支援したのか。なぜ小沢は所得税と住民税を半減するとすぐ言いたがるのか。財源をどうやって確保するつもりなのか。また、小沢はなぜ「グリーンニューディール」に不熱心なのか。なぜ企業・団体献金の禁止や取り調べの全面可視化に「剛腕」を発揮しなかったのか。なぜいつまでも衆院の比例定数削減に強くこだわり続けるのか。「政治と金」の問題を抜きにしても、小沢一郎の政策や実績には疑問だらけである。

私は、いわゆるリベラル・左派は小沢一郎に依拠する段階から早く脱却して次の段階に進まなければならず、そのためには「小沢一郎批判」が欠かせないと考えている*2。今回の検察審査会の「起訴議決」による小沢一郎の強制起訴は、政策面からの小沢一郎批判を邪魔・妨害するものであって、正直「いい迷惑」以外の何物でもないのである。

私が、「小沢一郎強制起訴の件は何も書きたくない」と書くのは、そういう意味である。

なお、検察審査会の議決に関しては、下記ブログ記事を参照。著者の上脇博之・神戸大教授は、『しんぶん赤旗』にもたまに寄稿する憲法学者であり、上脇教授がしばしば展開する小沢一郎批判によって、小沢信者の間で不人気を極めていることをおことわりしておく。


上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場 : 予想外の小沢一郎氏の東京第5検察審査会2度目の「起訴相当」議決について

*1:ボストン茶会運動と "Taxed Enough Already" の頭文字を引っかけているらしい。面白いことに、「9・11陰謀論者」で小沢信者の間にも大人気の共和党下院議員、ロン・ポールが呼びかけ人とのことだ。ロン・ポール河村たかし小沢一郎の共通項は研究する価値があるかもしれない(笑)。

*2:なお、菅直人の政策も、「小さな政府」志向でこそないものの、小沢一郎と共通する部分が多く、小沢批判の多くは直ちに菅批判にもなる。