kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

西山太吉『機密を開示せよ』を読む

今年最初に読んだ本は下記。


機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約

機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約


購入したのは昨年10月末だが、元旦に一気に読んだ。

著者は1931年生まれの元毎日新聞記者で、1971年、アメリカからの沖縄返還に伴ってアメリカが自発的に支払うことになっていた復旧補償費の「見舞金」400万ドルを、日本政府が肩代わりする密約の存在を突き止め、同年6月18日付の毎日新聞にその旨の解説記事を書いた。同年12月には、国会で社会党横路孝弘衆院議員(現民主党衆院議員)がこの件で政府を追及したが、政府(当時の首相は佐藤栄作)は密約の存在を否定し、沖縄返還協定は成立した。

この件が広く知られるようになったのは、翌1972年3月、横路議員が著者から入手した資料をもとに、衆院予算委員会で再度政府を追及し、さらにその数日後の同年4月、著者と情報を提供した外務省の蓮見喜久子事務官とが、国家公務員法違反で逮捕・起訴されたことによってだった。

当時、毎日新聞は社を代表する政治記者だった著者の逮捕にいきり立ち、連日政府批判の大キャンペーンを張ったが、著者が蓮見事務官に「ひそかに情を通じ」機密文書を入手したという取材手法が「週刊新潮」などに批判されて毎日新聞は世論の支持を失った。東京地検でこの事件を担当し、「ひそかに情を通じ」と異例の表現で起訴状を書いたのは、のち民主党参院議員となった佐藤道夫だった(2009年死去)。民主党という政党は本当に多士済々だ。

佐藤道夫や週刊新潮による(というより佐藤政権による)すり替え工作が成功し、沖縄返還に関する密約問題はうやむやにされたまま、長い月日が過ぎた。

ところで、1972年の沖縄返還に絡む密約は、大きく下記の二つに分けられる。

一つは、佐藤栄作の密使として活動した国際政治学者・故若泉敬が1994年に出版した暴露本で明るみに出た、有事の際の沖縄への核兵器再持ち込みを容認する日米の秘密合意である。若泉敬については、昨年6月にNHKスペシャルで放送されたこともあって(私は見ていないが)、一時注目された。このテレビ番組を見て、「若泉の孤影は鳩山前首相のそれと重なります」などと、密約締結に能動的にかかわった若泉敬と、普天間基地の国外移設・県外移設の主張を180度転換して「日米合意」を結んだ鳩山由紀夫の両者にトンチンカンなシンパシーを表明した「9条護憲派」の文化人がいて、鼻白む思いがしたものだ。

もう一つの密約が、日本側では佐藤栄作内閣の蔵相を務めた福田赳夫と大蔵省財務官の柏木雄介(2004年死去)が推進した、返還に伴うアメリカへの巨額の支払いに関する密約である。実は、著者が毎日新聞で報じた「400万ドル」など、ほんの氷山の一角にすぎなかったのだが、この事実は今なお世間に十分に知られているとは言い難い。現に、「柏木雄介」に関するWikipediaにも、沖縄密約の件は記述されていない。

この密約にメスを入れたのは琉球大の我部政明教授だった。我部教授は、2000年にアメリカの公文書を発掘し、沖縄返還に伴う「密約」で日本政府が米政府に払った金額は、総額2億ドルにも達していたことを明らかにした*1

こうして、沖縄返還から20年以上もの時間が経ってから、ようやく密約問題が歴史の審判にさらされることになったが、自民党政権の壁はなお厚く、2000年の森喜朗内閣で外相を務めていた河野洋平外相も、その後の小泉内閣から麻生内閣に至る自民党内閣も、ことごとく「密約は存在しない」という姿勢を取り続けていた。

こうした中、政権交代の総選挙が行われる約半年前、2009年3月16日に著書らが起こしたのが、国を相手取った「沖縄密約情報公開訴訟」であり、それを原告側の立場から記述したのが本書である。

この訴訟は、2008年9月2日、著者らが外務大臣財務大臣に対し、沖縄返還交渉での「密約文書」の情報開示請求をしたのに対し、同年10月2日に文書の不存在を理由に不開示とされたため、この不開示処分の取り消しを求めて起こされたものだ。情報開示請求は福田康夫首相の突然の辞意表明の翌日であり、訴訟の提起は「西松事件」で政界が騒然となっていた頃、さらに裁判が始まった2009年6月16日は、小沢一郎民主党代表を退いて民主党の支持率がV字回復し、9月までに行われる総選挙で政権交代は必至と見られるようになった頃だった。

それまでに著者が起こした「西山太吉国賠訴訟」の判決が、一審、控訴審とも門前払いだったのとは対照的に、審理は原告の期待通りに進んだ。裁判の途中で政権交代が起きると、被告(国)はそれまでの「否認」の多くを「認否留保」に切り替えるなど、明らかに政権交代の影響が裁判に及んだ。しかし、密約の本丸である、柏木雄介と米財務省特別補佐官、アンソニー・J・ジューリックの合意文書については、政権交代後も国は「否認」を続けた。

しかし、鳩山内閣財務相藤井裕久から菅直人に代わると、その効果が表れた。もともとこの密約は、佐藤政権が外交ルートを通さず大蔵省ルートを通して、相手(米国)の財務省高官と交渉するというきわめて異例のものだったため、重要な資料の多くが財務省(旧大蔵省)に眠っていたのだが、大蔵官僚出身の藤井裕久による調査の指示は、その分手ぬるかったのである。藤井裕久財務相就任に関して、鳩山由紀夫小沢一郎が対立したことはよく知られており、鳩山が押し切ったわけだが、官房長官平野博文を任命したことといい、鳩山の緊張感に欠ける人事はひどいものだった。これが政権交代後の民主党政治失敗の最大の原因になったと考えている。私に言わせれば、菅直人よりも小沢一郎よりも罪が重いのは鳩山由紀夫なのだが、その鳩山と、やはり密約を能動的に推進した若泉敬を重ね合わせて同情する「文化人」が「9条護憲派」を気取っていて、そのことにさしたる批判も起きない現状には、本当に頭が痛い。

つい鳩山由紀夫批判に話がそれたが、財務相に就任した当時の菅直人は、柏木・ジューリック秘密合意の文書の徹底調査を命じ、探索しても見つからなかった文書については、確認のためにアメリカの公文書館に職員を派遣するほどだった*2。一方、岡田克也外務相指揮下の外務省は、財務省のような徹底した調査はやらなかった。この点について、著者は菅直人に「情報公開の "鬼" とまで呼ばれた」*3という表現で称賛する一方、岡田克也に対してはかなり辛辣だ。

結局財務省は、最終的に柏木・ジューリックの秘密合意を事実上認める報告書を提出した。これについて、著者は次のように書いた。

 この報告書は、原告すなわち開示請求者に対する再度の直接回答の形をとっている。それは、菅大臣がすでに "単なる文書の保有・管理者" の立場を離れて、「知る権利」に対し、行政の責任者として直接に対処したことを意味しており、そのことは、麻生内閣による "不開示" 処分の事実上の撤回につながるとさえいえるのではないか。

西山太吉著『情報を開示せよ』 93頁)


著者による菅直人の持ち上げぶりは相当なものだが、もともと菅直人の本領はこのあたりにあるのだろうと思う。総理大臣になってからの菅直人は別人のように精彩を欠くが、それはまた別の話である。

ただ、著者が高い評価を与える、菅直人の指示によって徹底的に行われた財務省の念入りな調査にも、たった一つ残念なことがあったと著者は書く。それは、柏木・ジューリックの合意の中の最重要項目であった「基地・移転のための役務・物品の提供二億ドル」にメスを入れなかったことだ。著者は、これこそが世界に例を見ない「思いやり予算」の原型であると考えている。「思いやり予算」は、金丸信防衛庁長官を務めていた1978年にスタートしたが、実際にはこの密約によって沖縄が日本に返還された1972年から既に実施されており、それを1977年までに使い切ったに過ぎないと著者は指摘する*4。著者は、財務省がもし今回の密約調査で6500万ドルの米軍施設改良・移転費を積極的に取り上げていれば、それは巨大化した「思いやり予算」の源流を探るという意味で、極めて時宜に適したものであったはずだと書くが*5、その調査は行われなかったばかりか、ここ10年漸減傾向にあった「思いやり予算」の向こう5年にわたる同額維持をアメリカに呑まされたのは、当時の財務相菅直人が首相を務める内閣下でのことだった*6

とはいえ、それは著者が本書を書いたあとの話だ。著者は、財務相菅直人が「沖縄返還にともなう財政負担」に関する調査報告の発表の際、間髪を入れず文書管理規則を改定し、情報公開を推し進めたことを評価している。これにより、1960年の日米安保条約や1972年の沖縄返還に関する文書が順を追って公開されることになった*7政権交代の効果は皆無ではなかったのである。

2010年4月9日、東京地裁は、著者ら原告の全面勝訴の判決を下した。だが、国は判決を不服として控訴した。控訴の準備は鳩山内閣下で進められたが、最終的に控訴理由書を提出したのは菅直人内閣発足2日後の2010年6月10日だった。

文書不開示決定処分が行われたのは、前述のように麻生内閣当時(2008年10月)であり、密約問題の徹底解明と行政の透明化、情報公開の推進を基本に据えて発足した民主党政権にとっては、敗訴は決して不名誉ではなく、むしろ歓迎すべきことと思われるのになぜ控訴したかというと、それは一言で言ってしまえば岡田克也外務大臣(昨年6月8日に退任)と外務官僚の「メンツ」によると著者は指摘する*8。それは、岡田克也が外務省に徹底的に調査させたつもりであったにもかかわらず、東京地裁が「合理的かつ十分な調査はされていたい」と認定したことへの反発からだっただろうというのだ。もはや密約の有無は控訴審では審理されず、岡田克也が命令した密約調査の有効性が争われることになるのだが、もちろん著者はこの控訴を批判している。

私は、鳩山由紀夫菅直人岡田克也*9民主党の主要な政治家たちは、みな2009年の政権交代選挙で示された民意を過信して甘く見ていたと思う。菅直人は、支持率が急落したあと、諫早湾開門を命じる福岡高裁の判決に対しては、上告を断念する決断を下したが、この沖縄密約情報公開訴訟でも、控訴などすべきではなかった。しかし、鳩山も菅も岡田も民意を甘く見た。著者の矛先は、もっぱら岡田克也に向かっているが、判決時の総理大臣だった鳩山由紀夫や、控訴理由書提出日には既に総理大臣になっていた菅直人は、岡田克也よりもっと罪が重いと思う。このあたりで、控訴を断念していれば、「民主党政権は情報公開を推進する政権だ」という印象を国民に与えることができ、現在のように「党内抗争ばかりがニュースになるダメ与党」として国民から見放されることもなかったのではないか。

本書出版後の2010年10月26日、東京高裁で控訴審の口頭弁論が行われた。著者と同じ毎日新聞OBであるジャーナリストの池田龍夫氏が「マスコミ9条の会ブログ」に公開した記事「『情報公開=知る権利』目指してー『沖縄密約・文書開示』控訴審の攻防ー」*10によると、著者や池田氏の古巣である毎日新聞を含む全国紙は、この控訴審を、第3社会面に20〜30行程度の雑報扱いでしか報じず、「重要な行政訴訟」との認識が欠落していた一方、沖縄県紙2紙(沖縄タイムス琉球新報)や北海道新聞など地方紙は「密約訴訟」の意義を詳細に伝えていたという。毎日新聞主筆岸井成格は、テレビ番組ではよく「西山先輩」などと著者の名前を口にするが、岸井の行いは口とは裏腹であり、読売新聞会長にして主筆渡邉恒雄ナベツネ)と同じく、「権力と一体となったジャーナリズム」を実践しているかのようだ。

池田氏によると、10月26日の控訴審のあと、原告側には密約解明が後退することへの危惧が広がったという。財務相就任当初、財務省に密約の調査を徹底させ、役人を叱り飛ばしていたという菅直人は、総理大臣に就任して以来、さっぱり精彩を欠いているが、もはや菅内閣どころか、民主党政権自体がどこまで続くかわからなくないところまでに落ちた今、財務省の密約調査に関して著者から高い評価を受けた菅直人は、初心に返って、せめて得意としているはずの情報公開の分野でくらい、国民の目を見張らせる結果を出してもらいたい。それが民主党政権に求められている歴史的使命ではなかろうか。

*1:2000年5月29日付朝日新聞が報道。

*2:西山太吉著『情報を開示せよ』 92頁

*3:前掲書92頁

*4:前掲書96頁

*5:前掲書104頁

*6:尖閣問題で日本の足元を見たアメリカが最初「思いやり予算」の増額を要求してきたとはいえ、自民党政権下でさえ歳出削減の一環として減額が続いていた。

*7:前掲書113頁

*8:前掲書155頁

*9:この件には関係していないとはいえ、もちろん小沢一郎も。

*10:http://masrescue9.seesaa.net/article/171739231.html