kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

日本はソ連と同じ

東電原発事故を「レベル8」に位置づけよという話が出ているが - kojitakenの日記 で引用した桜井淳氏の著書から、チェルノブイリ原発事故を論評した部分を引用する。

日本もロシアと同じ


 NHKモスクワ支局が製作した「NHKスペシャルチェルノブイリ・隠された報告書」が、1994年1月16日の夜に放送された。専門家の間では事故の大雑把な経緯は、かなり詳しく把握されていたものの、なお厳密なことについてはわからない部分が残されていた。

 今回の映像から、真実は何かを解明するために非常に大きなリスクを覚悟(決死隊)の事故調査がなされていることを知り息が詰まる思いであった。あまりにも危険な場所(放射線レベルが高すぎる)での作業に、見ていて気持ちが悪くなってしまった。

 また、ソ連政府内部では、事故直後からかなり本格的な議論がなされていたことがわかり、電力の安定供給という美名の下に、政治的判断によって、安全よりも運転継続が優先されていたこともよく読み取れた。特にゴルバチョフ大統領を中心とした最高会議でのやり取りでは、事故直後にもかかわらず、レベルの高い技術論が展開されていることに感銘を受けた。やはり政治的判断によって技術欠陥をひた隠しにし、技術幹部やオペレータの判断ミスとして彼らを強制収容所に送っていた。今のロシアの原発は、多少の改善はなされているものの、やはりチェルノブイリ事故前と何ら変わっていない。

 ロシアはひどい状況であるが、それはロシア特有の問題ではなく、安全よりも電力の安定供給が優先されたり、事故の本当の原因が政治的にぼかされてしまったり、事故の責任がすべて現場の末端管理職や担当者に押し付けられてしまうなど、程度の差こそあれ、日本もまったく同じ状況である。番組を見終えて、そのことを強く感じた。

 これまでのあらゆる事故に共通する深刻な問題は、事故が起こって初めて技術欠陥を専門家が認識したことである。いまの軽水炉については、まだ充分な運転経験がなく、起こりうるすべての過渡現象を経験しているわけではない。すべてぶっつけ本番の商業運転をしながらの、軽水炉を使っての試験研究でしかない。その意味では程度の差こそあれ、日本はロシアと同じである。

(桜井淳 『新版 原発のどこが危険か』(朝日新聞出版, 2011年=旧版は1995年発行) 121-122頁)


引用した文章が書かれたのは1995年である。この年には阪神大震災が起きたが、阪神間原発はないため、原発の事故は起きなかった。その年に書かれた文章が、現在の日本にズバリ当てはまっている。

本当に、「日本はロシアと同じ」というか「日本はソ連と同じ」なんだなと思う。

菅政権の原発問題対応が云々されているが、もともと私は民主党の経済政策にはたいして期待しておらず、特に菅政権では新自由主義色が強まるだろうと思っていたが(実際その通りだった)、それでも情報公開だけは進展するだろうと期待していた。たとえば、政権交代後、鳩山内閣時代の沖縄返還をめぐる日米密約の解明について、この問題で職を追われたばかりか逮捕されて裁判で有罪判決を受けた西山太吉・元毎日新聞記者は、適当に調査をまとめようとした元通産官僚の岡田克也を厳しく批判し、財務官僚を締め上げて情報を出させた菅直人を評価していたという例もある。

私は、その菅直人でさえこのていたらくなのだから、鳩山由紀夫やら松下政経塾の面々やら、ましてや小沢一派を含む自自公なんかが政権を握っていたら、果たして東電の幹部を怒鳴りつけただろうか、浜岡原発の停止に踏み切れただろうか、発送電分離の議論を起こしただろうかと疑う。おそらく、東電原発事故の対応は、より旧ソ連に近いものになっていただろう。

そうはいっても辞意としかとれない言葉を発したのだから、菅直人は早く退任の時期を明確にして、松山市にある53番札所(円明寺=えんみょうじ)から54番札所・延命寺のある今治市に至る長い長い道のりを歩いた方が良い。現在はどうだか知らないが、あの道にはバス停だけあってバスが廃止されている区間など、公共交通機関の衰退を象徴するような道が延々と続いていた。愛媛県には伊方原発もあるが、残念ながらその近くを菅直人は以前の遍路でもう通り過ぎている。

そして、繰り返すけれども、せっかくの浜岡原発の停止や発送電分離の言及などを、今後の日本の政治につなげるような形で辞めることを考えてほしいのである。「電源三法」の廃止への言及があればなお良い。

次の政権は、おそらく菅政権と比較してもエネルギー政策はさらに悪くなると思うから、よりいっそう厳しく監視していかなければならない。