kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

応能負担と応益負担、比例課税と累進課税と逆進課税の話

Nabe Party ~ 再分配を重視する市民の会 日本の税制の不公平(1)-分離課税 に、応能負担、累進課税、分離課税などの話が出てくる。


昨日公開した当ブログのエントリ ここまで堕ちたか菅政権! ついに「人頭税」を検討へ - kojitakenの日記 は、わざとセンセーショナルなタイトルをつけ、狙い通り「はてな」のホッテントリになった。時限的な増税に目くじら立てるなとのご批判もいただいているが、自民党政府だろうが民主党政府だろうが、実現可能性はほとんどないかもしれないが共産党が与党に加わった政府だろうが、総理大臣が菅直人だろうが小沢一郎だろうが志位和夫だろうが、批判すべきは容赦なく批判し、「1」の果実を得るためには「10」の主張も辞さないというのが当ブログのやり方である。いや、当ブログのような草の根のネットでの言説のみならず、大マスコミだって「権力のチェック」が本来のあり方だったはずだ。ところが、ナベツネの台頭以来、「権力と一体となったジャーナリズム」が日本では全盛だ。読売新聞と産経新聞自民党パトロン日経新聞経団連パトロン朝日新聞民主党パトロンだといっても過言ではあるまい。そして、朝日新聞星浩編集委員は「オールジャパンでことに当たれ」とテレビで連呼している。つまり、大連立政権を樹立せよと民主党に圧力をかけているわけだ。

それはともかく、応能負担、応益負担とは何ぞやというと、応益負担とは政府サービスの利益に応じて税を負担することであり、応能負担とは納税者の支払い能力に応じて税を負担することである。

現首相の菅直人鳩山内閣財務相に就任した時に、菅自らが政府税調専門家委員会委員長に招聘した神野直彦氏(東大名誉教授、財政学)は、応能負担が財政政策の基本だと教えるが、応益負担が財政政策の基本だと説く財政学者もいる。80年代以降の新自由主義全盛期には、後者の声の方が大きかった。

税制も、応能負担を原則と考える論者は、所得税を税制の基本と考えるが、応益負担を原則と考える論者にとっては、累進課税などとんでもないということになる。

ここで、比例課税、累進課税、逆進課税の3つについて書いておくと、比例課税とは所得に比例した課税、累進課税とは高所得者ほど税率が高くなる課税、逆進課税とは高所得者ほど税率が低くなる課税のことである。

たとえば、低所得者の年間所得を100、中所得者の年間所得を200、高所得者の年間所得を1000とする。この三者に対して一律3割の税金がかけられるとしたら、三者にはそれぞれ70、140、700だけ手元に残る。1対2対10という比率は、課税前と変わらない。これが比例課税である。

これを、低所得者には2割、中所得者には3割、高所得者には5割の税金をかけると、三者の手元に残るのはそれぞれ80、140、500になる。つまり格差は縮小し、所得の再分配が行われることになる。これが累進課税である。

一方、国民の所得にかかわらず、一律に60の課税を行うと、三者の手元に残るのはそれぞれ40、140、940になる。低所得者は中所得者の半分の所得を得ていたのに、手元に残るのは3分の1未満になってしまい、高所得者との比較に至っては、もともと10分の1の所得を得ていたのに、手元に残るのは20分の1にも満たなくなる。これを「逆進性」を持つ税制であるという。

最後の例が、「人頭税」といわれる税制なのである。こんな税制が、どうして「公平」だなどといえるのだろうか。

所得税には累進性があるが、累進部分とは切り離されて、定率課税になっている部分がある。株式等の譲渡益や配当への課税もその例であり、一般に超高所得者の所得は、分離課税の対象になる部分の比率が高い。だから、超高所得者の世界では、所得が高いほど実質的な所得税率が低くなるという逆進性が生じている*1。これを総合課税化せよというのが当ブログの前々からの主張である。

一方、現在比論されている消費税には、人頭税ほど極端ではないが、比例課税と比較して課税後の格差が拡大する逆進性があるといわれている*2

昨日のエントリで、センセーショナルな表現を使って批判した菅政権の政策は、この消費税よりももっとひどい、人頭税方式の定額増税を行う案も検討するというものであって、それを朝日新聞が批判もせずに報じていたものだから、当ブログがこれを批判した次第である。

菅直人は、2007年の「論座」のインタビューで、「北欧の社民主義を念頭に置いている」と語った政治家だから、本来こんな案を検討すること自体「変節菅」と批判せざるを得ないのは当然だが、菅政権に入閣したばかりの与謝野馨が政策に悪影響を与えていることは間違いない。政権がこんな案を検討するというのは、民主党よりももっと新自由主義色の強い野党・自民党へのリップサービスという面があるのだろう。そんなことくらい、私だって百も承知の上である。承知の上で批判している。大昔に社民連の支持者だったからと言って菅政権に手心を加えることは、決してやらない。政権政党や総理大臣の意図をいちいち忖度なんかしていたら、いつか本当に人頭税方式の増税が実行されかねないからである。だから、税額全体に占める比率がどうあれ、こんな馬鹿げた案は厳しく批判する。「物分かりの良さ」は絶対に禁物である。遠慮してはならない。

なお小沢一郎についてだが、小沢一郎はもともと、所得税と住民税の大幅減税と消費税増税を主張する政治家だった。応能負担論よりも応益負担論に傾く政治家だったともいえる。いや、過去形でばかりも言えない。昨年の民主党代表選でも、当初、所得税と住民税の大幅減税を争点の一つにする案もあったが、実行しなかっただけである。ネット検索をかけたら、小沢一郎が政権をとったら、いつか人頭税が実施されるぞと冗談半分で言っている掲示板の投稿もある。「所得税と住民税の大幅減税」など、小沢が作ったスローガンである「国民の生活が第一」と真っ向から対立する政策なのだが、小沢一郎という政治家には、相矛盾した政策が平気で共存できる体質がある。スローガンと整合性がさすがにとれないから「所得税と住民税の大幅減税」を争点にするのをあきらめたと思いたいところだが、平気で腹心の国会議員を河村たかしの応援に駆り出しているから、信用なんかできたものではない。

菅もダメだが小沢もダメだと私が繰り返し主張するゆえんである。もちろん、鳩山由紀夫与謝野馨が論外であることはいうまでもない。

*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100619/1276918374

*2:これを否定する学者もいるが、ここでは触れない。