kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

キャンディーズ自身に「売れないわ」とバカにされたすぎやまこういち作曲の「ハート泥棒」

キャンディーズのシングル中最大の駄作は「ハート泥棒」だろう。あの城内実の応援歌を作ったすぎやまこういちの作曲になる。今回、こわいもの見たさでYouTubeで動画を見たが、さすがに歌には聞き覚えはあったものの、こんな歌じゃそりゃ売れないよなあと改めて思った。Wikipediaには、

オリコンではBEST20にはランクされたが、セールスは「内気なあいつ」以来となる10万枚を下回った。

とある。


ところで、ネット検索をしていて面白い記事を見つけた。
http://candies.candypop.jp/rainar-single11.html

この曲の発売当時 おいらは小学六年でした。 大人の世界 何かと世間は騒がしかった。
ロッキード事件」 子供だったからイマイチ解らなかったけど「大人って 政治家って 酷い奴らばっかりだ」って思った。
「大人になんかなりたくない」 「汚い大人になるくらいなら二十歳前に舌噛んでやる」 「このまま子供のままだったら良いのに」
『黒いピーナッツ』 『記憶にございません』 『よっしゃよっしゃ!』


あまり聞きなれない 聞きたくない言葉達が新聞やニュースから洪水の様に押し寄せる。
今でも政治に関心が持てないのは このころの記憶が邪魔してるんじゃないかと思う。


そのころキャンディーズは「ハート泥棒」を歌ってた。


♪彼の名前は ミスターX 秘密なの 秘密なの 秘密なの


ロッキード事件」でも「ミスターX」って言葉が新聞などで騒がれてた時期
そうとは知らず発売しようとしてたみたいです。
タイトルも「ミスターX」で行く段取りだったらしい。


「ハート泥棒」は後から付けたタイトルだってのは有名な話。


売れてる絶頂期だったのにヒットしなかった・・・ でもおいらは好きだった。


たしかこのころピンクレディーが一気に駆け上がった時期
売り上げではボロ負けでした。悔しい思いをしました


細かいことを言うと、「よっしゃ」が報道に初登場したのは、田中角栄の初公判が行われた1977年1月27日のことであり、「ハート泥棒」の少しあとになる。それ以前の田中角栄を表現する掛け声として有名だったのは「いよっ」であって、田中は右手を挙げながら「いよっ」と言うのがクセだとされていた。なお、新潟県出身の田中角栄が関西弁である「よっしゃ」と言うはずがないという反論が弁護側からなされ、「よっしゃ」は「よしゃよしゃ」に訂正された。新潟の言葉に「よしゃよしゃ」があるかどうか、私は知らない。


話がそれたが、引用先ブログのコメント欄には、さらに面白いことが書かれている。

この曲は3人が「売れないわ、売れないわ、売れないわぁ〜」って歌ったと聞きましたが本当のことなのでしょうかねぇ?当時のアイドルらしい曲だったように思えますが。


この話は真偽不明だが、他にもあちこちで見つけたから結構有名な話なのだろう。


キャンディーズは、亡くなった田中好子(スー)は東京都足立区出身、伊藤蘭が東京都武蔵野市出身、藤村美樹が東京都世田谷区出身とのことで、全員が東京出身だ。そのせいか、3人とも物怖じしない性格だったように思う*1

それが遺憾なく発揮されたのが、例の突然の解散宣言だった。ピンクレディーを追い上げる作戦が当たって、「やさしい悪魔」が売れたが、おそらくその忙しさは想像を絶するものだったに違いない。ピンクレディーの2人、特にケイ(増田恵子)がげっそりやせ細っていったのは、誰の目にもはっきりわかったが、それでも静岡出身のピンクレディーは踊り続けた。日テレ(読売グループ)の打ち出の小槌としていいように利用されたピンクレディーの残酷物語は、いつか機会があれば改めて書くかもしれないが、実にひどいものだった。

ところが、ピンクレディーほどには売れなかったものの、やはり多忙を極めたキャンディーズは、それに嫌気が差して勝手に辞めてしまったのだ。1977年のレコード大賞沢田研二の「勝手にしやがれ」だったが、キャンディーズはそれこそ勝手に行動した。プロダクションは慌てたが、その名前は渡辺プロダクション、略してナベプロという。別にナベツネとは関係ないと思うが、当時芸能界を支配していたといわれる巨大プロダクションだった。キャンディーズはそのナベプロと渡り合い、解散の延期で手を打った。キャンディーズは解散を勝ち取り、ナベプロキャンディーズで大儲けするという、ウィンウィンの取り引きだった。私は当時読んだ、この解散劇についてキャンディーズを取材した週刊朝日の記事を覚えているが、確か伊藤蘭だったと思うが、ナベプロを出し抜いたことについて、インタビューに答えて「完全犯罪だ」と自画自賛していた。実は、私がキャンディーズに好感を持つようになったのはこの時のことだった。当時の東京っ子には、こういうしたたかさがあった。


そして、そんな自由奔放な気風を持ったキャンディーズの3人であれば、自らの持ち歌「ハート泥棒」を「♪売れない〜わ、売れない〜わ、売れない〜わぁ〜」と半ば自虐的にバカにしたとしても、あの3人ならやりそうなことだと私には思えるのである。


*1:ただ、東京は東西で文化が違うが、スーは3人の中では唯一下町の出身だったのかと、今回初めて認識した。