勝部領樹とは懐かしい名前だが、「領樹」を「りょうじゅ」と読むとは知らなかった。1978年に43歳で早世した鈴木武樹(すずき・たけじゅ)を思い出したが、勝部氏の方が3歳年上だったようだ。以下に朝日新聞デジタルの記事を引用する。
https://www.asahi.com/articles/ASM2R4JJ5M2RUCFI001.html
元NHKキャスター勝部領樹さん死去 南極から生中継
元NHKキャスターの勝部領樹(かつべ・りょうじゅ)さんが2018年12月18日、誤嚥(ごえん)性肺炎で死去していたことが分かった。87歳だった。葬儀は家族で行った。喪主は妻令子(れいこ)さん。
島根県出身。NHK入局後、社会部記者などを経て、1977年から夜の報道番組「ニュースセンター9時」に出演。自分の言葉で視聴者に語りかけるスタイルが当時話題を呼んだ磯村尚徳さんの後を継ぎ、2代目のキャスターを務めた。79年には南極から世界初となったテレビ衛星生中継のリポートも担当した。
2014年にNHKの退職者が当時の籾井勝人会長への辞任勧告か罷免(ひめん)を経営委員会に求めた際には、呼びかけ人にも名を連ねた。
(朝日新聞デジタルより)
勝部氏は籾井勝人の解任を求める呼び掛け人に加わっていたのか。まともな人だったんだね。惜しい人を亡くしたと思うが、87歳ならまあ天寿を全うしたといえるかもしれない。ネットで調べてみたら、勝部氏の相棒を務めていた末常尚志氏は1996年に65歳で、また勝部・末常両氏の後に1979年から3代目キャスターを務めた小浜維人(おばま・これひと)氏は1999年に64歳でそれぞれ亡くなっていた。しかし、先日もこの日記で言及したばかりの「銭湯男」・磯村尚徳は89歳で健在だ。「憎まれっ子」云々は、まあ止めておこうか。
勝部氏が磯村の後任になった頃(1977年)の報道(主に毎日新聞)を覚えているが、磯村は1976年9月に「ニュースセンター9時」(NC9と略称されていた)で、当時のNHK会長・小野吉郎(おの・きちろう)*1がロッキード事件で逮捕された後保釈された田中角栄の私邸に見舞いに訪れたことが批判されて会長辞任に追い込まれた時、NHKがこれを積極的に報道しなかったとして番組中で謝罪したことがあった。
現在の安倍晋三政権下でも、籾井勝人がNHKを安倍寄りに変えてしまい、岩田明子のような某国国営放送アナウンサーまがいの人間に「安倍教」の教義を宣伝させる一方で国谷裕子を引きずり下ろし、民放でも岸井成格や古舘伊知郎、それに最近では昨日の日記で取り上げたばかりの小川彩佳が下ろされるなどといった出来事が続発しているが、70年代の日本でも同様のことがあったわけだ。もちろんその背景には田中角栄によるメディア支配があった。
だから、当時磯村が謝罪したことは正当ではあったが、残念ながらそれは磯村の人気取りに過ぎなかった。磯村はのちに小沢一郎*2に唆されて東京都知事選に出馬したものの有権者にその正体を見透かされ、例の「銭湯パフォーマンス」も空しく惨敗してその名声は地に堕ちたが(もちろん自業自得だ)、70年代当時の人々に磯村の俗物性などわかるはずもなかったから*3、1977年春の改編で磯村がNC9を下ろされ、代わって勝部・末常両氏が就任した時には、NHKは批判されて当然だったかもしれないが、勝部・末常両氏にまで悪者の印象が流布したのは気の毒だった。前述のように、実際には勝部氏は籾井解任要求の呼び掛け人に加わるなど、磯村よりずっとまともな人間だった。
故人の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。