さっき書いた記事中に引用した佐藤昭子の『決定版 私の田中角栄日記』(新潮文庫2000)から、この日記に引用しようと思っていて忘れていたことがあった。
以下引用する。
(前略)田中は若い議員連中が来るたびに、地方のことは県会議員に任せればいい、君たちは立法府の議員なのだから議員立法をしなさいとすすめた。そうすればうんと勉強になるし、それが何よりの選挙運動になるのだと。
「やり方がわからなければ、俺の持ってる知恵を全部貸してやる」
そう何回も言ったけれど、
「いやあ、オヤジさんは天才だからできるけど、俺たちはそんな力がない。選挙区通いをして、落選しないように運動するのが先決です」
というばかりで、誰も本気で取り組もうとしなかった。結局、国会議員が議員立法に取り組まなくなったことが、官僚依存で政治家を怠惰にし、自らを選挙屋に貶めてしまったのだ。
(佐藤昭子『決定版 私の田中角栄日記』(新潮文庫,2000)45頁)
その「師」の教えに真っ向からそむく行動をとった政治家がいる。そう、あの男だ。
質問回数ゼロ、議員立法提案数ゼロ、質問主意書提出数ゼロで要職にも就かない「オールゼロ議員」は、12.1%に当たる58人もが該当した。
政党別割合を見ると、79.3%に当たる46人が自民。残りは民主3人(5.2%)、維新2人(3.5%)、生活1人(1.7%)、無所属6人(10.3%)となった。
オールゼロ議員の中には総理経験者などの大物議員も多く、元総理の野田佳彦 議員(民主・千葉4・6期・57歳)、大臣経験者では、小沢一郎 生活の党代表(生活・岩手4・15期・72歳)、野田毅 議員(自民・熊本2・14期・73歳)、亀井静香 議員(無所属・広島6・12期・77歳)、鳩山邦夫 議員(自民・福岡6・12期・66歳)、中村喜四郎 議員(無所属・茨城7・12期・65歳)、浜田靖一 議員(自民・千葉12・7期・58歳)、高村正彦 議員(自民・山口1・11期・72歳)、平沼赳夫 議員(維新・岡山3・11期・75歳)、丹羽雄哉 議員(自民・茨城6・11期・70歳)、額賀福志郎 議員(自民・茨城2・10期・70歳)、大島理森 議員(自民・青森3・10期・68歳)、川崎二郎 議員(自民・三重1・10期・66歳)、金子一義 議員(自民・岐阜4・9期・71歳)、山口俊一 議員(自民・徳島2・8期・64歳)、山本有二 議員(自民・高知3・8期・62歳)、大畠章宏 議員(民主・茨城5・8期・67歳)、小池百合子 議員(自民・東京10・7期(+参議院1期)・62歳)、細田博之 議員(自民・島根1・7期・70歳)、塩谷立 議員(自民・静岡8・7期・64歳)、渡海紀三朗 議員(自民・兵庫10・7期・66歳)、林幹雄 議員(自民・千葉10・7期・67歳)、伊藤達也 議員(自民・東京22・6期・53歳)、佐藤勉 議員(自民・栃木4・6期・62歳)と大臣経験者だけで半数近い24人を占める。
「小沢信者」は、何かというと「田中角栄の教え」だとか言って「ドブ板選挙」の重要性ばかり力説する。そりゃ角栄も選挙期間中はドブ板選挙をやれとは言っていたのだろうが、年がら年中選挙区回りばかりやれなどとは言っていなかったはずだ。
角栄が議員たちに議員立法を勧めたのは、一つには後進を育てようという意図があったからだろう。一方、小沢はそんな角栄が竹下登に寝首を掻かれた、というより自らも竹下に加勢して角栄の寝首を掻いた経験から、後進が力をつけて自らの寝首を掻くのを恐れ、自らの独裁的な権力を守りたかっただけなのではなかろうか。
私は現在の角栄ブームは行き過ぎであって、金権問題のみならず、公害や原発などについて角栄はもっと厳しく批判されるべきだと思うが、その反面「福祉元年」の政策など、角栄には独特の嗅覚があって、それは教養人を気取っていた大平正芳ら「保守本流」の人士たちをも上回っていたのではないか、つまり角栄は「功罪相半ばする」政治家だったと考えている。
その角栄と比較して、小沢一郎には「『功』は皆無」とは言わぬまでも、功よりも罪の方が圧倒的に大きいとしか言いようがない。いったんは「功」かと思われた「政権交代」も、その後の党内抗争、特に2011年に東日本大震災・東電原発事故への対応が求められていた時期に、鳩山由紀夫ともども自民党に菅内閣不信任案提出を焚きつけた一件は、国民の民主党政権への信頼に取り返しのつかない巨大なダメージを与え、その結果が現在の安倍晋三極右政権の独裁を招いたことによって、戦後日本の政治市場でも稀に見る大きな「罪」となった。
小沢一郎とは、まことに百害あって一利なしの政治家だったのである。