1974年10月、月刊文藝春秋に立花隆と児玉隆也のルポが掲載された。立花のルポは「田中角栄研究−その金脈と人脈」、翌1975年に肺癌のために38歳の若さで亡くなった児玉*1のルポは「淋しき越山会の女王」だった。越山会の女王とは佐藤昭。私は新聞に載った雑誌の広告を見て、なぜ女の人なのに「あきら」なんて名前なのかと母親に聞いたら、「あきら」ではなく「あき」と読むのだと教えてくれた。今に至るも児玉のルポは読んだことがないが、佐藤昭(のち昭子と改名)の娘・佐藤あつ子(敦子)が書いた『昭 - 田中角栄と生きた女』を図書館で借りて読んだ。

- 作者: 佐藤あつ子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: 単行本
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この本は2012年に発売されたが、その後2014年に講談社文庫入りしたらしい。私が読んだのはハードカバー版の方。
この本について興味のある方は、かつて朝日新聞の角栄番記者だった早野透氏の下記書評をご覧下さい。私はどうでも良いことしか書きません。
- 「あたしはお母さんの人生を認めるよ」――政治家・田中角栄 その傍にあり支えた佐藤昭 娘でなければ描き切れなった秘録 『昭 田中角栄と生きた女』(早野 透) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)(2014年9月12日)
それにしても著者の人生は壮絶だ。24歳の時にマンションの5階から飛び降りて、それでも途中で木に引っかかって一命を取り留めた。田中角栄と佐藤昭という、ともに濃厚で過剰な2人の間に生まれた著者もまた、激しい人である。アマゾンカスタマーレビューを見ると、
「私はほとんど生まれて初めて、大人になろう、と決めた。」と書いていますが、五十歳を過ぎた人の言うことではありますまい。結局は世間知らずな人ほど「自分だって苦労したんだ。」と言いたがる範疇を抜けていない
などと批判した人もいるが、レビュアーの想像力の欠如もいいところだ。あんな両親を持ったら自分はどんな人生を送っただろうかとは想像を絶している。つまらない常識論で批判する気など起きない。当然ながら、上記のようなレビューは14件中他には見られなかった。
ところで私がメモしておきたいのは、この本には小沢一郎がしばしば「善玉」として登場することだ。佐藤昭に「いっちゃん」と呼ばれていた小沢一郎には、著者も良い心証を持っているようだ。田中角栄も小沢一郎を特に可愛がっていたことは事実だ。しかし、1985年に竹下登がクーデターを起こし、角栄が浴びるほどウィスキーを飲んだあげくに脳梗塞で倒れて政治生命を絶たれた時、角栄に特に大きなダメージを与えたのは、可愛がっていた小沢が竹下側についたことではなかったか、そう私は思う。政治家としてのスタンスも、「開発主義」と「恩顧主義」という、旧保守の権化のような田中角栄と、「普通の国」を目指して小選挙区制を中心とした「政治改革」に走った新保守の旗手・小沢一郎とでは大きな違いがある。もちろん小沢が一方では角栄の流れを汲む金権政治家であったことも事実だが。
さて、小沢一郎つながりでもう一冊。昨年出た本だが、これも図書館で借りて読んだ。

- 作者: 野上忠興
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/11/12
- メディア: 単行本
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著者は元共同通信記者。2004年と2006年には安倍晋三礼賛本を書いたが、今回は批判色の強い本にしたとのこと。ここでも本筋からは少し離れた、安倍晋三の小沢一郎とのかかわりを描いた部分についてのみメモする。以下本から引用する。
洋子が息子の後ろ楯に頼った「小沢」
自民党長期政権の下であれば、「元幹事長・安倍晋太郎の息子」として党内に多くの後ろ楯のある安倍の政界での緒戦は順風満帆だったはずだ。しかし、頼みの自民党は権力の座から転げ落ち、右も左もわからない新人の安倍は、自らの力で政界激動を乗り切っていかなければならなくなった。そんな息子を心配したのだろう。初当選して間もない頃、洋子*2は細川政権誕生から時間をあけずに2人の人物に晋三を引き合わせている。1人は財界人だったが、もう1人は意外な人物だ。非自民政権誕生の立役者・小沢一郎である。ひそかに小沢との会食をセットした洋子は、息子を引き合わせて言った。
「晋三はまだまだ未熟者です。どうか一人前の男にしてやってください」
「私にできることは何でもやります」小沢はそう応じた。剛腕、壊し屋と呼ばれ強面のイメージの強い小沢だが、こういう面では実に義理堅い政治家である。安倍の地下水脈のひとつが、以後ひそかに息づいていく。
(野上忠興『安倍晋三 沈黙の仮面 - その血脈と生い立ちの秘密』(小学館,2015)144-145頁)
確かに小沢一郎と安倍晋三の関係とは少なからずあって、たとえば小沢が言い出した「集団的自衛権の政府解釈の変更」を成し遂げた(というかやりやがった)のは安倍晋三だ。また「小沢信者」の指導者であった植草一秀の自費出版本『知られざる真実』(2007)を読むと、植草が小泉純一郎に激しく反発する一方で、安倍晋三には少なからぬシンパシーを抱いていたことがはっきり読み取れる(「小沢信者」たちが植草を崇め奉り始めた2008〜09年頃、私はなぜこんなにもあからさまな安倍シンパを「小沢信者」たちは崇拝するのだろうかと不思議でならなかった)。さらに、「小沢信者」に取り入って信頼を得たあと、おもむろにトンデモ本『戦後史の正体』(2012)で岸信介を大絶賛した孫崎享も、このトンデモ本を書いた民主党政権時代の2012年の時点では、小沢一派と安倍一派(安倍は当時自民党内で干されて孤立していたと言われている)とを結びつけようとする狙いがあったのではないかと疑われる。結局2012年総選挙での自民党の大勝と日本未来の党の惨敗によって孫崎の狙い(と私は想像しているもの)は実現しなかったけれども。でも、小選挙区制で民主党が大敗するなら自民党が大勝するに決まってるだろ。なんでそんなわかりきったことから目をそらして、「民主党は大敗するが、自民党も過半数をとれない」だっけ、その手の馬鹿げた小沢一郎の言葉をみんな信じるのだろうと、不思議でならなかったね、私は。これまでにも何回も蒸し返した話をもう一度下記に蒸し返しておくよ。
「マヤ暦」を持ち出した小沢一郎。終末が近いのはあんたの方だ - kojitakenの日記(2012年1月9日)より
小沢の政局展望もめちゃくちゃだ。
何言ってんだこの馬鹿。今の小選挙区制で民主党がほぼ全滅したら、自民党が前回総選挙の民主党並みに圧勝するに決まってるじゃないか。それとも、「みんなの党」が2003年総選挙における民主党と同程度の議席数を確保するとでも言ってるのだろうか。そうでもなければ「民主党ほぼ全滅」と「自民党過半数確保ならず」という事態は同時には起こり得ない。それとも、「維新の会」の国政進出か何かか?ネットのブログ記事などを見ていると、いわゆる「小沢信者」のみならず、必ずしもそうではない人たちも含めて、この「小沢予言」のおかしさを誰も指摘しないが、いったいどうしてなのだろうか。
一つだけ確かに予言できることは、世界が「カオス」になるよりも先に、こんな支離滅裂な「予言」をする教祖様の方が滅亡してしまうだろうということだ。
先の戦争において日本の軍部は、根拠のない楽観論に基づいて作戦を立てて自滅していったとのことで、特に日本が追い詰められてきた1944年10月の台湾沖海戦で大本営が麗々しく発表した「大選果」には、軍部の中にも騙された人間がいて、この「戦果」を前提にした作戦を立てて自軍に大損害を与えたと読んだことがある。「小沢信者」たちの皮算用もそれと同じで、「民主党は大敗するが自民党も過半数を得られない」などと、誰の発言か伏せて言えば誰しも「何を馬鹿なことを言ってるんだ」と言うに違いない教祖の言葉を元に選挙戦の作戦を立て、最後には教祖自身もそれを信じたあげくに「日本未来の党」の壊滅的な大敗が待ち構えていた、といったところだろうか。
久々に小沢の悪口に脱線しまくったが、もちろん今となっては小沢一郎と安倍晋三の連携などあり得ないだろう。今もっとも懸念されるのは、共産党が小沢の口説き文句に引っかかっているように見えることだ。今度の選挙では、最悪の場合、坂野潤治の言う「異議を唱える者が絶え果てた『崩壊の時代』」の「異議を唱える者が絶え果てた」選挙結果を日本国民は目にしなければならなくなる可能性がある。それくらい現在の状況は悪い。読売の調査では民進党の政党支持率は6%で、維新の党と合流する前の民主党の支持率よりも低いという話もある。
最後に安倍晋三だけれども、安倍晋三の生い立ちだったらどう生きたか、と自問すれば、俺もアベさまみたいな悪質な独裁者になってしまったかもしれないな、とは思わなくもない。病根は、あんな人間を総理大臣にしてしまい、かつあんな独裁者を止められないメカニズムにある。こんな言い方をしてアベさま、もとい安倍晋三を免罪するつもりなど毛頭ないけれども、祖父が岸信介で母が安倍洋子というあの環境なら、あんなルサンチマンを抱える人間になる、というあたりまではわからなくもないと思う今日この頃なのである。