kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

兵庫県に「維新知事」が誕生した遠因は4年前の知事選での勝谷誠彦出馬だったとの説

 兵庫県知事選をめぐる松本創氏のツイートより。

 

 

 今は亡き勝谷誠彦か。あいつは本当にどうしようもない奴だった。死んでからも勝谷が祟るのか。

 兵庫県政は昔から超保守的で、京都や大阪では革新知事がいるのになんで兵庫県はやたらと自民党が強いのかと、兵庫県民だった子どもの頃よく思っていた。井戸県政は2001年から4期続き、5期目ともなると多選の是非が問題となるのは当然だが、「勝谷が出てきたので譲らなかった」気持ちはわからなくもない。私も2017年当時に兵庫県民だったら、確実に勝谷を落選させるために井戸に投票した可能性がかなり高い。あの時、一時は勝谷の当選可能性さえ取り沙汰された情勢報道には本当にイライラさせられた。万一勝谷が当選していたら、県知事がアル中で死ぬという前代未聞の事態になるところだった。勝谷は県知事選の翌年にアル中が原因の肝不全によって死んだ。

 だが、その勝谷の出馬が今回の「維新知事の誕生」を招いた。

 似た例は東京都知事選にもあった。1991年の都知事選で、小沢一郎磯村尚徳を「軽くてパーな」御輿として担いだのだ。あの出馬は磯村にとって生涯最大の痛恨事だったに違いない。磯村といえば銭湯で客の背中にお湯をかけるパフォーマンスをやらされたダメ親父という印象しかないが、それはあの選挙戦で植えつけられたものだ。それまでは、『ちょっとキザですが』とかいう70年代に出した本のタイトルのイメージがあった。私なんかは当時から「うさんくさい奴だな」と思って磯村を嫌っていたが、小沢の傀儡になったことで磯村嫌いは決定的になった。しかし一般的には、それまでジャーナリストとして好感度が高かった磯村の評判が地に堕ちたといったところではなかったか。1991年当時、私は神奈川県民だったが、もし東京都民だったら磯村を落とすために4戦目を目指していた多選知事の鈴木俊一に投票した可能性がかなり高い。

 しかし、鈴木は4期目で多選の弊害を噴出させ、1995年の青島幸男を経て、あのおぞましい1999年の石原慎太郎都政誕生への道を開いてしまった。その後の都知事は猪瀬、舛添、小池と続き、まともな人間は一人もいない。彼らの新自由主義悪政は大阪維新の会が牛耳る大阪とのみ比較が可能だ。

 東京では磯村尚徳と磯村を担いだ小沢一郎、兵庫では勝谷誠彦が分岐点に現れ、地方自治を破壊していったと後世に記憶されることになるのだろうか。