kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

早野透『田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』/服部龍二『日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』を読む

以前にも書いたかもしれないが、私が物心ついて最初の総理大臣の交代は、佐藤栄作から田中角栄へのそれだった。テレビから聞こえてくる音声を通じて覚えたのは、佐藤首相、保利官房長官ニクソン大統領などの固有名詞であり、小さな子供にとっての時間の流れは非常に遅いから、日本の佐藤総理やアメリカのニクソン大統領は永遠に続くかのような感覚だった。そして私はどういうわけか佐藤栄作ニクソンも大嫌いだった。小さな子供だから、政策がどうのという理由ではなく、単に感覚的に彼らが気に食わなかったのだ。

その永遠に続くかに思われた佐藤総理が他の人に代わるというのは、小学生の私にとっては大大ニュースだった*1。そして新しく総理大臣になった田中角栄は、いきなり日中国交正常化(日中国交回復)をやってのけた。新聞*2も田中内閣発足直後には田中を絶賛していた。そんなこんなで、田中角栄ってすごい人なんだなあと、子供心に感嘆したことを覚えている。

2年後の「金脈」問題を追及されての退陣や、そのさらに2年後、1976年に発覚したロッキード事件にかかわっての逮捕もあったが、中学校に上がっていた私は、逮捕された年の総選挙で17万票を獲得してトップ当選を果たした田中を選んだ新潟3区有権者が批判されていることに納得できなかった。のち、この選挙戦の時期に当時朝日新聞記者だった本多勝一新潟3区を取材したルポを知ってこれを読み、溜飲を下げたものだった。その後自民党を批判する立場に立つようになってからも、福田赳夫と比較すれば田中角栄の方がずっとマシだと思っていた。

最近では、田中角栄中曽根康弘と組んで作った稀代の悪法「電源三法」の罪深さや、「小沢信者」たちが田中角栄を神棚に祭り上げて信仰していることなどに心底うんざりしたためもあって、田中角栄へのシンパシーはほとんどなくなっていた。しかし、岸信介佐藤栄作を天にも届かんばかりに持ち上げる孫崎享トンデモ本『戦後史の正体』を「小沢信者」たちが絶賛している信じがたい光景を目にするにつけ、こんな現状はあの世の田中角栄にとっては心外だろうなあとの思いがしばしば脳裏をよぎった。つまり、田中角栄に対する関心が少し甦ってきていた。そんなタイミングで下記の新刊を書店で目にしたので買い求めた。


田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)


著者の早野透は、一昨年まで朝日新聞社に勤めていた著名な政治記者小沢一郎らが主導した90年代の「政治改革」に期待を寄せていた記者として時に批判されることもある。

その著者の政治記者としての出発点は田中角栄首相の番記者だった。1974年(昭和49年)3月というから*3、石油危機が起きたあと、田中政権の勢いが大きく傾いたあとだ。「『角さんっておもしろいですね』と先輩記者に言うと、『政治記者がたやすく政治家に惚れるな』とたしなめられ」た*4という著者は、「この男のすべてを知りたい。あたう限り、じかに見つめたい。田中角栄の何たるかをとことん理解したい」*5と思い、田中角栄に密着取材してきた。

とはいえ、この本は田中角栄への無批判な礼賛本ではない。そのあたりが、「反米」とみなす政治家を礼賛し、「対米従属」とみなす政治家をこき下ろす善悪二元論に立つ孫崎のトンデモ本とは全く違う。角栄金権政治を批判したり*6、「電源三法柏崎刈羽原発」という一節*7を設けるなど、バランスには配慮している。また、戦時中に大河内正敏の庇護を得て理研コンツェルンとかかわった角栄が、戦時中の「臨時軍事費特別会計」で野放図に拡大した軍事予算を背景に、その若さにはいささか釣り合わない財をなしたことを指摘している。以下本書から引用する。

 「臨時軍事費」はいわば、打出の小槌だった。通常の予算ならば、軍事費とはいえ、会計検査を受けて決算しなければならない。ところがこの「臨軍」は、使途を一切明らかにしなくていい、しかも中佐クラスの切る伝票でいくらでも支出することができた。いわば、軍のつかみ金で使い放題だったのである。軍事費の拡大は野放図に続き、一九四四年には三〇〇億円を超える軍事費になり、国家予算の九割を占めるまでになる。

 それと車の両輪ともいうべき臨時資金調整法、輸出入品等臨時措置法、軍需工業動員法の戦時統制三法も一九三七年に成立する。一九三八年には国家総動員法、電力国家管理法ができる。軍事が経済に優先して、ふつうの人の生活物資は食料も衣服も手に入りにくくなる「戦時経済」が世の中を覆うことになった。

 自動車や航空機など、軍需には欠くことのできないエンジンの部品、ピストンリングを生産する理研コンツェルンは、こうしたなかで成長した。角栄が二〇歳にして、不相応な資力を蓄えた実業家に成長したのは、こうした風雲の時代にチャンスをつかんだということだったろう。日本の近代の地底で蠢いていた一匹の幼虫が地上に這い出し、軍事費という栄養で育ち、軍国の風に羽ばたく成虫になったのである。

早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』(中公新書, 2012年)31-32頁)


ひらたくいえば、戦時中の田中角栄は「若き死の商人」であったということだろう。

とはいえ、上記のような記述にもかかわらず、この本の基調はやはり田中角栄びいきである。「角栄の内政は、社会民主主義色が濃かった」*8という評価には手放しでは賛成できないし、特にいただけないのは、田原総一朗が『中央公論』に書いた「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」という評価を無批判に引用しているくだりである*9。また、実際には改憲・護憲の中間的なスタンスをとった田中角栄を、著者自身の立場である「護憲」寄りに描きすぎているとも感じた。

しかし、そういう疑問は感じながらとはいえ、一気に読ませるのは、さすがは朝日新聞で出世した政治記者だけのことはあるとうならされる著者の筆力と、著者の田中角栄に対する思い入れ、それに、読者である私自身が保守政治家の中では田中角栄に比較的魅力を感じていたためだろう*10。1972年の田中角栄首相誕生時と、それから3か月も経たずしてなしとげられた日中国交正常化の強い印象が、それから40年経った今でもなお残っているのだ。

本書は、日中国交正常化を記述した部分で、同じ中公新書から昨年出版された服部龍二著『日中国交正常化 - 田中角栄大平正芳、官僚たちの挑戦』からずいぶん引用しているので、同書もついでに読んでみた。


日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)


この本で興味深かったのは、日中国交正常化交渉を主導した外務官僚の橋本恕(ひろし)中国課長や栗山尚一条約局長はチャイナスクール出身ではなく、それどこか彼らはむしろ積極的にチャイナスクール外しをしたということだった。つまり、田中角栄大平正芳は、日米安保を基軸に置く自民党の伝統的なスタンスを守りながら、日中国交正常化をなしとげた。なお、この本に対しては、こうした外務官僚の言い分をそのまま無批判で掲載しているとの批判が結構あるようだ。物議を醸した田中のスピーチの「ご迷惑をおかけした」という表現についても、現在にまで禍根を引きずるその責任は、彼ら親米派の外務官僚らにあるはずだとの批判だ。一方、早野透の著書では、「周恩来の問いかけに角栄はまともに答えていない」*11として、田中角栄に対して批判的な記述がされている。

いずれにせよ言えることは、田中角栄大平正芳は、アメリカに対して最大限の配慮をしながら日中国交正常化交渉を進めたということであり、しかも中国との国交正常化でアメリカを出し抜いたことへの後ろめたさでもあるのか、日米の貿易不均衡是正が議題となったハワイでの日米首脳会談で田中はアメリカの言い分をのんで譲歩しまくり、それがロッキード事件につながった*12。また、それに先立って佐藤内閣時代に首相の佐藤栄作を悩ませた日米繊維交渉において、宮沢喜一から通産相を引き継いだ田中角栄アメリカの要求をほぼ全面的にのむ形で問題を決着させたこともあった。つまり、孫崎享が言うような「田中角栄アメリカと敢然と戦った」政治家では全くなかった。そもそも、戦後日本政治で総理大臣を務めた保守政治家を「自主」と「対米従属」に二分するという孫崎の分類は粗雑きわまりない。

いつもの癖で、ついつい孫崎トンデモ本に対する批判に脱線してしまったが、いろいろ問題はあったにせよ、日中国交正常化を実現した田中角栄大平正芳の仕事は、やはり大したものではあった。彼らにとっては、アメリカや中国よりも、むしろ日本国内、自民党内のタカ派勢力との論戦や、角栄や大平、それに二階堂進らを殺すぞと脅迫した右翼に対する防備などが最大のハードルだったかもしれない。大平は訪中前に遺書を認めたし、角栄は中国に愛娘の眞紀子(当時28)を連れて行かなかった。日中国交正常化交渉は彼らにとって命懸けの仕事だった。角栄が特にかわいがったという小沢一郎は、東日本大震災の時に雲隠れして顰蹙を買ったが、小沢が命懸けでやった仕事に何があるだろうか。まさか「政権交代」(笑)?

またまた脱線したが、田中角栄というのは功罪相半ばするとはいえ、やはり一時代を画したたいへんな政治家であったとはいえると思う。ふと思ったのは、今後また日本は混乱の時代に陥る可能性が高いけれども、そこで戦時中の田中角栄のように、正義にもとるとしかいいようのない手段で力を蓄えた者が、また次の時代をリードする指導者になるのかなあということだ。総理大臣に返り咲くことが確実な世襲政治家安倍晋三は、日本の政治の混迷をさらに深めるだけだろう。石原慎太郎橋下徹は、その混迷の火に油を注ぎ、日本を焦土にしてしまうかもしれない。そんな時代をしぶとく生き抜く者が次代の日本を担っていくのだろうか。

*1:その2年後にニクソンウォーターゲート事件を追及されて大統領辞任に追い込まれたことも、同じくらいインパクトの強いニュースだったが。

*2:その頃には家の購読紙は朝日から毎日に代わっており、おかげでこの年4月の西山事件では毎日新聞の連日の「知る権利」のキャンペーンと、スキャンダルを契機にした佐藤政権の反撃に遭ってのキャンペーンの尻すぼみぶりにも接した。

*3:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』113頁

*4:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』391頁

*5:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』113頁

*6:蛇足ながら、筆者の早野透は「田中角栄の内在的な批判者」と小沢一郎を評価し、小沢の「政治改革」を朝日紙上で後押ししたようだ。この点に関しては私は早野透を評価しない。

*7:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』268〜271頁

*8:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』277頁

*9:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』264〜265頁

*10:但し私としては、田中角栄よりも大平正芳により惹かれるところが大きいけれども。

*11:早野透田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』246頁

*12:大平正芳は、外国から金をもらうなよ、と角栄に忠告したが、角栄はどこ吹く風だったという。