kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「金大中拉致事件」から間もなく40年。韓国の朴正煕独裁政権に日本の主権を差し出した「自主独立派の政治家」(by 孫崎享)・岸信介の悪行を蒸し返しておく

少し古いが、6月29日付朝日新聞夕刊に掲載された「昭和史再訪・(昭和)48年(1973年)8月8日 金大中事件」に、岸信介の悪行が書かれているのでこれに触れておく。

岸信介は、いうまでもなく安倍晋三の敬愛する母方の祖父であるとともに、孫崎享が信奉し、それを岩上安身らが大々的に宣伝したために、今では「小沢信者」たちからも英雄視されている。

しかし、田中角栄政権時代の1973年に起きた金大中拉致事件の時、岸信介がとった言動は下記のようなものだった。以下朝日新聞記事より引用する。

 (韓国の日本に対する=引用者註)主権侵害を問わない政治決着は、岸信介ら親韓派自民党議員が強く主張した。韓国との交渉、国内では徹底究明を訴える警察庁の説得の板挟みになった外相大平正芳の髪は一気に白くなったという。

朝日新聞 2013年6月29日付夕刊掲載記事「昭和史再訪・48年(1973年)8月8日 金大中事件」より)


この記事には、事件当時の毎日新聞ソウル特派員だった古野喜政記者(76)の「証言」が出ている。

拉致から2年語の1975年9月、古野元記者は金大中氏から「どうしても会いたい」と言われ、金氏の自宅を訪ねた。盗聴を警戒する金氏は、ラジオをつけ、重要部分は筆談したという。以下朝日新聞記事より引用する。

(前略)彼(金大中氏=引用者註)はKCIAに確実な情報源を持っていた。「3日後に有罪判決が出て収監される。獄中では命の危険がある。助けてほしい」。翌日の朝刊に収監見通しと書いた。結果、公判は「判決延期」。記事で公判のことを知った米国が圧力をかけたのだろう。後に私のことを「一番苦しい時に命を救ってくれた」と後輩記者に語ったそうだ。

 私の取材では、日本政府は拉致4日後に全容を把握したが、40年たった今も一切語らない。政治決着を進めるために韓国に「金東雲を犯人だと認めるな」と強硬な態度を振り付けさえした。主権・人権の感覚のない為政者が外交を左右していたことに怒りを覚える。

朝日新聞 2013年6月29日付夕刊掲載記事「昭和史再訪・48年(1973年)8月8日 金大中事件」〜「証言 事件当時の毎日新聞ソウル特派員・古野喜政さん」より)


この「金大中拉致事件」は、私にとってはロッキード事件や列島改造、それに金脈人脈の件以上に、田中角栄政権史上もっとも悪い印象を持っている事件である。この田中角栄小沢一郎の師匠であるとともに、孫崎享岸信介ともども「敢然とアメリカに立ち向かった『自主独立派』の政治家」として絶賛している。しかしその田中も(大平正芳もだが)古野元毎日新聞記者に「主権・人権の感覚のない為政者」として一蹴されているのである。そして、田中や大平が行ったこのような最悪の「政治決着」を後押ししたのが、「敢然とアメリカに立ち向かった『自主独立派』の政治家」(by 孫崎享岸信介だった。

もっともこの件で岸(や田中・大平ら)はアメリカではなく韓国の朴正煕独裁政権に日本の主権を差し出した。「小沢信者」のみならず、安倍晋三を崇拝するネトウヨ諸賢の見解をもうかがいたいものである。