kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

服部龍二『田中角栄』を読む 〜 では誰が「福祉元年」をやるべきだったのか

服部龍二の本は前にも中公新書の日中国交回復に関する本を読んだことがあるが、この政治学者は明確に保守派と位置づけられると思う。

といっても、最近のメディアやネットのいう「保守」ではない。あれは右翼とか反動などと呼ぶべきものだ。そうではなく、80年代頃まで使われた、言葉本来の意味での保守だ。但し、私自身はその意味での保守派でもないと自己規定しているので(右翼とか反動と正しく呼ぶべき、安倍晋三だの稲田朋美だの小池百合子だの橋下徹だの石原慎太郎だのは、私からすれば論外の人たちである)、はっきり言って服部氏の立場には批判的であることをおことわりしておく。


田中角栄 昭和の光と闇 (講談社現代新書)

田中角栄 昭和の光と闇 (講談社現代新書)


最近、雨後の筍のように出版されている田中角栄本にはろくなものがない。晩年になって角栄にすり寄ってまだ金を稼ごうとする石原慎太郎の駄本は、昨年ずいぶん売れたらしいが、買ったり借りたりして読むつもりなど全くなく、一度本屋に平積みしてあったのをペラペラめくってみたが、あまりの内容の空疎さに石原という男の索漠とした精神を見て取って呆れてしまった。もっとも自らの老いと死を直視せざるを得なくなった石原の最近の小説の中にはそれなりの評価を受けているものもあるようだが。

角栄本で面白かったのは早野透佐藤昭子(昭)、それに佐藤昭子角栄の娘である佐藤あつ子(敦子)の本だ。但し佐藤あつ子の本は角栄というより佐藤昭に関する本というべきだろう。要するに、角栄が現役当時の新聞記者やら秘書やらその娘やらが書いた(佐藤あつ子や、もしかしたら佐藤昭子の本も実際にはゴーストライターが書いたと思われるが)本だから面白い。最近の角栄ブームに便乗しようと書かれた本は、著者の心根もあさましいと思って石原慎太郎のクソ小説をごく一部だけ立ち読みしたのを除いて立ち読みもせずにいる。

しかし服部龍二は学者だ。他のブーム便乗本とは違う。だから読んだ。

正直言って、力作だとは思うがあまり面白くなかった。特にどうしても気になる点があり、それはこの日記に記録しておきたいと思った。それは、下記アマゾンカスタマーレビューのうち、私が赤字ボールドにした部分だ。

https://www.amazon.co.jp/review/RPGDYE8A0N0VL/

★★★★★ 田中角栄の正しい評価, 2017/1/6
投稿者 猫大好き
レビュー対象商品: 田中角栄 昭和の光と闇 (講談社現代新書) (新書)

近年、田中角栄を「天才」とする作家の書がベストセラーになり、巷では(そしてAmazonで「田中角栄」と検索しても)礼賛本が並ぶ。しかし、本書は冷静にこの政治家を評価している。

まず、田中内閣が行ったことは高度経済成長が前提の時代に合わない政策ばかりであり、日中国交正常化以外は評価に値しないとする。
とりわけ、前年度比24.6%増の1973年予算こそ彼の最大の失策とする。この景気上昇期に国債増発をしてまでの積極財政は、インフレをコントロールできない状況にした。また、この予算の中に「福祉元年」と称して老人医療無料化などが組まれた。現在、われわれが財政赤字に苦しんでいるその大本は、この男の積極財政にあったのだ。著者は田中の代わりに福田が首相になっていたら、もう少しまともに安定成長したであろうとコメントしている。

次に田中は人心を集める力があると言われる。しかし、本書では田中が最も信頼すべきであった秘書の麓邦明を否定し、彼は田中から離れていった事情が語られる。麓がいれば、『日本列島改造論』にインフレの視点が加えられ、ロッキード裁判でも事前の法廷闘争の準備ができたであろうと述べる。要するに、本当に自分にとって大事な人がわからなかったということだ。

田中礼賛論の人々には、是非本書を読んで欲しい。「目から鱗」とはこのことだ。


著者・服部龍二の主張には、野田佳彦や朝日・日経などの新聞記者などの財政再建厨が涙を流して喜びそうだ。

著者は田中角栄が在任中にやるべきは緊縮財政政策だったという。

だが、いま現在でも日本の福祉・社会保障は貧弱極まりない。

1972年に田中角栄ではなく福田赳夫が総理大臣に選ばれてなければ日本が「新興没落国」として苦しむ現在の姿はなかったのか。

まさか。

「福祉元年」の政策は、もっと早い時期に行われなければならなかったのだ。

田中角栄が「福祉元年」と位置づけた1973年は、よりにもよって高度成長最後の年。あまりにもタイミングが遅すぎたとは、私もこの日記に何度も書いてきた。

それをやらなかったのは池田勇人佐藤栄作だ。

昨年、前原誠司のブレーンとして迎えられたことで注目された井手英策が、前原との共著でいの一番に指摘したのは池田勇人の無策だった。

それをこの日記で紹介したら、いや、当時の池田勇人には高福祉(そういえば最近は○福祉○負担の議論をあまり聞かなくなったな)の政策はとりようがなかった、悪いのはそのあとの政治家だというコメントをいただいた。池田勇人のあとで田中角栄の前といえば佐藤栄作しかいない。

おのれ佐藤栄作。おのれ、佐藤栄作を「アメリカと敢然と対峙した『自主独立派』の政治家」と賞揚した孫崎享。おのれ、孫崎享を講師に招いた「護憲派」ども。例によってそんなことを書きたくなってしまう。もっとも私は池田勇人無罪説に同意したわけではない。ただ、高度経済成長期に長期政権を担った佐藤栄作の罪はきわめて重いことは間違いない(総理大臣の任期は池田勇人4年4か月に対して佐藤栄作は7年8か月)。田中角栄ではなく佐藤栄作こそ現在の「新興没落国日本」を招いた最大の元凶=巨悪であろう。

政治学に求められるのは、佐藤栄作に対する徹底的な批判ではなかろうか。

とにかく、服部龍二の本には、では誰が「福祉元年」の政策をやるべきだったのか。誰もやらなくても良かったのか。その視点が全くない。

読み進めるほどにストレスばかりが溜まる本だった。服部本を読んで得られた新しい知見も特にない。

人に角栄本として薦められるのは、今のところ早野透の本だけだ(読み物としての面白さだけなら佐藤昭(子)母娘の本も挙げられるが)。90年代の「政治改革」に関与したこの元朝日新聞記者に対して私は大いに批判的だが、それはそれ、これはこれで早野透の本は面白かった。但し、あまりに田中角栄護憲派寄りに描きすぎていて、角栄の実像と乖離があるとは思う。


なお、昨日までかなり忙しかったが、忙中閑をみつけてまたも松本清張本を読んでしまった。ストレスの溜まる服部本と並行して読んで、ストレスを発散させていた(笑)。



解説で宮部みゆきが、この本を代表作に挙げる清張ファンがいないと残念がっているが、私もこの本を清張の代表作に挙げるわけにはさすがにいかない。駄作ではないと思うが。書かれたのは1980〜81年(清張70〜71歳)だが、この頃の清張に倒叙ミステリーかそれに類した作品が少なくないのは、NHKで時々放送されていた『刑事コロンボ』(私も欠かさず見ていた)の人気を意識してたんだろうなと思う。宮部みゆきは『いろはの“い”』という日本テレビ系のドラマ(1976〜77年)を挙げているが、こちらは見たことがない。