kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

池田勇人的「小さな政府」論自体が間違っていた

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20161005/1475625415#c1475690178

id:urinarazuke 2016/10/06 02:56

池田勇人的「小さな政府」論それ自体が間違っているわけではない。
高度成長期という文脈、右肩上がりの経済環境のもとでは、正しい政策であったのは確か。
もしここでバラマキ福祉路線に走っていたら、日本はファン・ペロン政権時代のアルゼンチンと同様、没落の道を辿っていたことだろう。

問題は、経済環境が変化してもお構いなしに、いついかなる時でも「小さな政府」が絶対に正しいと妄信する、池田エピゴーネン共の思考停止の態度にある。
いつでも、どこでも、いかなる経済環境のもとでも普遍的に正しい経済政策などありえない。

拡大市場、成長産業では、民間に任せておけば自由市場競争のもとでどんどん生産力、供給力が拡大してゆくので、民間では供給困難な公共財を除き、わざわざ政府が関与する必要はない。
これに対して、縮小市場、衰退産業では、民間任せで市場メカニズム・競争原理に委ねるだけでは、過剰生産力を削減することは困難であり、政府の関与による、カルテル的な供給調整が必要となる。
高度成長期でも、石炭政策、コメ減反政策(但し、これは佐藤栄作政権から開始)という立派な実例があるのだから、「小さな政府」論者たちも気付かないはずはないのだが。

これから人口減少が本格化する日本では、多くの分野が縮小市場、衰退産業に陥るので、小さな政府」どころか、政府の関与による供給調整の必要性はますます高まる一方であろう。
代表例が不動産であり、人口増加時代に開発した郊外の住宅地、工業用地、商業用地の多くを更地にして元の田園・林野に戻し、居住と経済活動を中心市街地に集約する「コンパクトシティ化」を、否が応でも進めざるをえなくなる。
しかし実態は、多くの地域で未だに郊外開発が惰性的に続行しており、住宅や商業施設の自滅的な過剰供給が止まらない。まさに「市場の失敗」の典型。

池田勇人イズム=「小さな政府」路線の模範生ともいえるシンガポール(リークワンユーイズム?)が、住宅だけは民間任せにせず、政府が一元的に供給していることも参考になろう。

そのご意見には同意できません。

最大の問題は、池田政権の政策が日本国民のうち限られた人たち(たとえば大企業の男性正社員)に傾斜して恩恵をもたらすものであって、それから除外された人たちには「トリクルダウン」という形でしか恩恵が受けられなかったことにあります。

池田勇人佐藤栄作が総理大臣でいた頃からその問題意識は持たれていたに違いないと思います。それが遅まきながら表面に表れたのが、田中角栄の「福祉元年」だったのでしょう。しかしそれはあまりにもタイミングが遅すぎました。

池田勇人が総理大臣になった時点で、違った政策(社会保障・福祉により多くの政府支出を行う政策)をとる選択肢はあったにもかかわらず、生来のタカ派保守政治家だった池田勇人吉田茂も同じ傾向の人)にはそれができなかっただけではないでしょうか。池田勇人は、その前の岸信介があまりにもひど過ぎたために相対的に得をした政治家だったようにも思います*1

もしここでバラマキ福祉路線に走っていたら、日本はファン・ペロン政権時代のアルゼンチンと同様、没落の道を辿っていたことだろう。

とのご意見は、いかにももっともらしく響きますが、実際に池田勇人佐藤栄作らが行ったのは、下記記事でさとうしゅういち氏が指摘するように、

国家による個人への福祉は田中角栄によるいわゆる福祉元年まで貧弱

な、弱者に苛酷な政治に過ぎなかったのではないでしょうか。

「新自由主義の破綻」と「1960年体制への回帰」や「1980年代への郷愁」 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2016年10月5日)

新自由主義の破綻」と「1960年体制への回帰」や「1980年代への郷愁」


1960年の安保闘争岸信介退陣・三池闘争敗北は、日本に以下のような体制をもたらしました。


池田勇人内閣(1960−1964)以降、アメリカに従属しつつ、海外派兵はしなかった。経済を優先した。
※以降、経済の飴で反安保闘争を押さえ込むとともに、韓国のように海外派兵しまくることはなかった。
オリンピック、新幹線、万博。


国→大手企業→企業内労組→男性正社員世帯主 というトリクルダウンを前提とした体制=企業内福祉。
労働者の会社への忠誠心を引き出す仕組み。
他方、国家による個人への福祉は田中角栄によるいわゆる福祉元年まで貧弱。


1980年代以降、特に1990年代以降、経団連アメリカの圧力で新自由主義加速。
企業によるセーフティネットが崩壊。貧困が拡大。


第二次・第三次安倍政権→1990年代から2000年代前半のデフレ・貧困を拡大させつつ多様性の尊重などを打ち出していた「ポストモダニズム」への反感≑1980年代への郷愁を利用。


公共事業のバラマキ。軍需・原発産業の拡大→労働者・地方へのトリクルダウンのイメージを醸し出す。


左派・リベラルの中にも、1980年代や1960年体制への郷愁は根強いが、それでいいのでしょうか?
貧困を拡大させたのは、新自由主義とともに、1960年体制そのものの問題もあったのではないか?
また、1960年体制そのものが、国内的には沖縄に犠牲を強いていたのではないか?


安倍総理国家社会主義に対する対抗軸を!

*1:余談だが、数年前に池田勇人の師匠格の吉田茂をこき下ろしたのは良いとして、勢い余ってか本音を剥き出しにしてかどうかは知らないが(多分後者だろう)岸信介を絶賛した孫崎享という元外務官僚がいて、この男の妄論に「小沢信者」を初めとする少なからぬ「リベラル」が続出したことには呆れるほかなかった。孫崎や孫崎に共鳴した人たちは、批判の対象どころか罵倒の対象で十分だと思う。