kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松本健一『評伝 北一輝』III, IV, V(中公文庫)を読む

第3巻の後半以降は6日間で読んだ。一輝ならぬ一気読みだった。





松本健一北一輝5巻本は、読み物としては無類に面白いのだが、著者の松本健一が激しく入れ込む北一輝に、同じように私も入れ込む気にはどうしてもなれなかった。

北一輝は、その出発点においては田中良紹の言うように「坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ」人間だったが、反面出発の時点から帝国主義者だった。日露戦争を支持して幸徳秋水堺利彦と袂を分かった。また満州事変にもイケイケだったし、「統帥権干犯」論を鳩山由紀夫の敬愛する祖父・鳩山一郎を含む頭の悪い政友会の政治家に吹き込んで、戦前の政党政治をぶっ壊した。昔も今も、日本の政治家の質の低さは変わらないようである。

初期の『国体論及び純正社会主義』において、大日本帝国憲法下の天皇制をこっぴどく批判した北一輝は、世襲権力が大嫌いな人間だった。流刑地である佐渡島の出身というせいかもしれない。北は、天皇を利用して軍人にクーデターを起こさせようと考えていた。北は明らかに昭和天皇をバカにしていたが、最後にはその昭和天皇二・二六事件に激怒して政府に強硬姿勢をとらせたことで死刑に追い込まれたといえる。私もまた子ども時代から世襲権力が大嫌いで、天皇制に対してもそれが世襲権力であるが故に中学生時代には既にそれを嫌っていたし、安倍晋三麻生太郎小沢一郎鳩山由紀夫らを私が嫌う理由の一つとして、彼らが世襲の権力者であることが挙げられる。だから世襲権力を嫌う点においては北に共感できる。

北に心酔した岸信介は、戦前は官僚を経て閣僚になった人間であって、北が倒そうとした政党政治を担う人間ではなかった。また岸は世襲権力者ではなく、抜群に頭の切れる人間だった。一方安倍晋三世襲権力者にして自民党の政治家である。北が現代日本の人間であったら、安倍晋三を蛇蝎のごとく忌み嫌うのではないかと思われる。

また(血縁関係はないが)田中角栄小沢一郎北一輝との関係についても似たようなことがいえる。中期北一輝*1の主著『日本改造法案大綱』と田中角栄の主著とされる(実際には官僚が書いた)『日本列島改造論』とは書名が似ているが、これはもちろん田中が北と同じ新潟県出身であることから、北の書名を意識してつけられたものだ。田中角栄は小学校卒からのし上がり、「庶民宰相」といわれた。もちろん田中は戦前や戦時中に相当いかがわしいことをやってのし上がったものであるが、少なくともふざけた世襲権力者ではない。これに対し、田中の書名をもじった『日本改造計画』という主著(これも自分では書いておらず、官僚や竹中平蔵ら御用学者が書いた)がある小沢一郎は、小沢佐重喜という自民党政治家の倅の世襲政治家である。ネット検索をかけると、その書名の類似から小沢一郎北一輝になぞらえる「小沢信者」の妄言を見出すことができるが、いったい「小沢信者」というのは、小沢をチェ・ゲバラに見立てたりカール・マルクスに見立てたりと、その節操のなさには際限がない。しかし、リアルの小沢一郎は、つまらない世襲政治家に過ぎないのである。

北一輝に話を戻すと、その世襲権力嫌いや、人によっては『改造法案』の7割が日本国憲法に反映されたという政策論には共感するところはあれども、非常に強い拒絶反応を抱かせるのがその強烈な帝国主義志向とテロリズムの肯定、いや煽動である。こういう面は全く容認できない。北は「革命は暗殺に始まり暗殺に終わる」などと言ったらしいが、そんな人間のどこが「民主主義者」なのか。田中良紹を問い詰めたい。

なお、5巻本の著者・松本健一は昨年亡くなった人で、民主党仙谷由人と仲が良かったことで知られるが、右翼とも左翼ともつかない人だった。ナショナリストであったとはいえると思うが、天皇をものともしない北に惹かれていたようだから、天皇陛下万歳の人ではない。

とはいえ私には共感できない点が少なくない人である。もう少し違った観点から北一輝について読んでみる必要があると思って、渡辺京二の『北一輝』も買い込んである。頁をめくってみると、松本健一松本清張北一輝論をこき下ろしている。渡辺京二は「左翼の北一輝愛好者」といえそうだ。松本清張の本も未読だが、こちらは「大衆左翼的な北一輝批判者」といったところか。もっともこれらはいずれも本を読んでいない人間の予断である。

以前書いた予告に反して、岸信介北一輝との関わりについてはほんの少ししか書かなかった。それはいずれ書くこともあろうかと思う。

*1:政治ゴロと化した後期の北一輝には著書はなく、もっぱら怪文書の作成などにいそしんでいた。