kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

北一輝と松永テル、ブラームスとクララ・シューマン、「秘密の暗号」

松本健一に続いて北一輝に関する本ということで、渡辺京二の『北一輝』の初めの方を読んでいる。


北一輝 (ちくま学芸文庫)

北一輝 (ちくま学芸文庫)


この本で、北一輝と初恋の人・松永テルが晩年に再開した話が、松本健一を引用しながら語られている。その中で、渡辺京二松本健一をこき下ろしている部分があるので、ネット検索で見つけたブログ記事から引用する。ブログ主は、コメント欄で下記の指摘をもらったと書き出している。

髭彦閑話26 「君は秀でし背もあれよ」~北一輝・松本健一・渡辺京二~ - 雪の朝ぼくは突然歌いたくなった(2010年6月26日)より

渡辺京二の「北一輝」のなかに、北が「すぐれた背の君」と恋人のことを歌ったのに、「5尺足らずの少女に対し、5尺2寸の北が背が高いと歌ったのは微笑ましい」と松本健一が書いているのを笑っています。/知らないということはどうにもなりませんね。>というのである。僕は北一輝松本健一渡辺京二もほとんど読んでいないので、まるで知らない話だった。松本健一が、「背の君」という日本文学上のイロハ的表現も知らないでバカなことを書いたらしいとはわかったものの、少々釈然としない感じがあって(以下略)


渡辺京二の本には、この記述が確かにある。上記ブログ記事から孫引きする。

(付言するが松本健一は、五尺足らずの少女テルに対し、自分も五尺二、三寸しかない北が「君は秀でし背もあれよ」と歌ったのはほほえましいと書いている。おどろくべきことにこの人は、詩句中の「背」を背丈けのことと思っているのだ。もちろんこれは背の君のことで、それでこそ「うまし愛子も得つべし」という次の行と照応する。君にはさだめしよい旦那さんができて、やがて玉のような子も生まれるだろう、北はこうむかしの恋人に対し、ロマンティックヒーローのセンチメンタルなきまり文句を呟いているにすぎない)。
渡辺京二北一輝』(ちくま学芸文庫,2007)43頁)


松本健一の『若き北一輝』の古い版である、現代評論社版の『増補 若き北一輝』(1973)には、上記のような記載が実際あったようである。再び上記ブログ記事から引用する。

渡辺は明示していないが、渡辺の批判の対象となった松本の文章は『増補 若き北一輝』の中にあった。

「輝は五尺たらずの背丈だったが、北も五尺そこそこであったから、彼が後年『侠少悲歌』で「君は秀でし背もあれよ」と謳ったのは、微笑を誘われる。」(p.73〜74)

たしかにこれで見る限り、渡辺の指摘は正しい。
松本は、北が恋人の「輝(テル)」の背丈のことを「君は秀でし背もあれよ」と歌った(松本は「謳った」とこれも誤記している)と誤読しているのはまちがいないだろう。
ただ、渡辺が「おどろくべきことにこの人は、詩句中の「背」を背丈けのことと思っているのだ。」と呆れた後に、「もちろんこれは背の君のこと」だと続け、さらに「君にはさだめしよい旦那さんができて」と書いて、「背」=「背の君」=「旦那さん」と読めるような表現をしているのは、少々いただけない。
より正確には、古代において女性から男性や兄弟、特に恋人・夫に対する親称が「背」であり、「背の君」はその尊称であるからだ。


私は日本文学は(も)全くダメなので、「背の君」も知らず、従って上記の議論には全くついていけないことを告白しておく。

ただ、事実として指摘しておきたいのは、

彼が後年『侠少悲歌』で「君は秀でし背もあれよ」と謳ったのは、微笑を誘われる。

という文章は、昨年出版された中公文庫版の松本健一著『評伝 北一輝 I 若き北一輝』からは削除されているし、おそらくその底本となった同じタイトルの岩波書店版(2004年)からも削除されていると思われる(1985年に刊行された本に明らかな誤りを指摘されたわけだから、著者はそれに対応したに違いないと思われる)。もしそうであるなら、渡辺京二の『北一輝』がちくま学芸文庫入りしたのは2007年だから、当該の部分には注釈をつけておいた方が良かったと思われる。「学芸」と銘打って普通の文庫本よりも高い値段をつけても、編集者はそんな細部までチェックしないものなのかもしれないが。なお、中公文庫版の『評伝 北一輝 I 若き北一輝』では、当該箇所は下記のように書き改められている。

 輝は五尺たらずの背丈だったが、北も五尺そこそこであったから、小柄な恋人同士である。
松本健一『評伝 北一輝 I 若き北一輝』(中公文庫,2014)119頁)

さて以上は前振り。

北一輝は、晩年の昭和9年(1934年)に、その初恋の人・テルを訪ねている。松本健一の評伝ではIV巻の391頁に出ているが、引用文献として松本自身が新左翼系総会屋雑誌と言われていたらしい『現代の眼』1970年10月号に発表した「北一輝 不可視の恋」が挙げられている。おそらくそれを引用しながら(渡辺京二は引用元を明記していない)、下記のように論評している。

 しかし、こういう後日譚に過剰な意味を読み込むことはできない。生木を割かれるように別れさせられた恋人が、ましてやそれが初恋であれば、双方にとっていつまでも忘れがたい存在であるのは当然である。はたしてこの両人が結ばれてうまく行ったやらどうやら、保証の限りではないが、それが現実に化することがなかっただけに、もし彼女とあるいは彼といっしょになっていたらという思いは、年とともに甘美になって行っただろう。この年ふたりは四十代の後半であるが、初老というのはそういう想像がもっとも甘美でありうる年齢の限界であるのかも知れない。
渡辺京二北一輝』(ちくま学芸文庫)47-48頁)


さて、一昨日の夜にそんな文章を読んだ翌日、退勤後立ち寄った本屋で、ブラームスクラリネット三重奏曲の第3楽章が流れていた。この音楽を耳にするのは久しぶりだったが、曲を思い出すうち、大昔、この曲を最初に聴いた時、第1楽章の途中に出てくるもの悲しい短調のメロディーが、どこか聞き覚えがある懐かしい調べであるような気がしたものの、それが何であるかずっとわからずにいたのが、それから何十年も経った今頃になって、はたとその正体に気づいた。それは、同じブラームス交響曲第4番の冒頭のテーマだった。クラリネット三重奏曲の第1主題の途中に出てくる短調のメロディーは、第4交響曲冒頭のメロディーの変形だった。クラリネット三重奏曲では、最初に三度音程を2回上昇し、さらに二度音程を上がったあと、ひたすら三度の下降が、時たまそれとオクターブ差の関係にある六度の上昇を挟んで繰り返されるが、第4交響曲の冒頭は、三度音程の下降が時たま六度の上昇を挟んでずっと続いたあと、三度音程を2回上昇する*1。つまり、三度の音程を二度上昇する部分を最初に持ってきた、あるいは第4交響曲冒頭の「ミ−ド−ラ」(移動ド)を「ラ−ド−ミ」(同)に変えた*2のがクラリネット三重奏曲の第1楽章途中のメロディーなのだ。たぶん両方とも同じホ短調のはずである*3

そんなこともあって、ブラームスクラリネット三重奏曲についてネット検索をかけると、なんと本屋で耳にした第3楽章と、思いを巡らせていた第1楽章に、ともに「クララのモチーフ」とも「クララ・コード」とも言われるらしい音型が使われているらしいことを知った*4。同じ音型は、クラリネット五重奏曲やクラリネットとピアノのためのソナタにも使われているらしい。ここで「クララ」とは、ブラームスの先輩作曲家・シューマンの妻、クララ・シューマンのことである。生涯独身を通したブラームスと14歳年上のクララの間には、何かと噂があった。

クラリネット三重奏曲に出てくる「クララのモチーフ」について書かれたブログは下記。
ブラームス:4つのクラリネット作品におけるマタイ動機 : 考える葦笛(2007年9月19日)

「クララのモチーフ」(「クララ・コード」)とは、「ミ−ラ−ソ−ファ−ミ」という、最初4度上昇して順次(二度音程で)下降する音型。もとはバッハが「マタイ受難曲」に使ったコラール(レオン・ハスラー作曲)とのこと。

上記ブログ記事によると、

このモチーフは、シューマン、クララ、ブラームスの3人にはピンと来る秘密のモチーフだという。

とのこと。別のブログ記事*5によると、NHK交響楽団首席クラリネット奏者・東邦音楽大学特人教授・東京藝術大学講師の磯部周平氏が、『レコード芸術』(音楽之友社刊)2006年7月号に発表した論考に基づいた議論らしい。私はそんな話は全く知らなかった。

それで、覚えているブラームスの曲に、「最初4度上昇して順次下降する5音音型」がないかと考えてみると、2曲思い当たった。上記クラリネットのための室内楽曲と同じ頃に作られた、ピアノのための間奏曲作品117-1と同じく間奏曲作品118-2である。これらの曲は、グレン・グールドの名演を通じて知っていた。この2曲のうち、作品117-1の方は「ソ−ド−シ−ラ−ソ」なので「マタイ受難曲」のコラールの音程とは合わない(シとラにフラットがついていれば合う)が、作品118-2の中間部はまさしく「マタイ受難曲」のコラールと同じ音程である。そして、ネット検索によって、この曲を含むブラームスのピアノ小曲集作品118がクララ・シューマンに献呈されたことを知った時には軽く驚いた。

正直言って、最初は「クララ・コード」なんてこじつけだろ、と軽く考えていたのだが、間違いだった。明らかに、ブラームスシューマン既に亡き1893年当時、クララにのみ通じる「秘密のモチーフ」を贈っていたのだ。

さらに興味深いブログ記事を見つけた。
ぴょんのぐうたら日記 - FC2 BLOG パスワード認証(2015年2月20日

ブラームスの間奏曲ってたくさんあるので、
私はどれが何なのかサッパリわからなかったのですが、
ピティナピアノ曲事典によると、
作品118「6つの小品」に含まれている、
この第2番の間奏曲がいちばんよく知られているみたいです。
確かに私でも知っていますし、本当に美しい曲ですね。


ピアニストIさんは、ここで一冊の本を取り出され、
「これは『友情の書簡』という、
 クララ・シューマンヨハネス・ブラームスの往復書簡集です。
 ブラームスは20才のとき、シューマン夫妻を訪ねたのがきっかけで世に出ました。
 クララはブラームスより14才年上ですが、
 小さいころから天才ピアニストとして有名で、
 非常に才能のあるベッピンさんだったんでしょうね(笑)
 しかし、シューマン精神障害で病院へ入院してからは、
 経済的にも大変苦労します。なにしろ8人も子供がいますからね。
 クララは、シューマン自身が持っていたお金は子供に残そうとしたため、
 生活費はクララが全部稼ぎ出さなくてはなりませんでした。
 そんなクララを支えたのがブラームスです。
 二人の間では800通もの手紙がやりとりされていて、
 そのうち207通がこの本に収められています。
 え〜 たいへん濃い!手紙です(笑)
 二人の間柄がどのようなものであったかは謎です。
 しかしたとえば、ブラームスがお金を渡したい、どうか受け取ってほしい
 と懸命に頼む内容とかもあります」


「ふつう、高音のメロディーは女性、低音は男性を表わしますね。
 そして、メロディーの掛け合いもよくあるパターンです。
 女性が問いかけて、男性が応える。
 高音で問いかけて、低音で応える。
 こういう『掛け合い』はよくあります。
 でも、この間奏曲はちがうんです。
 ふたりがいっしょに同時にしゃべっているんです!」


ここでブログにはブラームスの間奏曲作品118-2の楽譜が掲載されている。楽譜はリンク先のブログを参照されたい。以下再び引用。

「ふたりで歌い上げています!
 ……ホラ!この盛り上がりっぷり(笑)
 こんな風にふたりでいっしょに絡んで盛り上がるのは珍しいんです」

(再び楽譜の引用)

はぁ〜 そういう風に解釈できるというのもびっくりなんですが、
Iさんの演奏もすごい!
私が言うのもおこがましいのですが、
ふたつの旋律の弾き分けがものすごくて、
くっきり二つの声部と、それに加えてぐっと抑えた伴奏が別々に聴こえるんです!


プロのピアニストだったら当たり前なのでしょうか?
あらためて最初から演奏をはじめられましたが、
やっぱりポリフォニックな響きがすごい……と聴こえます。
すみません、しろうとのくせに。
でも、私の好みにすごく合うのです。
うんときれいな箇所でもことさらにテンポを落とさず、
バランスの取れた推進力のある演奏で、こういう感じはとても好きです。


こういう音楽は、中声部を強調する演奏が得意な、グレン・グールドに限る。



中間部は上記映像の2分02秒あたりから。中間部の前半には繰り返しがあって、2分22秒あたりからの繰り返しでは、グールドは一度目より中声部を強く演奏している。私はグールドが弾くブラームスの間奏曲集では、今まで作品117の3曲が一番好きで、作品118-2はそれらには及ばなかったのだが、その印象が一変した。と同時に、CDの解説文だったかどうか忘れたが、グールドが動機的に関連のある作品117-1と作品118-2をレコードの最初と最後に持ってきたと書いてあった意味が初めてわかった。作品117-1の冒頭のメロディーを短調にしてリズムを変えたのが作品118-2の中間部だったのだ。4度上昇後順次下降というありふれた音型ではあるけれども。こうして、音楽を聴く習慣をほぼ失った今になって、音楽について新たに知ることができようとは思わなかった。得難い経験だった。

以上は実は長い長い脱線である。

本当に言いたかったのは、初恋とは明らかに違って、横恋慕だか不倫だか友情だかは知らないが(そんなことを詮索しても意味がないと思う)、ブラームスクララ・シューマンに寄せた情熱は、四十代後半なんかでは終わらなかったということだけだ。ブラームスが作品118のピアノ小曲集をクララ・シューマンに捧げた時、ブラームスは60歳、クララ・シューマンは74歳だったのである。

だが、その結論よりも「クララ・コード」の話自体の方が面白かった。おかげでこんな時間まで起きて記事を書いてしまった。

*1:第4交響曲では、フィナーレのパッサカリアの最後でも、この三度音程の下降が再現したあと、堂々と全曲を締めくくっている。

*2:こちらの解釈の方がすっきりするかもしれない。

*3:クラリネット三重奏曲はイ短調の曲だが、上記の部分は記憶に誤りがなければホ短調である。

*4:音楽理論の言葉を用いて言えば、クララのモチーフを第1主題、壮年時代のブラームスを象徴する第4交響曲のモチーフを第3主題(第2主題は別にある)に用いたソナタ形式、ということになろうか。

*5:http://ameblo.jp/dolcisspf/entry-11259155444.html