kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「原子力立国計画」の総責任者・小泉純一郎に「脱原発」を口にする資格なし

民主党のエネルギー政策が「原発積極推進」に転換されたのは小沢一郎代表時代の2007年だが、一足早く自民党政権が「原子力立国」を打ち出したのは小泉純一郎内閣時代、2005年のことだった。

基本目標(『原子力政策大綱』)が2005年10月に閣議決定され、 実現方策(『原子力立国計画』)は2006年6月に策定された。いずれも、「郵政総選挙」で自民党が圧勝したあと、第3次小泉内閣時代のことだ。

さらに小泉は、2005年度限りで太陽光発電補助金も打ち切った。

さらにさらに。小泉は、香川県多度津町に1982年に建設された原発耐震研究のための多度津工学試験場を「国費の無駄」と称して廃止した。これまた2005年9月のことだ。

郵政総選挙に大勝した小泉は、一気に「原発推進」のエンジンを全開にしたうえ、「安全神話」に頼って原発の耐震研究をリストラまでしてしまったのである。「郵政総選挙」で自民党にフリーハンドを与えてしまった日本国民の罪も重いが、それ以上に小泉の罪は、それこそ万死に値する。小泉純一郎のひどさは、小沢一郎の比ではない。


この世紀の大罪人が、今更何を言うか。そう言いたくなるニュースだった。
http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY201105280368.html

原発の安全性発信は過ちだった」 小泉元首相、講演で

2011年5月28日19時41分


 小泉純一郎元首相は28日、地元の神奈川県横須賀市内で講演し、東京電力福島第一原発の事故について「日本が原発の安全性を信じて発信してきたのは過ちだった」と話した。

 日本食育学会・学術大会の特別講演で、演題は「日本の歩むべき道」。小泉元首相は「原発が絶対に安全かと言われるとそうではない。これ以上、原発を増やしていくのは無理だと思う」と続けた。

 日本が1970年代の石油危機の教訓から石油燃料への依存を減らしてきたとも指摘し、「原発への依存度を下げ、世界に先駆けて自然エネルギーを推進しないといけない」と訴えた。


小泉純一郎に「脱原発」を口にする資格はない。