kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小泉純一郎の原発推進責任は厳しく追及されねばならない

「小沢信者」は、小沢一郎が何をやっても許すばかりかそれを熱狂的に支持して煽り、反対者を攻撃する性癖を持っているが、それと同じことが「小泉信者」についてもいえる。小泉純一郎の政界引退に伴って、ネットではほとんど姿を消したかのように思われたが、いまだ根強いものがあるようだ。

菅直人は、東日本大震災・東電原発事故が起きる直前まで原発ベトナムに売り込んでいた。東電原発事故発生後、「安全だと思って原発を推進していたが、そうではないことがわかった」と言って「脱原発」に転じた。ずいぶんそっけないもんだなと思ったが、それでも自らが犯した誤りは一応認めたわけだ。

2007年に現民主党幹事長の大畠章宏の進言を容れてそれまでの「原発を慎重に推進」という民主党の方針を「原発を積極的に推進」に転換した小沢一郎は、元来エネルギー問題への関心が低かったとみられるが、小沢はこの民主党の政策転換以外にも、1991年の青森県知事選で、核燃サイクル推進派の当時の現職に対して、核燃サイクル慎重派の「保守本流」系の候補者が立って保守分裂選挙になり、核燃サイクル反対派の革新系候補当選の可能性も取り沙汰された時、現地入りして支持層を締め上げる「剛腕」を発揮し、現職知事を当選させたことがある。これが原発そのもの以上にたちの悪い核燃サイクル推進が現在まで惰性で続けられる一因になっているが、このことを含めて小沢は自らの責任について語っていない。それどころか民主党在籍時には「菅降ろし」をしたり、原発推進派の海江田万里を代表選で担いだりしたが、党を割って出て「国民の生活が第一」を立ち上げると、ようやく「脱原発」のスタンスを明らかにした。

しかし、その小沢といえど、野党の政策を転換したに過ぎないから、政府の責任者として2005年に「原子力政策大綱」を閣議決定し、 2006年に「原子力立国計画」を策定した最高責任者である小泉純一郎と比較すれば、小泉の100分の1くらいの責任しかない。戦争責任にたとえてみれば、小沢は懲役数年程度が相当のB級・C級戦犯であるのに対し、小泉は岸信介はおろか東条英機級のA級戦犯であるというほかない。

小泉が「脱原発」を明言した時期は、菅直人よりは遅いが小沢一郎よりずっと早い。しかし小泉は、一般論として原発推進が間違っていたとは言ったが、90年代にはすっかり頭打ちになっていた原発推進の流れを転換し、劇的にこれを再加速させた自らの責任には口をつぐんだままである。正力松太郎中曽根康弘田中角栄の3人に次ぐ、日本の原発推進史上においても第4位にランクできる大罪人、それが小泉純一郎である。


はてなブックマーク - 小泉純一郎はまず原発を推進した己の責任を総括せよ - kojitakenの日記 を見ていると、そんな小泉に何も言わずに無罪放免にしてやれと言わんばかりの意見が目立つ。中には、「せっかく味方になってくれそうなのにこうやって切断する事で何がしたいのか全く理解出来ず」などと書く論外のブコメid:hidamari1993)もある*1

岸信介戦争犯罪を水に流して戦後12年であっけなく総理大臣にしてしまったことが、その後戦前から続く歴史認識をいっこうに改めようとせず、日本が世界から孤立するリスクを高めてきたのが現在である。同じように、原発推進の責任者を不問にしてしまうようでは、「脱原発」は必ずや腰が折れる。そう私は確信している。

原発推進の責任者を厳しく追及して、その責任を問うべきなのは自明だし、当の小泉自身が責任を総括しなければならないことは、日本国の総理大臣であった以上当然であろう。

*1:このブコメに6つもスターをつけたid:kiya2015とかいう馬鹿が、前の記事につまらないコメントをつけてきたことにも呆れた。