kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「もんじゅ廃炉へ」(朝日)

もんじゅ」の廃炉を取り上げた昨日(9/21)、この日記のアクセス数が激減した。特に、この数か月多かった同一IDからの重複アクセスが極めて少なかった。アクセスしたものの、興味のない、あるいはなじみの薄い(ほとんどない)件が取り上げられている、と思ってすぐにサイトから離れてしまった読者が多かったと推測される。

そういえば以前もそうだった、と思い出した。

まだ東日本大震災も、それに伴う東電原発事故も起きる前、この日記や『きまぐれな日々』で不人気記事の代表格だったのが、エネルギー政策や再生可能(自然)エネルギーに関する記事だった。当時、まだその正体を露呈する前の飯田哲也(てつなり)の論考に共鳴し、飯田が書いた記事などをよく転載していたものだ。

それが一変したのは東電原発事故によってだったが、今では「脱原発」熱もすっかりさめてしまったようだ。

もっとも原因はそればかりではなかろう。かつて「脱原発」熱が盛んだった頃でさえ、核燃サイクルへの関心は高いとはいえなかった。そのことに関して私がいつも思い出すのは、4年前に書いた下記記事だ。

小沢の「生活が第一」の国会議員、「10年後に原発全廃」のはずなのに、なぜか「核燃サイクル廃止」に消極的(笑) - kojitakenの日記(2012年8月26日)

http://www.asahi.com/politics/update/0825/TKY201208250470.html

国会議員「原発ゼロ」支持42% 朝日新聞アンケート

 2030年時点の原発割合など新しいエネルギー政策について、朝日新聞社は全国会議員を対象にアンケートを実施した。原発割合「0%」を支持する意見が全体の42%。民主党でも40%を占め、「脱原発」の志向が強まっていることがわかった。ただ、自民党はわずか4%にとどまった。

 7月下旬から衆参両院の721人に書面で質問し、25日までに記者会見などでの取材を含め計434人(60%)から回答を得た。

 政権が示した30年の原発割合をめぐる三つの選択肢では、「0%」が42%、「15%」が11%、「20〜25%」が3%となった。東京電力福島第一原発事故を契機に、「原発ゼロ」への転換を目指す意見が目立つ。

朝日新聞デジタル 2012年8月26日3時2分)


 民主党議員の4割が「0%」を選択する一方、自民党議員の多くは「3択」を回避し、「その他」を選んでいる。まあこれはそんなところだろう。

 小沢新党「国民の生活が第一」は回答した37人中34人が「0%」を選んでいるが(小沢一郎は回答なし)、それにもかかわらず下記のような珍回答が目立った。以下朝日新聞(8/26)3面掲載記事より。

(前略)「国民の生活が第一」は「10年後をめどに原発全廃」を掲げているのに、核燃料サイクルの廃止には慎重な議員が目立った。7割近い25人が「なお検討が必要」(牧義夫・幹事長代行)と回答。ほかの野党議員の多くが廃止を選んだのとは対照的で、党の脱原発方針との整合性が問われそうだ。

朝日新聞 2012年8月26日付3面掲載記事より)


 これはまた強烈な皮肉だが(笑)、どうしてこんな「珍回答」になるのだろうか。理由を考えてみた。

  • 1991年の青森県知事選で現党代表の小沢一郎が「核燃サイクル推進派」の現職候補を「剛腕」を発揮して当選させた手前、核燃サイクルに表立って反対できない
  • 人気取りのために「原発0%」と答えたものの、本音では原発推進派である
  • そもそも「核燃サイクル」について何も知らない


 いずれにしてもろくなものではない。小沢の「生活が第一」は「似非『脱原発』政党」とみなしても差し支えなさそうだ。


今となっては引用文の最後にある三択の正解は明らかだ。核燃サイクルについて、「なお検討が必要」と答えた「国民の生活が第一」所属の国会議員34人のうち25人は、そもそも核燃サイクルについて何も知らなかったのだろう。彼らの多くは、1991年の青森県知事選で小沢一郎が「核燃サイクル推進派」の現職候補を「剛腕」を発揮して当選させたことさえ知らなかったに違いない*1

脱原発熱」が盛んだった2012年でさえこうだったのだから、今ではなおさらだろう。

以上、前振りが異常に長くなったが、今朝(9/22)も一面トップで「もんじゅ廃炉へ」と報じた朝日新聞の2面記事は、官僚の思考や行動の様式をよく描写していて笑える。いちいち引用はしないが、読みながら皮肉な笑いがこみ上げてくる。昨夜、報ステで大手全国紙各紙の一面トップ記事が紹介されていたが、「原発の守護神」ともいうべき邪悪なメディアである読売だけが、「日仏共同高速炉」の開発を一面で大きく取り上げていたことにも笑えた。ASTRID(アストリッド)と呼ばれるこの計画を昨日の朝日は馬鹿にしていたが、今日は昨日より詳しく報じていて、アストリッドに対する文科省経産省の見方を紹介している。どう見ても実現可能性がきわめて低そうなこの計画について、文科省幹部は「『日本側が金づるになるだけでは』と心配する」(鉤括弧は朝日新聞記事からの引用を示す。以下同様)が、経産省幹部は「日本における高速炉開発の火を消さないことが重要」などとほざく。実用化の目処など立たなくても、その頃には経産省幹部氏はもう役所にいないのだから(それどころかこの世にもいなくなっているかもしれない)、そんなことは彼(彼女?)にとってはどうでも良いのである。また、文科省幹部氏の懸念自体は正しいと思うが、その正論を吐く一方で「もんじゅ」の廃炉に反対していたのであろうから、こちらもどうしようもない。

朝日の記事で目を通しておくべきは、かつて朝日の編集委員を務めた幹部記者だった竹内敬二記者(長年エネルギー問題に専門的に関わってきたベテラン記者。おそらく60歳を過ぎて、役職なしの記者に戻ったと思われる)のコラム「視点」だろう。竹内記者は、「遅すぎた決定だが、『何があっても変わらない』と言われてきた日本の原子力政策が初めて変わる。一つの前進だ」と今回の決定を評価している。私もそう評価せざるを得ない。そしてその功績を安倍晋三に持って行かれた事実も直視せざるを得ないと思う。かつて政権与党だった民主党(当時。現民進党)の怠慢はもちろん責められるべきだし、その民主党から分かれた「国民の生活が第一」(当時。現「生活の党と山本太郎となかまたち」)のどうしようもないていたらくは前述の通りだ。

もちろん、竹内記者が上記の文章のすぐあとに「問題はこの後だ」と書いているのはその通りだ。誰もが予想したことだが、「もんじゅ廃炉の方向性とともに、「核燃サイクルの維持」の方向性が同時に示された。官僚機構がこれ以外の選択をするはずがないのは当たり前ではあるが、要するに彼らは核燃サイクルの方向性の議論を先送りしたのである。

核燃サイクル自体をどうするかの転機にきていることは、昨夜の報ステ安倍晋三の寿司仲間である後藤謙次でさえ指摘していたことで(おそらく安倍晋三自身も核燃サイクルへの執着など全く持っていないと想像される)、誰に目にも明らかな、わかりきったことだ。竹内記者は、核燃サイクルは安全性に問題があるばかりか、高くついて割に合わないことを指摘している。これまた至極当然の指摘ではあるが、こうして政策に一区切りついた時に専門記者がきっちりコラムに書き残すあたりに朝日新聞の伝統が辛うじて残っていると思われる。

正論ではあるものの、経産省経産省とべったりの安倍政権は絶対に採用しないであろう提言が書かれた竹内記者のコラムの結びを、以下に引用する。

 政府に求められているのは、過去半世紀の原子力の歴史を振り返ることで「核燃サイクルの時代は来なかった」と認め、そのうえで政策をつくることだ。

 福島第一原発事故を経た日本では、原発はほとんど動いていない。社会の意思は「原発をできるだけ少なく」だろう。民意に沿う方向に原子力政策を変える。今回の決定をそのきっかけにしたい。

(2016年9月22日付朝日新聞2面掲載 竹内敬二記者署名コラム「視点 - 時間とお金浪費 責任の総括を」より)

*1:幸か不幸か、彼らの大部分はもはや国会議員ではないと思われるが、核燃サイクルは「なお検討が必要」と答えたうちの1人として実名が挙がっている牧義夫は、戦犯、もとい先般の民主党代表選で前原誠司の推薦人に名を連ねた。しかし、牧にとっては名誉なことに、あのレイシズム怪文書「蓮舫代表代行の国籍問題について」には名を連ねなかった。