kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「原発利権」は「幻」だが、民主党の政治家も自民党の政治家もそれに振り回された

1980年や1993年の不信任案成立劇と違って、「決着さえつかなかった」観さえある騒動だ。

だが、皆さん「劇場政治」が大好きらしくて、当ブログのアクセス数も昨日、今日と2日続けてユニークアクセス数で7千件、トータルアクセス数で1万件を超えた。一方、同じように政局を扱いながら、あえて「電源三法」を強調したタイトルをつけた「きまぐれな日々」の方は通常のアクセス数で、トータルアクセス数が4千件行くか行かないかくらい。コメント欄も、公開早々小沢信者からいちゃもんのコメントがついたのを皮切りに、政局関係のコメントばかりで、「電源三法」に関しては全然反応がない。

そんな中、私の「電源三法」批判に懐疑的な「赤塚男」さんから下記のコメントをいただいている。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1187.html#comment12125

大連立騒動なんかとちがって、今回は各々がどういう意図を持っていて、それがどんなボタンの掛け違えになっていったか、早くも明らかになってると思います。

面白いというか不思議なのは、「菅抜き大連立」的なものを、小沢派も反小沢(前原・仙谷)も模索していたということで、前者は伊吹、森といったベテラン議員、後者は大島、石破といった人たち。

で、不信任案提出そのものに邁進したのは前者だったようですね。

確かに菅首相の詐欺的延命はある意味見事でしたが、これだけ党内からすら総スカンでは、今後なかなか難しいかなと思います。

東京新聞なんかは金子勝のコメント(だけ)をもとに、今回の不信任騒動の背景に原発利権あり、などと読み過ぎの記事を書いてましたけど、私の見たところそんなものはなく、政治家は結局自分の利害で動くのだから、脱原発の世論を強くしていけば、政治家もそれに従わざるをえない、そういうものだと思います。

2011.06.03 20:11 URL | 赤塚男 #- [ 編集 ]


私は、再生可能エネルギーの議論に関して、金子勝飯田哲也といった人たちの影響を強く受けているので、金子氏と飯田氏のTwitterはよくチェックしている。東京新聞に載った記事はまだ読んでいないけれども、金子氏のコメントは最近のTwitterに沿った内容だろうから、だいたい何をコメントしたかはわかる。

原発利権についていちばん強く思うことは、これまでの日本には確かに「原発利権」なるものがあったけれども、これからの日本にはそんなものはどこにもありはしないということだ。だって、日本のどこに新しい原発を建設できるというのだろうか。絶対に新規の原発立地自治体は現れない。これからの「脱原発」派の課題は、既存の原発を持つ自治体に増設を止めさせることと、建設中あるいは建設予定の原発の建設を中止させることだ。たとえば、安倍晋三がらみの中国電力上関原発など、何が何でも建設を止めさせなければならない。別にここに限らないけれど。

だからこそ、「いる?電源三法、きる!電源三法の運動が意味を持つのだ。つまり、「原発利権」なるものが再び生じるのを阻止しなければならないということだ。

震災直前まで、もっとも強く「原発利権」と結びついていたといわれる政治家は、安倍内閣経産相を務めた甘利明だ。だから甘利は臆面もなく「原発を守る議連」を立ち上げた。あれを取り上げて問題視したのは朝日新聞のヒットだった。たまにはああいう記事を書いてくれないと、日頃ろくでもない記事ばかり読まされてストレスを溜め込んでいる読者としてはやってられない。甘利明のような人物を経産相にしたのは、安倍内閣の本質をよく表している。安倍は、やはり戦後政治史上最悪の総理大臣だった。

民主党には、甘利明ほどひどい「原発利権」の享受者はいないと思うが、それでも電力総連出身の藤原正司などはかなりひどい部類に属する。ただ、電機連合原発がなくてもやっていけるし、その中でもパナソニック東芝、日立、三菱と比較すると原発との縁は薄いから、民主党自民党ほどひどく原発には汚染されていないとはいえる。

あと、世代でいうと中堅の方が長老よりドライだ。だから、小沢や鳩山は自民党の長老連が頭から湯気を噴いているのを自らの政治闘争に利用しようとしたのだ。あれは、利用した方もひどいけれど利用された方もひどい。民主党にせよ自民党にせよ、中堅はそこまでしゃかりきにならなかったのは当然だ。だって、少なくとも現時点では「原発利権」など幻に過ぎないのだから。

何が言いたいかというと、現実としての「原発利権」は、震災以後存在しないのかもしれないが、概念としての、あるいは幻想としての「原発利権」は現に存在し、自民党の長老連中や安倍晋三とかいう若年寄は、それにとらわれきっていたということだ。もちろん、その背後にいる中曽根康弘だの渡邉恒雄だのも同様だ。

そして、そういう連中の思い通りにさせなかったことだけでも、菅直人を評価しても良いのではないかということだ。さらに、小沢一郎鳩山由紀夫がやったことは、魂を悪魔に売り渡したのか、小鳩自身がもともと悪魔だったのかはともかく、ろくでもないことだったということだ。小沢信者が鳩山由紀夫をユダにたとえているかどうかは知らないが、鳩山由紀夫はいわば「裏切り者の裏切り者」というか、案外正直者であったのかもしれず、結局わけがわからない。

ただ一ついえることは、「原発利権」なる「幻」は確かにあって、それに自民党の政治家も民主党の政治家も振り回されたことだ。小沢一郎など、権力から離れていていくらでも「脱原発」を力説できるポジションにいたのにそれをしなかった。それだけでも、小沢一郎は「脱原発・反原発」を標榜する人間にとって、憎むべき敵以外の何者でもない。

つまり、金子勝の批評は、当たらずといえども遠からず。そういうことだと思う。少なくともネットの世界では、小沢信者たちに幻惑されていた一部の一般的な(=「信者」ではない)左派・リベラルの人たちの目を覚まさせるできごとではあった。