kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

次の「区切りの日」は「9・11」なんだな

昨日新宿の脱原発デモに参加して行進をしている最中、ようやく気がついたのだが、デモの日を「6・11」に設定したのは東日本大震災および東電原発事故からまる3か月の区切りの日だったからなんだな。それが土曜日とはな、と思ったのだが、よくよく考えてみたら3か月は日数に換算すると、2月を含む場合を除いて91日から92日、つまりまる13週間またはまる13週間プラス1日のどちらかだ。大震災は金曜日だったから、それからまる13週間と1日経った昨日が土曜日だったってことで、ということは3か月後も、とそこまで考えるうち、おぞましい記憶が甦った。

そう、3か月後の「9・11」は日曜日なのだ。「9・11」といえばニューヨークのテロが思い出させるが、もう一つこの日にはおぞましいできごとがあった。衆議院参議院の選挙の投票日は日曜日だ。ということは、今年の暦はあの2005年、「郵政総選挙」のあった年と同じなのか。

あの時、郵政総選挙で自民党を圧勝させたことが、自公政権の狂ったような原発推進政策をさらに後押しした。「原子力立国」の基本目標(「原子力政策大綱」)が2005年10月に閣議決定され、 実現方策(「原子力立国計画」)は翌2006年6月に策定された。2005年度限りで太陽光発電補助金も打ち切った。2005年9月、香川県多度津町にあった原発耐震研究のための多度津工学試験場が廃止された。

上記の「原子力立国計画」に深くかかわった人物が寺島実郎だ。この男は、民主党鳩山由紀夫のブレーンでもある。この寺島が、金曜日夜のテレビ朝日報道ステーション」で、カタルーニャ賞を受賞した村上春樹バルセロナで「反原発」を訴えたスピーチに反論した時、その言葉のあまりのおぞましさに背筋が凍りついたのは私だけではなかっただろう。既に空気を読んで「脱原発」に転向している古舘伊知郎は直ちに寺島に反撃したのだが、同じ構図はよく「サンデーモーニング」でも見られる。3週間前にも、古舘と同様に「脱原発」派に転向した岸井成格寺島実郎の意見が食い違った。この日は、以前から「脱原発」派である金子勝が出演していたこともあって、明らかに議論で劣勢だった寺島は、番組終了間際になっても「ベストミックス」なる、原発推進を正当化するための一種の呪文を持ち出して、モグモグと原発推進論を唱え続けていた。

この寺島実郎の思想が直ちに鳩山由紀夫の政策に反映されていることをよく認識する必要がある。現に鳩山由紀夫は「地下原発推進議連」なんぞに参加しており、自らが「『脱原発』の敵」であることを隠していない。小沢一郎は相変わらず自らの立場を明確にしないが、小沢の腹心に少なからぬ原発推進派がいることは周知の通り。だから、彼らの中にあって異端の脱原発派である川内博史(鳩山派)は、小沢が「脱原発」派であるかのように見せかける(偽装する)のに必死になっている。

次の「9・11」にデモの日が設定されるかどうかはわからないが、今年の「9・11」の頃までには、自民党鳩山由紀夫らの原発推進勢力に、致命傷となる痛撃を与えなければならないと強く思った。